マレーシアに行って感じたこと
こんにちは。
前回、4年ぶりに海外に行った話しを書きました。
今回はまた別の気づきから。
マレーシアは、2回目の渡航となります。
はじめてその地に降り立った時にガイドが言ったこんな言葉(曖昧な記憶ですが)が今でも印象に残っております。
「マレーシアは、色んな人種・宗教・文化が混ざっている。だから、他人は他人という認識でいる」。
はじめて言われた時はピンとこなかったのですが、その地で旅しているとなんとなくその言葉の意味が理解できた。というほどでもないのですが、何か腑に落ちた感じでした。
言語化するのが難しいのですが、「他人は他人」というのは、「あいつはオレと違うからダメなんだ!」っていうのではなく、「あいつはオレと違う。そういうもんだ」という受容みたいなものでしょうか。
「他人は他人」というスタンスだからなのか、旅をしていて煩わしいと感じたこともなかったし、だからって排除されている感じでもない。
むしろ困ったらちゃんと手助けだってしてくれる。
そんな受容性を感じました。(それは観光客だからか?)
異なる価値観、宗教が入り混じって他民族な国なのに、争いをしていない(と表面上は見えるだけかも?)というこの絶妙なバランスがすごい。
そしてマレーシアには、街と人に活気がある。
食べ物や排気ガス、汚水の匂い、都会の渋滞、車の走る音、クラクション、屋外で食事をしている人たち。そしてねっとりとした気温と湿気。
決して生活が豊かではないだろうに、でも働く人たちに"熱"がある。
写真や動画だけでは伝わらない、現地で五感を通して伝わる、何か人の生きるエネルギーみたいのを感じました。
そして旅から日常へ戻ると、また同じ"閉塞感"を感じてしまうのはなぜだろうか。
これは社会全体の空気なのだろうか。
それとも自分だけが何かの思考に囚われて、取り巻く環境で感じている感覚なのだろうか。
非日常という旅をしたからその時だけ解放感があっただけで、もしそのままそこに住んだら閉塞感を纏ってしまうのだろうか。
この活気と閉塞感の違いとギャップ、その原因がいまだに分からない。
ただ、旅をしていた時のあの"感覚"をもっと日常で味わうことができないだろうか?
それを確かめるために、何度も旅に出るのかもしれない。
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