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生まれつきの聴覚障害・発達障害のある子を育てて

私には聴覚障害をもった長男がいます。
さらに彼が中学生の時、広汎性発達障害も判明しました。

本人は現在もうすぐ27歳になります。
色々ありましたが今はSNSで友達と文章で会話したり、ブログもたまに書いたりしています。
補聴器の進歩もめざましく発達しました。
まあ、口話だけのコミュニケーションは厳しいことがまだ多いですし
難しいニュアンスの日本語は知らないことも多いですが、
基本的な日本語は身につき、筆談や聴覚障害者向けのアプリでコミュニケーションができます。

そして以外にも思われるかもしれませんが、ろう学校で育ったので基本的な手話はわかるのですが、今の仕事先と周りの人が健聴の人ばかりの環境だからか、手話を忘れた聴覚障害者でして(笑)
「手話勉強せなあかんやん」と私が言うような次第であります。

私が子育てに使った資料や情報が必要な方のお役に立てる部分があったら嬉しいなと思います。

聾者といっても赤ちゃんの頃から高等部までの聾教育環境の履歴は千差万別です。息子は、

  1. 赤ちゃん期~幼稚部・・ぴったり合った補聴器を着用し残存聴力を最大限生かした口話法教育(口話を伸ばす教育なので手話が禁止でした)幼稚部卒園までは私は息子の言うことが20%くらいしかわかってやれませんでした。

  2. 小学部から手話のある都立のろう学校へ~高等部卒業まで・・あっという間に指文字など覚えました。途中発達障害が判明しました。ぞうさんが好きで好きで動物園に通い詰めていくうちにぞう仲間ができ、そのコミュニケーションとぞうを詳しく知りたいという気持ちで本を沢山読み、日本語力がぐんとアップしました。(ぞうさんに日本語を教えたもらったみたいうな感じです。上のイラストは彼が描いたぞう家族です。)

  3. ろう学校卒業後は健聴の人たちの中で今まで仕事しています。

幼稚部の頃は経験を絵日記にして心の会話を重ねていきました。
言葉だけのコミュニケーションはできませんでした。
口話法に限界を感じ、手話のある環境に入ってから文章力がついていきました。それでも文章が使えるようになる小学部の3-4年生くらいまでは絵で会話をしていました。
そして文や言葉を徐々に増やして文だけで会話ができるようになりました。

このnoteでは、彼と交わした絵日記、(生活の場面において必要性にかられて書いているので絵が乱れているものもたくさんありますが。。。)
絵での会話などを公表していこうと思っています。


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