心中天網島(遊女・小春と治兵衛とその妻・おさん)

うちな、目がさめると、あんたのこと見とってん。

うちの体がもう、うちのもんじゃなくなって、ひんやりしていくのを、なんでか両目からわかってん。うちがぐったり、動かんくなって、あんたの体も、おんなじぐらいひんやりしたね。うち、わかっとったよ。うち、ずっとあんたのこと見とったから。

うちとあんたが最初に会うたんも、ひんやりした格子越しやったね。こちらがわにうちがいて、あんたがうちを見つけてくれた。

なあ、覚えてる?うちにしつこうしたあいつ。縁側でうちにこう言ってん。治兵衛はもう帰ってこん、女房のおさんと暮らすんやって。嘘ばっかり。あの時あんたはこっそり縁の下におって、うちと一緒にそれを聞いていた。うちが黙って耐えとったら、うちの足(あんよ)を触ったね。それからあんよをゆっくりと、あんたの喉元に持っていって、うちの爪が切っ先みたいに、あんたの喉を引っ掻いた。あんよの小指に、あんたの血が引っ付いた。

ああ、あの時うち、驚いたんよ。うち、熱い、って。

うちな、初めてやってん。うちの体はいつだってうちのものじゃなかってん。いつだって勝手に切り裂かれて、いつだって勝手に血が出てん。うちの体は、12の時から、ずっと暗やみで、ひんやりしていた。それが初めて、熱くなってん。びっくりしたわ、笑ってしもうた。体と一緒に、胸の奥がうるんでん。「うち、剃刀(かみそり)になれるんや」って。

あんたに会って、あんたと過ごして、それでも通わなかった血が、初めて、体を巡ってん。なあ、その時気がついたやろ?「小春はあったかいなあ」って言ってくれたやろ。うちな、だからな、

うちの首から血が出た時、しんそこ がっかりしてもうてん。



あんたはほんまに不器用やから、剃刀の柄にべったり血をつけよって、なんども手から滑らせたね。ああ、やっぱりおんなじ、下手くそなんはおんなじなんやな。慣れへんところもかわいかった。うちのことも可愛かった?うちの血ってあったかいなあ。12の時もそう思ったっけ。あの時と同じ。暗くなっていくうちの両目。……うちの体はまたうちのものじゃなくなった。

うちな、目がさめると、あんたのこと見とってん。ぼんやりと。

うちの体をやさしく寝かせて。ごめんなあ、ごめんなあって。あんたはわんわん泣いとったね。早くしないと夜が明ける。夜が明けたら生きてしまう。早くせな。早く死なな。ごめんなあ。ごめんなあ。ごめんなあ!

「おさん。」

うちがぐったり、動かんくなって。あんたの体は、松の枝からぶらぶら下がって。おんなじぐらいひんやりしたね。

うち、わかっとったよ。うち、ずっとあんたのこと見とったから。あんたはおさんに謝っとったんや。うちとあんたが逢うてた時、ひとりで暗やみでひんやりと、あんた待ってた、恋女房。おさん。

明けの明星が輝き出す。静かに柳を風が揺らす。あんたもひんやり動かんのに、あんたとちっとも会えへん、ここ。両の目からはもう涙は出ん。出したくっても出んもんは出ん。早くしないと夜が明ける。夜が明けたら生きてしまう。早くせな。早く死なな。早くしないと。


うち、今度は剃刀になりたい。









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近松門左衛門「心中天網島」より・小春

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