バッサーニオを聞きながら

もしかしたら今日、憧れの人に出会っちゃうかも。

と思いながら、家を出た。

書を捨て、街を歩き、

そして劇場へ行く。

当日券が無いことは知っている。

「あの、この劇場って、24歳以下の割引システムがあるって聞いたんですけど・・・」

と、受付の人に言うと、

「ちょっと待ってくださいね」

うん、それが聞きたかったの。

奥に引っ込んだ受付の人の背中を見ながら、ありがとうできればとっても手こずって、と少し念じた。

もう上演が始まった演目は、なんでか知らないけど、マイクを通してロビーに音が響き渡っている。

なんでなんだろうな。劇場ってみんなこんな感じなのかな。あ、もしかして今、受付の人たちは休憩時間なのかな。お客さんが入って、開演のブザーが鳴って、暗転して、俳優が舞台に立つ。そう、そこまでがスタッフのお仕事で。そこから1時間ちょっと休憩。コーヒーでも飲みつつ歓談してたら、「あ、いま、舞台の上で「バッサーニオ!」って言ったよね、死んだよね。」「あーそろそか」「はーい、あと10分で休憩入るんで、みなさん位置についてください」とか言われんのかな。

ロビーでしばし佇む。興味のないチラシを指でめくる。誰に見せるわけでないイヤリングで耳が痛む。

と、声が聞こえた。

確かに、膜が震えた。

スピーカーをみた。響き渡ってる。ロビー全体に鳴り響いてる。大きな声で、ちょっと怒ってる、ううん、ちょっと泣いてる?

ねえ、好きな人の声だ。

「好きな人」と、マスクのなかで口をパクパク動かしたら、はじまってもいない恋がリズムをつけて跳ね始めた。

好きな人は、舞台の上にいます。

あの、あのね、ちょっとだけダサいことを言うと、まだ「好きかも」なんですよ。
演劇って見たことなくて。しかも高いじゃないですか。むつかしそうだし。わたし年収高くないし。出せないですよ、そんな簡単に。だから今日確かめに来たんです。あの人が本当か確かめに来たんです。あの人が、画面の中のあの人が本当に俳優なのか。

こんな風に思うのは、こないだあの人が週刊誌に撮られてたからです。どういう内容かはネットで読んでね。わたし、その記事見たとき、「あー、週刊誌に撮られるぐらいには頑張ってるんだー」って思ったんです。頑張ってるんですよ、あの人。だってどうでもいい人なんて、みんな、どうでもいいでしょ?駅前で絡み合ってキスしてるどうでもいいカップル、撮らないでしょ、誰も。だからね、全国のどこにでも置いてあるあの雑誌の、ザラザラの紙に載れるだけで、すごいんです。選ばれた人なんです。本当に頑張ってるんです、あの人は。

そんなことを思いながらわたし、スワイプして、つぶやきました。

「週刊誌見たけど。普通撮られるかね。ああいうの本当にダメだと思うの。だってさ、真面目にやってたら、そんな不手際わかるわけないじゃん。あのさ、わかるのがダメなの。わからせないようにすること含めてプロでしょ」

100個ぐらい、「いいね」がつきました。

普段と違うケータイの震え方に一喜しながら、ふと、気がつきました。「いいね」欄に並ぶ、みんなのアイコンに。みんな、あの人の顔でした。あの映画の時のあの人。あの雑誌の時のあの人。共演者がインスタにあげてくれた時のあの人。あの人、あの人、あの人!…あの人の顔ばかりでした。

あー、なるほどね。この人たちみんな、あの人のことが好きなんだ。アイコンにしちゃったりね。あの人の苗字と自分の名前組み合わせちゃったりしちゃったりね。うん、わかる!あーわかる。超超わかるし、ほんとマジで

馬鹿か?

馬鹿なのか?お前ら全員。いやていうか馬鹿でしょ。え?なんでそういうことできるの?お前、自分の顔、鏡で見たことある?お前、そんな田舎に住んでるの恥ずかしくないの?お前、ネットに転がってる動画見ただけだろ?どうしてあの人の写真使えるの?どうしてあの人の苗字名乗れるの?どうしてあの人のこと「好き」とか言えるの?痛くてキモくてブスなお前らが、どうしてあの人に近づけると思うの?何を?何を考えて?何を?どうして、ねえ!

お前らみんな死んでしまえ!!!!!

気がついたら全員のことブロックしてました。

「あ、割引なんですけど、5階のチケットセンターでできるので、そっちの方に行っていただけますか?」

受付の人にそう言われて、軽く会釈をした。

できるだけゆっくりと踵を返す。

ロビーにはまだ、あの人の声が鳴っている。

今度は笑ってるね。でも少し泣いてるの?

わたしね、心配なの。赤ちゃんみたいな君が。子供みたいに素直な君が。パパとママに愛されて、すくすく育った君が。どうしたらずっとその笑顔でいてくれるのか。

週刊誌、怖かったよね。ネットでいっぱいひどいこと言われて、傷ついたよね。守ってあげられなくてごめんね。君のこと、本当に大切なのに…わたし…。

わたしね、隠してくれたら許してあげられるの。ううん本当はもうね、許してるの。全然なんともないよ。わたし、何があっても、ずっとずっと、君の味方だよ。だから今日確かめにきたの。本当に君がちゃんとしてるのか。本当に一生懸命なのか。本当に俳優なのか。本当に頑張ってるのか。本当に、本当に、本当に、本当に…!

ほんとうに君が存在するのか。

「バッサーニオ!」

と、ひときわ大きな声が響いた。

受付の奥がにわかに騒がしくなる。

「あ、「バッサーニオ!」きたね」「今日もいい死にっぷりだね。」「あーそろそか」「はーい、休憩入るんで、みなさん位置についてください」

慌ただしく動き出したロビーと、スピーカーから鳴り響く拍手。

君が受けている拍手。あの劇場の奥の扉に、君はいま、存在している。

いま君は舞台の上で、どんな顔をしてるのかな。

帰り道で、朝捨てた週刊誌を拾いなおした。

書は捨てるならゴミ箱へ。

そう思いながら、なぜか、わたしは、きちんとそれをカバンにしまった。

もしかしたら今日、好きな人に出会っちゃったかも。

私の好きな人は、俳優。「バッサーニオ!」って言って死ぬ、俳優です。


ーーーーーーーーーー

初めて小説を書きました。ガチ恋の女の子、初めて世田谷パブリックシアターへ行く、の巻でした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?