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いなくなってしまった君へ、光の祭典プロローグ(小説)

この世の中で生きていてよかったと思えるすべてのことをしよう。
ともに眠ろう。そして起きよう。昼間の海へ行こう。夜中の街を歩こう。
美味しいものを好きなだけ食べよう。飽きるぐらいに何度も話そう。
楽しいことを楽しいと言えるように。悲しい時に笑わずに済むように。
そしてカメラを回して、刻み付けて。
もう二度とわたしがわたしを見失ったりしないように。

君の震える指がわたしのパジャマのボタンを一つづつはずして、お互いの肌に夜の空気が触れたあの時、どちらが先に泣き出してしまったんだっけ。

あの日は、たぶん、二度目の夜になる予定だった。

確かにあったはずの君と初めて体を重ねた一度目の夜のことを、わたしはよく思い出せない。けれど断言できるのは、わたしたちは会わずにいたこの数年で、お互いに、体を重ねるどころか、口付けもできない体になってしまったということだった。

君の指の震えが単なる期待じゃ無いと気がついた時、わたしの器官はぐちゃぐちゃになった。

天地がひっくり返る。呼吸が浅く、荒くなる。わたしの心が、今まで演技をしていただけに過ぎなかった心が、暴れまくって止められない。涙はあふれて、言葉になり、口を伝ってこぼれる。

わたしねえ、犯されたの。
わたし、つらかった。怖かった。ひとりぼっちだと思った。
わたしの体がわたしのものじゃないみたいになって。
あれから、怖くて仕方がなかった。
助けて、わたしを助けて。

せき止められていたわたし言葉はふたたび涙に姿を変えて、さっきまでと違うのは、それが君の涙ということだった。頰をつたうそれがわたしと同じ気持ちなのか、今から思えば聞けばよかった。

だけど、さまよう指と指が、ゆっくりとお互いの存在を確認しあった、あの瞬間を忘れない。

なにもかもが過ぎ去った嵐みたいな朝が、かつてあったことを思い出す。

眠れないまま朝が来て、窓の向こうから、船の警笛が鳴り響く。

「そうか、海か」と君が言った。
「ほら、船だよ。警笛だ。見えるかな。」
カーテンを開けて、君が外を眺める。
「わたしの家だよ、知ってるよ。毎朝聞いてるんだから。ここから海は近いけど、ビルが邪魔で見えないの。わたしに似てるでしょ。ほしいものはそばにあるのに、いつも隠されてわからない。」
そう言いかけてやめた時、

「似てる。」
と、君が言った。

「地元に似てる。こんな風に、朝になると船の警笛が鳴るんだ。」

ふるさとの話をする君は、もやの向こうの空に見えはじめた朝日みたいにまぶしくて、わたしの視界はまたぼんやりと歪みはじめる。その指がまだ少し震えながらわたしの涙をぬぐった。そして君はわたしにカメラを向けた。

それからわたしたちはセックスの代わりにカメラを回した。汚いレンズでもやがかかったみたいな夜の中、わたしはパジャマを脱いだ。君がいなくなってしまうまでずっと。口付けすらしていないわたしたちの夜は、けれど確かに恋人同士の夜だった。そう思っていたけれど。

いなくなってしまった君へ。

わたしは君と、この世の中で生きていてよかったと思えるすべてのことをしたかった。
ともに眠りたかった。そして起きたかった。
昼間の海へ行き、夜中の街を歩きたかった。
美味しいものを好きなだけ食べて、飽きるぐらいに何度も話して、楽しいことを楽しいと言えるようにしたかった。
悲しい時に笑わずに済むようにしたかった。

何もかもが、過ぎ去ってしまった、今。

朝もやがわたしの体を包んでゆく。遠くで船の警笛が鳴る。
誰もわたしを知らない土地で、わたしはカメラを握っている。
さっきまでそこにいた君の体温が嘘みたいに、わたしの体にまとわりついて。
けれど一人で立っている。一人で、立てている。
わたし、ねえわたし、カメラを回して。そして、刻み付けて。
いま一人、舞台の上に立つわたしを。
ただまっすぐに前を向くわたしを。
もう二度と、わたしがわたしを見失ったりしないように。

ーーーーー『光の祭典 プロローグ』ーーーーー

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少女都市 第8回公演
『 光の祭典 』
こまばアゴラ劇場にて

作・演出:葭本未織

8/21水 14時・19時半
22木 19時半
23金 14時・19時半
24土 13時・18時
25日 13時・18時
26月 14時・19時半
27火 14時

思い出せない、あの日わたしになにがあったのか。
ワインに入れられた睡眠薬、消えた記憶。
レイプ被害が原因でカメラを持てなくなった映画監督・まこと。
震災で失った父親の死を忘れられずにいる映画青年・江上。
映画を通して惹かれあった二人の蜜月は、突如、江上が姿を消すことで終わる。
半年後、江上は、新進気鋭の映画監督として現れる。
彼の作品はまことを盗撮した映像で創られていた。
震える手で、再びまことはカメラを握りはじめる。
暴力と権力に踏みにじられ、誰かを傷つけることでしか自分を癒すことのできない若者たち。
憎しみと暴力の連鎖を断ち切り、歩み出すことはできるのか。
大阪・兵庫で上演を重ね、大反響を巻き起こした社会派サスペンス、ついに東京初上陸。
自身も阪神淡路大震災を被災した劇作家・葭本未織が描き出す、喪失と復活の物語。

公式サイト:http://girlsmetropolis.com

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