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戦前の炭鉱業で栄えた街『飯塚』の遊郭跡を歩く

♪月が〜出たで〜た〜月が〜出た♪で始まる『炭坑節』は私が小さな頃から盆踊りでの定番曲で、福岡県民なら誰でも知っていたという曲である。

実はこの曲は田川市が発祥とされるが、当時から筑豊がどれだけ炭鉱業で栄えていたかがこの曲でわかる。『花子とアン』で有名になった伊藤伝右衛門邸があるのもここ飯塚市であり、
今回は、この伊藤伝右衛門邸付近(飯塚市幸袋)の遊郭跡を歩いてみた。

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飯塚市は江戸時代は長崎街道の宿場町で筑前六宿のひとつに数えられていた。宿場町時代は華やかな遊郭もこの地で栄えたのだろう。今ではひっそりとした静かな住宅街の中に料亭や元遊郭の建物がひっそりと残っている。

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リノベーションされているようだが、当時の面影を残している。

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細格子が美しい。

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漆喰壁も歴史を感じさせてくれる。

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漆喰壁に現された鏝(こて)絵

こて絵とは『漆喰を用いて作られるレリーフ』のことである。職人がこてで仕上げていくことから名がついた。
これは財を成した豪商が土蔵を改築する際富の象徴として外壁の装飾に盛んに用いられた。

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しばらく歩くと、今にも崩れ落ちそうな建物がそのままの状態で残っていた。2階の大きな開口部とバルコニーがかつての妓楼の特徴を残している。

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1階部分はかなり崩壊が進んでいたのだが、個人的には好きな雰囲気である。

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飯塚市西町付近まで来てみた。ここも遊郭があったようでかつては花街として賑わっていたらしい。

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現在も民家として現役であるようだ。

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飯塚市を歩いてみて思ったのは、戦前の炭鉱での繁栄っぷりが尋常ではなく、今でいう歌舞伎町のような感じで栄えていたのではないだろうか?遊郭跡地の規模の大きさを実感した。今は静まり返ったこの遊郭跡地を当時の賑わいを想像しながら、ひたすら歩いてみても良いと思う。

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