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旅のアフターストーリー/祖母の死~時間との勝負旅

7月29日にはじめた旅も8月12日に無事に終わり、8月13日に祖母の初盆を迎えた。

僕の足はクロックスが入んない程、腫れていた。

何で僕が今回の旅は時間との勝負と位置付けていたか。

それは3月の祖母の死が関係している。

3月1日にはじめたYouTube企画で人生初ヒッチハイク旅。

その旅をはじめた当初チャンネル登録者数は24人だったが、東海地方でチャンネル登録300人突破、関西で800人、中国・四国地方で1,000人突破しないと福岡に帰れないというルール。

3月1日からはじめて3月12日には福岡に帰る見込みで相方が計画していたが、チャンネル登録に苦戦し、3月12日には僕は大阪にいた。

その日の夜大阪で突然の訃報が入る。

僕の大好きだった祖母が急死したと。

片親な僕を小さい頃から学校から帰ると笑顔で迎えいれて、そして大学になり実家に離れても帰るたびに暖かく迎えてくれた祖母。

家にいるのが当たり前だった祖母。

僕は仕事の関係で東京に住んでおり1年近く実家に帰れてなかったので、実家の帰省に合わせて旅をしていた。

その実家の帰省も祖母や家族に会うためだった。

僕は3月12日のこの日のことを鮮明に覚えている。

家族から祖母の死の連絡を受けた僕は、それまでYouTubeのチャンネル登録し応援してもらった人々に向けて旅の中断する旨の動画をあげ、

そのまま夜行バスに飛び乗った。

その夜行バスで僕は一人泣いていた。
僕がもっと早くチャンネル登録を達成し福岡に帰っていれば、祖母は死ななかったのかなと自分を責めた。

責め続けたまま、実家に帰ると長男の僕、そして今まで自由にやって家族に迷惑ばかりかけた僕は悲しむ権利が無いと必死に涙をこらえた。

この日から本当に後悔と自責が僕にずっとのしかかっていた。

だからこそ、サバイバルファミリーを見てチャリ旅をやりたいと思った後に、必ず期限通りに帰る!今回は前回出来なかった時間の勝負をすると思った。

はやく帰ってれば死ななかったのかなぁという後悔を少しでも無くすために。

時間との勝負そして過去の自分との勝負。

それに打ち勝った。こんな想いがあったからこそ旅の終わりには安堵感が強かったと思う。

今回も実家に帰ってまた言ってやったよねー。

「ばあちゃんただいまー。やってやったぞー。今回は期限通りにちゃんと帰ってきたぞー。」

ってね。

【時間は貴重】

そして

【今ある当たり前は当たり前やない】

ということを

2つの旅を通して、ばあちゃんに教えてもらいました。

ばあちゃんいつもありがとう!!!!!


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