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20240125 日記340


集英社ライトノベル新人賞(2次選考)

第12回集英社ライトノベル新人賞(ジャンル部門)2次選考通過しておりました……。

猛烈ラジオの方でも話したのだけど、残り7作品まで来ると、嬉しいよりも驚きとか怖さの方が先に来てしまった。

結局、書き終えてから5ヶ月近く自作を読めなかったのは、結果に伴う喜びも、痛みも、どちらも受け止める覚悟が足りていなくて、そのどちらからも目を背けていたからなのだと思う。

だから、そういうどっちつかずの反応になってしまったのだ。

現在の俺が目を背けているうちに、過去の俺の作品が評価を受けていく。実に猛烈ではない態度だ。

ただ、この通過にいい意味で目を覚まさせてもらった気もする。

通過したとしても、落選したとしても、3次選考こそは全身で受け止められるように、5ヶ月間読めずにいた己の作品と向きあい、過去ではなく今の俺で、残り1ヶ月、全力を尽くして『推しが僕を好きになるわけがない!』の改稿を努めようと思います。

キュビズム展

会期が終了に迫っていたので、国立西洋美術館のキュビズム展に行ってきた。

一昨年、箱根の彫刻の森美術館に常設されているピカソ館に行った時『少年』という作品に非常に強い感銘を受けたのが、キュビズムに興味を持つきっかけだった。

制作年順に並んだピカソの作品たちは、晩年に近づくにつれて、いかに純粋であるか、いかに感情をそのままに表現するかを追求するようなものになっていった。

そして、ピカソの「私があの子供たちの年齢のときには、ラファエロと同じように素描できた。けれどもあの子供たちのように素描することを覚えるのに、私は一生かかった」という言葉と、ピカソ館最後の作品である『少年』をみた時、作品を創り続ける中で、二度と戻らない不可逆なものだと思っていた子供のような純粋さにピカソは至ったのだと、頭を殴られるような感覚を覚えたことを覚えている。

その純粋さを追求する手法こそが、子供の頃は何がいいのか全く意味が分からなかったキュビズムだったのではないかという気づきがあって、それ以来、一度勉強してみたいと思っていたのだった。

初期にキュビズム運動を推進していたピカソやブラックの作品には、心動かされるものがあったが、展示後半に進むにつれて、理論や体系による解釈が介在する絵が増えてきて、個人的には後半の作品たちにはあんまり興味が湧かなくなってしまった。

キュビズム作品たち、急に出てきた時に世間が「正気か!?」となった気持ちの方に共感してしまう。

同時に、アカデミックに体系化されて、単純な美麗さという意味では行き着くところまで行き着いた絵画の世界に対して、根源的な感情をシンプルに表現するために世界を円柱や立方体で再解釈し、純粋な表現を残すという手法をとる気持ちも解説などを読むと分かる気がした。

当時の世間もきっと同じであって、だからこそ、この表現を大衆に伝えるためには、理論であり、体系が必要だったんだろうと思う。

ただ、ピカソ、ブラック以降の作品は、プリミティブさの追求よりも、どんどんキュビズムの理論と体系をいかに解釈するかの方が意味になっているように感じてアニメの考察文化みたいやねと思った。

これなんかその極地だろと思ってしまったので、逆張りで目を逸らさずに凝視していた。

実際、展覧会の作品が直感で衝撃を受けるものではなく、頭で考えさせられるものになっていってから(展覧会年表上の)キュビズム運動の時代が終わるのも早かったように思う。

ただ、いくらでも空想上の表現に応用出来そうなのに、あくまでもキュビズムで表現された作品たちは現実の具象だけを捉え続けていて、表現の中で現実に問いかけ続けていたというのは、なるほどな……と思った。

写真技術が生まれ、写実的であることの価値が揺らぐ時代に、あえて目に見えるものを単純化することで、根源を伝えようとしたという意味では、俺がピカソ館で感じた部分は大筋では間違ってはいなかったのだと思う。

俺が興味があるのは、キュビズムというよりかは、どちらかというとピカソそのものであることが分かった気はしたので、今度はピカソ展に行こうと思います。

読んだ本

アサウラ先生が、リコリス・リコイルのノベライズと同時に電撃文庫で刊行した1冊。

ベン・トーなども読んでこなかったので、アサウラ先生の作品に触れるのは初めてだったのだけど面白かったです。

中盤くらいまで、これで行くのかな……という気持ちが無いではなかったが、中腹までで1度起承転結を終えて、もう1回起からやり直すようなパワフルな構成で、その転換があってからはグイグイ読んでしまった。

タイトルで気になっていたんですが、えっちな話でした。えっちさも転換があってから段違いになったのが、作中作に対する説得力にも繋がっていたのが良かったです。

1月は年に1度のハクメイとミコチの新巻を読む月。

この伝統、永遠に途絶えないで欲しい……。

『恥じらいと装い』『憧れの喫茶店』が特に良かった。毎回そうではあるけど、誰かと世界とのかかわりの話が多い巻だったように思えて素敵でした。

真実のラッパー

「次回作では真実のラッパーをキャラクターとして書きたい」「改稿の際の追加シーンとして、ヒロインと主人公がサイファーに飛び込むシーンを書きたい」と彼女に話したら、多分両方とも伝わらないからやめた方がいいと思うよと言われた。(書く)

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