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20221030 日記240

久しぶりに日記を書こうと思います。

アウトプットが不足しているのを痛感しているので、ここからは本当にコンスタントに更新したい。

岡本太郎と阿波おどり

本日は、豊崎愛生のおかえりらじおの久しぶりの有観客イベントの日でした。

早速、超関係ない話が始まるので、イベントの話を目当てに読みに来て下さった方は、目次から本題まで飛ばしても大丈夫です。

今年に入ってから岡本太郎氏の作品や著書に触れることが多くなっています。

岡本太郎氏の発言の中で、個人的に特に好きなのが「人間は祭する動物」という言葉だったりする。

 祭は、官僚的につくられた祝祭日のように、身勝手にだらだら遊ぶレジャーでは絶対にない。極端にいえば、生命をかけた、全部がとけこむ祭でなければつまらない。
 祭とはいったい何だろう。それは本来、人間生活の生きがいなのだ。一人ひとりではなく、強烈な、社会全体の生きるよろこびがそこに噴出する生命のハケ口だ。
 未開時代から人間はそのために生きてきた。まさに人間は「祭する動物」といってもいい。

岡本太郎(2020)『岡本太郎の眼』KADOKAWA p.75

 今日の社会は祭を失い、そのかわりに祭のイリュージョン(幻想)がはんらんしている。毎日、毎日、なしくずしの祭をやっているのだ。テレビや映画、演劇、音楽会、プロ野球、相撲、ボクシング、あれこれの文化祭――年がら年じゅう、いたるところでゴチャゴチャ幻想をふりまき、かきたてる。まことに足の踏み場がないくらい。
 みんな馴れきって、不感症になっている。毎日ちょっぴりずつ興奮し、しかしどれもが身をもってとびこむものではないのだ。

岡本太郎(2020)『岡本太郎の眼』KADOKAWA p.76

この『岡本太郎の眼』は、1965年から1966年にかけて週刊朝日で連載していたエッセイが下になっているのだけど、この文章を読んだ時、エンタメの取り合いが加速し続け、実体を持ったイベントが行われづらくなったコロナ禍以降の世界の話をしているんじゃないかと感じた。

まあ、いつの時代も技術の発展に伴って、大なり小なり同じような問題を抱えてきたのではないか……ということでもあるのだけど。

戦争が終わり、高度経済成長期を迎え、その50年先に行き着く先を見通していたということのようにも思えてならず、これこそが2022年に岡本太郎氏が再発見されている理由なのではないかと勝手に思ったりしている。

豊崎愛生さんの出身地(Twitterにおける俺の魂の県庁所在地)でもある徳島県には、阿波おどりという大きな祭りがある。

徳島に足を運ぶたびに、徳島の人たちにとっての阿波おどりというのは、何か自分の生活圏で参加してきたお祭りとは、少し意味が違うような気がする。

有名連の人だと、学校行事や仕事といった営みよりも、阿波おどりの練習が優先になることもあるらしい。

もちろん、県民全員が全員そうではないとも思うのだけど、年に1度の祭が生活の中心になること、そして、それが当たり前のように根付いている文化というのに、最近はすごく興味を持つようになって、何かそういう生き方に対する憧れに近い感情をも持っている。

3年ぶりに阿波おどりを開催したことでクラスターが発生したというニュースがあり、県外の人たちがいろいろ言っているのを目にしたけど、個人的には、そもそも祭に対する前提が全く違うのではないかという気がしている。

生活の中心であり、生きがいとしていた場が3年も失われてしまうことは、そう簡単に見過ごせるものではないんじゃないだろうか。

けいおん!・豊崎愛生さん・スフィア

そして、俺にとっての『祭り』とは、長らく「けいおん!・豊崎愛生さん・スフィア」の3つのことだったように思う。

20代前半は、心の中の大きな部屋を占めているこの3つが、どれか一つでも欠けてしまうと、代替の効かない空虚さのようなものを感じていた。

ライブやコンサート、イベントに参加する日がハレの日であり、その非日常を生きがいに生活を営んできた。

同時に己がいちファンとしての活動の中で

「何者かにならなくてはいけない」

「ドラえもんが安心して未来に帰れるように、自分だけの力でジャイアンを倒せるようにならなくてはいけない」

と切実に思いながらファン活動を続けていたのは、その『祭り』のステージに立っているのが自分ではなかったからなのだとも、最近ようやく分かった気がする。

誰かが開いたお祭りの中で、全力で楽しませてもらう日のことを生きがいにし続けるというのは、違う生き物である以上はどうしても限界がある。

年齢や時間と共に擦り減っていくものはどうしても埋められず、コロナ禍でその消費のスピードは恐ろしいほどに速くなったようにも感じている。

しかし、恐らく自分が勝手にやってる『祭り』の中であれば、少なくとも自分はいつでも面白く、ワクワクしながら、命を燃やして生きていけるような予感があった。

が、その自分の中の『祭り』に身を投じる覚悟を決められなかったのがこの10年であり、そうしなかった生活のツケを一つ一つ清算しているのが2022年という感じになっている。

豊崎愛生さんが歌う平沢唯ちゃんの楽曲を不意に聴くことが出来た時は死ぬほど嬉しかったが、けいおんの単独ライブは2011年以降、長らく行われなくなり(それはそう)、スフィアも活動休止期間を経ての復活後は、それぞれの人生を大切にユニットとしての音楽活動はペースを落としている。

2020年以降、生きがいとしていた祭りの大部分が停止し、己がどこに向かっていいのか分からなくなっていたのだろうなと思う。

おかえりらじおのイベントの話(本題)

ようやくイベントの話になるんですけど、おかえりらじおの有観客イベントも、今回がちょうど3年ぶりの開催だったんですよね。

愛生さん自身は2021年にもアルバムをリリースし、コンサートツアーを行うなど、ちゃんと己が今伝えたいことを歌を通して表現し続けてくれて、お会いする機会も多かった。

ただ、コロナ禍以降も休むことなくラジオを続けてくれて、変わらず声を聴き続ける時間の中で、豊崎愛生さんは、自分にとって非日常から限りなく日常に近い存在に変わっていったことも感じていた。

ただ、これ自体は決して寂しいこととしては捉えていなく、感情の性質が変わっただけで、この先もずっと好きなんだろうなという想いはむしろ以前よりも強固かつ、自然に存在している気がしている。

同時に、以前のように瞬間に燃やす感情の爆発も失われてしまったように感じていて、それがちょっと怖くもあった。

会場に向かう途中、道に迷い(歩道橋が上手くナビに反映されなかった)スフィアサコッシュを持ってる人をストーキングする。

会場が近づいていくにつれて、言わずとも同じ目的と思われる人たちが増えていく。

俺も30歳になったけど、他のファンの人たちも等しく歳を取ったのだな……と思う。

ジャックナイフ時代(20代前半)の俺

今回、入場時は一人だったからか、久しぶりの有観客イベントだったからか、同じ豊崎愛生さんファンに囲まれたことで、勝手に20代前半の周囲に尖っていた頃の己の感覚が若干蘇っていたところがあった。

さっきまで道に迷って泣きそうになってたのに、気が大きくなって、ちょっと調子に乗っているのが分かりますね。

今回、久しぶりに1階2列の真ん中らへんというヤバめの席を引いてしまったので、豊崎愛生さんが登場した途端にルナのコスプレをする豊崎愛生さん(36)……………………………………とはなってしまった。日常になったのではなかったんですか?

でも、前だったらこの近さで豊崎愛生さんの猫耳にゃんにゃんポーズみていたら、後光で涙が止まらなくなっていた可能性が高いので、マスクの下でニヤニヤしていただけ、個人的には精神的な成長があると思っています。

仕事のため、昼公演しか参加できず、夜公演は配信で観させて頂いたのですが、昼公演のみ日笠陽子さんと豊崎愛生さんが美少女戦士セーラームーンごっこを行ったので、もしかして、俺のためのイベントなのではないか…………と思っていました。

ジャックナイフ時代(20代前半)の俺

日笠陽子さんが月2くらいでセーラーマーズの悪霊退散のモノマネをしていることや、豊崎愛生さんが金縛りにあった時に、臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前……と唱えているエピソードが良かったです。

愛生さんがセーラープルートとちびうさちゃんの関係性の話をしていた辺りで、脳内でめちゃくちゃ早口のオタクになってしまい、今から会場でプレゼントを懸けたセーラームーンクイズ大会をやってくれ……多分それなら勝てるから…………と思っていた。

日笠さんとのトーク、個人的にはけいおん以上にクェイサーラジオの印象が強かったのだけど、お互いを信頼しあっているラリーで聴いていてすごく楽しい。

日笠さんと愛生さんが会うの自体も、3年前のアニサマ(放課後ティータイム)以来という話だったけど「青春時代を一緒に過ごしすぎた」から、全く久しぶりという感じがしないと言っていたのが、なにかグッとくるものがあった。

「私は澪とは反対だから」と言っていたけど、関係性の部分では、きっと放課後ティータイムのその後とそんなに変わらないんじゃないかと感じる。

そして、イベントの最後に、入場時にちぎったチケットの半券をクジのように引いて、2名様だけにTシャツが当選する抽選会が行われ、当選させて頂きました……。

豊崎愛生さんと日笠陽子さんが、それぞれ1回ずつ引いたのですが、豊崎愛生さんが引いた回で、私の座席番号が呼ばれたので、これまでで一番デカいまあ““““““俺”””””なのでね……が心の中で出てしまった。

ジャックナイフ時代(20代前半)の俺

嘘。

本当は動揺して何が何だか分からず、おめでとうと言って下さった豊崎愛生さんにお辞儀するしかなくて、じわじわと、え、ヤバ…………どうしよう…………家宝にしよ…………という気持ちが湧いてきていた。

終演後、リアルストーキングされていたせーはくさんと、めだかさんにご挨拶させて頂く。

せーはくさんとの一番最初の出会いも、おかえりらじおのイベントで、面識がない中、メール読まれたのをアテに声をかけてもらっていたので、何かそういう宿命の下にある可能性がある。

お二人に写真を撮ってもらって仕事に戻りました。

ラジオのイベントなので、話を聴いているだけで楽しいし、いつもの日常の放送の延長線上でもあるのだけど、それでも、豊崎愛生さん、日笠陽子さんや、リスナーの皆さんと直接同じ時間を共有する瞬間は、ほんの少しだけ特別で、そのほんの少しの特別のために、また日々を頑張れるのだなと思いました。

何やら長い自己整理のような前置きをうにゃうにゃ書きましたが、ここから自分の祭りを興していく覚悟を、ようやくほんの少しだけ決めました。

今回当選したTシャツは、自分が自分のステージに立ち、その先で豊崎愛生さんと会うことが出来る日まで、大事に保管しておこうと思います。

オタク(うれしそう)


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