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Netflixオリジナル映画『ROMA』は、各シーンを切り取って写真展が開ける映像美

私の好きな本に沢木耕太郎氏の『彼らの流儀』がある。

私はこの本を読むと元気づけられる。ロックやEDMのようなアップテンポな音楽を聞いてテンションを上げるようなものではない。自分が持っているが使えていないエネルギーが、体の奥の方からじんわりと湧き上がってくるイメージだ。

ニュージャーナリズムな手法を取り入れるなど、積極的に「手法」を試そうとする沢木氏だが、同書籍の「あとがき」にこう書いている。

”私がひそかに定義していたコラムらしいコラムとは「発光体は外部にあり、書き手はその光を感知するにすぎない」ことを強く意識した文章というものだった”

『彼らの流儀』は、33人もの話が、様々な語られ方をする。「彼ら」の人生が、最適な文章手法によって浮かび上がってくる。
彼らは著名人であるとは限らない。探せば自分の身近なところ、半径10mぐらいにいそうな人もいる。沢木氏は彼らの光を感知し、文章で表現をする。
ネガティブな感情を抱えている時でも「その感情の違う側面を見てみよう」「客観的に自分の状況を考えてみよう」「自分も小さい一人の人間にすぎない」、そう考えさせてくれる文章だ。

『ROMA』も同様に「発光体は外部」ということを意識した作品であろうと思う。書籍と違う点は、その表現が映像と音楽であるという点だ。

出てくる人物は特別なことを成し遂げた人物ではない。
ショックを受けるような大きな事件は起こらない。あるいは、起こっているのかもしれないが、過大な表現をしない。

淡々と、1970年台のメキシコの中流家庭の家族とその使用人を映した作品である。

ただし、その映像が、他のどんな作品よりも芸術的だ。
作中の全場面を切り取って、写真展を開けそうなほど。
「発光体としてのROMAの家族の生の美しさ、力強さ」を見事な映像で表現している。

カットの少ない長いカメラワーク、定点で左から右へと動くカメラワーク。
白黒映像で、かつての日本映画を想起させるような陰影(先日NHKで放送していた、カメラマン宮川 一夫氏の番組を思い出させる)。
興奮のある映像かと言われるとそうではないが、美しさがある映像かと言われるとそうだという回答になる。今まで観たどんな映画よりも美しいカットの数々。

この作品もまた「なんとなく気分が上がらない」と感じたときに観ると、なんだか「生きる気力が湧いてくる」作品なのだと思う。

ちなみに『ROMA』はNetflixオリジナル作品だ。
ドンパチやるだけのゴリゴリのエンタメ作品もあれば、本作のような作品もある。その振り幅がすごい。

制作側からしてみれば「お金を出して自由に作られせてくれるNetflix」、
ユーザーからしてみてば「自分の観たいものを観たいときに見せてくれるNetflix」であり、これはTV局や他の映画スタジオは戦々恐々だろうなと思う。


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