子ども食堂で逮捕者が出た。

Twitter@lessor_twさんより引用『勉強に集中して取り組めない」の背景にある多様な課題を見抜いて対応する力がない場所は、「きつく叱る」をエスカレートさせるばかりになる。』と述べている。これは!まさに正論。学習塾、寺子屋風な子ども食堂で子どもをど突くなどして、通報され逮捕された。この事件に対しての子ども食堂を運営する筆者の見解を述べる。

Yahoo!掲示板で繰り広げられる子ども食堂への批判、擁護、偏見の論争は、
惹起によってディベートした事案である。この逮捕された方は、利用者であるその人その子の行動の理由が、なぜという問いも背景を考えられなかったのではないかと思う。表面や上っ面だけでは、学習塾としては良いが子ども食堂では弊害である。深い洞察ができるかどうか。子ども食堂の定義を発信力がありすぎる方々が貧困イコール子ども食堂と繰り返し述べている。そのような発信は(アンコンシャス・バイアス)無意識の偏見の功罪でもある。そもそも子ども食堂とは筆者は、経済的理由で欠食を起因とする貧困家庭の子どもだけのものではないと考えている。  子ども食堂が貧困対策の為だけのものなら専門性のある団体が、それ相応の教育を受けて、登録制度で行えば良い。人の関係の貧困は、コミュニケーション能力は低いが学力さえあれば評価されるという社会通説で述べられる一般論が要因となった思う。要するに、人間関係や道徳教育に比重を置かない幼少期からの学力至上主義の教育に依ってもたらされたものであると考える。子ども食堂の意義は、多様な価値観を認める多世代が集う場であり、コミュニケーションや地域コミュニティの希薄な関係性を潤沢にする為にあると思う。子ども食堂を貧困層に限定すればそこに通うだけで、スティグマが烙印が押される。貧困家庭じゃない子は通えないし、通えば貧困層だとラベリングがされる。運営していての一番の課題は、言うことを聞かない子への対応である。実際にダメな理由を説明しても、聞いてくれない子や多動気味の子もいる。でもだからといって、子どもを叩いていい理由には決してならない。例えそれが子どもの親族であっても、子どもが思い通りならないからという理由で言うことを聞かせる為に、しつけであると正当性な理由をつけて暴力を振るうことは決して許さない。自らの心情による正義感で「正義の剣」をかざす人は自分の愚鈍さに気づかない。叩かれて自尊心を傷つけられると人は心に深い傷を負う。

子どもに人権があり一人の人格がある。大人が高圧的になって優位に立ってはならない。子どもと同等の目線でないと、同じ目線でいるべきである。経済的に恵まれている子ども、そうじゃない中流の家庭の子もいやそれ以上の家庭の子も子ども食堂には来る。色々な生育環境の背景がある。子ども食堂に自主的に子どもたちは参加を決定している。子ども食堂の中核の運営者は、ありのまま受け入れる受容するスキルが必要で洞察力と寛容さが重要だと筆者は考察する。


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