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ウマ娘としての登場を望まれている競走馬について


1.かつて登場を熱望されたウマ娘

ウマ娘がリリースされてから、多くのファンの間ではウマ娘として登場してほしい競走馬の存在が語られることがあります
現在でこそおなじみのキャラクターとなっているナリタトップロード、サクラローレルなども、元は登場を熱望される立場にいた存在でした

ーーナリタトップロード
ーーサクラローレル

その一方で、未だ登場できずにいる競走馬が存在していることもまた事実です

今回はそんな、登場を熱望されている競走馬について紹介していこうと思います

2.バブルガムフェロー

ーーバブルガムフェロー号

『ガムを噛む男』という意味の名を持つ、サンデーサイレンス産駒、バブルガムフェロー号
イシノサンデー、ダンスインザダーク、ロイヤルタッチと並んでサンデーサイレンス四天王と呼ばれ、史上初となる3歳(旧・4歳)での天皇賞・秋優勝馬となりました
3歳で天皇賞・秋に挑んだ競走馬は存在自体はしましたが、1988年のオグリキャップの2着、1995年のジェニュインの2着が、3歳馬での最高記録となっていました

1995年にデビューを果たしたものの、最初のデビュー戦では3着。未勝利戦で1着を取る形で中央のレースへと駒を進めました

同年、朝日杯3歳ステークスに出走、1番人気
スタートダッシュと共に逃げるジェブラズドリーム号のすぐ後ろにつき、じっくりと様子を伺い、冷静なレース運びを行っていました
最後の直線、エイシンガイモン号が先頭で突き抜けるものの、バブルガムフェローはそれを悠々と追い抜き、朝日杯を制覇しました

その後はクラシック戦線に向けて調整、府中3歳ステークスを制覇して万全の体勢となりましたが、皐月賞の直前で骨折、春の期間を休養に回すこととなりました

1996年10月27日、天皇賞・秋
バブルガムフェローの陣営は、クラシック戦線花形の一角、菊花賞ではなく、天皇賞・秋への進出を決定しました
これまで同年代と競ってきたバブルガムフェローに立ちはだかるのは、前世代における強者たちでした


・菊花賞、有馬記念、宝塚記念と、変幻自在な走りで立て続けにG1を争奪し、後にナリタブライアン号と激戦を繰り広げることとなるマヤノトップガン

・そんなマヤノトップガン、ナリタブライアン双方を天皇賞・春で打ち破ったサクラローレル

・地道に勝利を重ね、後に宝塚記念で執念の走りを見せることとなるマーベラスサンデー

・フジキセキ、タヤスツヨシと並ぶサンデーサイレンス初年度産駒にして皐月賞、マイルCSを制覇した実力者、ジェニュイン号


名だたる強豪達を前に、バブルガムフェローは正攻法で挑みました
最初の直線、好スタートを切り、先頭を走るトウカイタロー号を後ろから捉える姿勢となりました
マヤノトップガン、サクラローレル、マーベラスサンデーを率いる形でスタートしたバブルガムフェロー
最後の直線、外側からマヤノトップガン、マーベラスサンデーらが迫ってくるものの、内側で走り続けるバブルガムフェローはこれを交わしてゴールイン史上初となる3歳馬(旧・4歳馬)の天皇賞・秋制覇を成し遂げました

翌年には宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップと有名なG1タイトルに出走しましたが、それぞれ…

念願のG1タイトルを宝塚記念で獲得したマーベラスサンデー号
牝馬でありながら多くの牡馬を下してきたエアグルーヴ号
イギリス、アイルランドで活躍した外国産の名馬、ピルサドスキー号

…彼らの台頭の前に惜敗することが多くなりました
更にはシルクジャスティスやサイレンススズカといった、徐々に頭角を露わにしていった世代も現れ始め、その中でバブルガムフェローは有馬記念を最後に引退しました
現在、バブルガムフェローを所有する社台ホースレーシング様からは、ネオユニヴァースを始め、ジャングルポケット、サウンズオブアースといった名馬達がウマ娘として登場しています
その他、同じ時期にクラシックに名前を残したエアグルーヴもウマ娘として登場しており、その人気も登場するキャラクターの中でも特に大きなものです
今後バブルガムフェローが登場したならば、エアグルーヴとの絡みが期待されると共に、エアグルーヴの新たな一面が明らかになることを期待したいです
ただでさえシンボリルドルフやドゥラメンテで手を焼いているのに更に増えるとなるとエアグルーヴのメンタルが心配ですが

3.ロジータ

ーーロジータ号

父はミルジョージ。米国産の種牡馬であり、産駒には、地方競馬でキングハイセイコーと共に名を轟かすこととなるロッキーステート号
オグリキャップ、スーパークリークと並び平成三強と称されたイナリワン号を輩出した名馬です
後にブルードメアサイアー(人間で言う所の母方の祖父)としては、セイウンスカイ号を輩出することとなります
ミルジョージの血を引く競走馬達は、皆中距離から長距離までの長い距離を走り、芝・ダート、重馬場などで力強い走りを見せる反面、スピードが伸びにくいという特徴を見せていました
また、ミルジョージは気性が荒く、産駒であるイナリワンはこの気性の荒さを見事に引き継いでおりました
『谷間の百合』という意味の名を持つロジータも、馬房で暴れた末、後ろ脚で天井を蹴り抜くというエピソードを有するぐらいには気性が荒い部分が見られました
なお、調教には素直に従うという、気性が荒いだけではない一面も見せていたようです

ロジータは3歳(現・2歳)で1988年にデビュー、初戦を快勝し、4戦2勝という戦績を残しました
翌年、4歳(現・3歳)になったロジータはニューイヤーカップで初の重賞を制覇すると、流れるように京浜盃、桜花賞(浦和競馬場)と連戦連勝、ロジータの強さを見た陣営は、それを皮切りに南関東三冠へと舵を切る決断をしました

・南関東三冠とはーー
俗にいう中央競馬とは異なり、大井、船橋、浦和、川崎の、南関東の競馬場からなるクラシック牡馬三冠レースのことを指します
中央競馬との最大の違いは、コースが芝ではなくダートであることです
そういった意味では、中央競馬とは一線を画しているとも言えます
三冠に該当するレースは、以下の通りとなっています
1.羽田盃(大井競馬場、1,800メートル)
2.東京ダービー(大井競馬場、2,000メートル)
※3.東京王冠賞(大井競馬場、2,600メートル)
(※2001年に廃止)
※3.ジャパンダートダービー(大井競馬場、2,000メートル)
(※2001年以降、三冠レースとしての位置付けになりました)

ーーActiveHatoriさんより、1989年羽田盃

ーーActiveHatoriさんより、1989年東京ダービー

挑戦ーーという言葉など似つかわしくないほどに、ロジータはあっはりと羽田盃、東京ダービーを二連勝
ここにロジータは、地方競馬においてその存在感を大いに発揮することとなりました

ーー羽田盃勝利後のロジータ号
ーー東京ダービー勝利後のロジータ号

その後、報知オールスターにおいて初めての古馬戦線に身を置く競走馬と競い2着を記録
余勢を駆って中央・地方交流重賞であるオールカマーへと出走しましたが、ここにとある大物が参戦していました

ーーオグリキャップ号

芦毛の怪物・オグリキャップーー
当時の日本を席巻した最強の競走馬が、春のシーズンを全休し、復帰戦としてオールカマーに出走していたのです
結果、オグリキャップはレコードタイムを記録、復帰明けとは思えない尋常ではない強さの前に、ロジータは5着と、掲示板外にギリギリ入り込むという結果となりました
ただし、この時ロジータはオグリキャップとコンマ7秒の差で5着を取っており、あるいはオグリキャップに及ぶ可能性すら見せるほどの大健闘であったとも言える状況でした
いずれにせよ、このオールカマー5着によってロジータはジャパンカップへの出走権を手にしました
ジャパンカップ、日本代表、ひいては地方競馬代表という肩書きを得たロジータは、南関東三冠最後の一角、東京王冠賞へと出走

ーーActiveHatoriさんより、1989年東京王冠賞

並み居る牡馬を越え、ロジータは南関東三冠を達成。その存在感はいよいよもってピークを迎え、ジャパンカップへと出走するに至りました
結果は残念ながら15着。シンガリ負けという、ロジータの戦績の中で唯一と言っていいほどの惨敗を喫し、ニュージーランドの女傑・ホーリックスの栄光の影に隠れる結果となってしまいます
その後、年末のビッグレース・東京大賞典に2番人気で出走

ーーActiveHatoriさんより、1989年東京大賞典

ジャパンカップでの敗戦とは打って変わり、並み居る古馬を相手に、外から馬なりで圧勝
この頃から多くのファンの間で、ロジータには『南関東最強』としての評価が上がることとなりました
その後は川崎記念をラストランに引退、当時はオグリキャップによって競馬人気が高かったこともあり、川崎競馬場は動員数の記録を更新しました

ーーTARA19881006さんより、1990年川崎記念

ロジータの引退後、1990年12月より『ロジータ記念』と呼ばれる牝馬限定の重賞レースが新設、その名前は地方競馬の歴史に刻まれることとなりました

ロジータがウマ娘として実装されたならば、当時の競馬界隈を共に賑わせたオグリキャップはもちろん、ミルジョージを父親に持つイナリワン、血統であるセイウンスカイなどと何かしらの関わり合いが生じるかもしれません
問題点があるとすれば、現状としてアプリにおけるウマ娘には、ロジータが活躍した地方のレースが未実装である点でしょうか
東京大賞典はリリース当初から、川崎記念はアプリが実装してからしばらくの月日を経て登場しましたが、他のレースは未だに登場できずじまいという状況です
ロジータの物語を描く上で、地方競馬の話が懸念点とは述べましたが、
ハルウララという中央未出走の競走馬がウマ娘として登場しているので、既に前例自体は存在しています
ロジータがある日突然ウマ娘として登場する…という可能性も十分あり得るというのが、私個人の見解です

4.サニーブライアン

ーーサニーブライアン号

ナリタブライアン、マヤノトップガンといった名馬を輩出した種牡馬・ブライアンズタイムを父に持ち、逃げ馬として鮮烈な記録を残した競走馬の一頭です
母親は、良血と言われたスイフトスワロー号の産駒であるサニースイフト号

1996年10月5日、東京競馬場でそのデビュー戦は行われました
レースに出走するのは、ウイニングチケットの妹であるスカラシップ号が出走していました
ウイニングチケットと言えば、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンと並びBNWと称された三強の一角、騎手である柴田 政人氏にダービーをもたらした兄の名は偉大であり、そんな彼の妹に、多くのファンは期待していました
一方、サニーブライアンはというと…あまり注目を浴びている存在とは言えませんでした。
しかし、いざレースが行われると、その圧倒的な逃げで見事スカラシップに勝利、思わぬ勝利に、競馬場に訪れた人々はサニーブライアンの姿を覚えることとなりました
その後はーー


・1996.11.2 百日草特別 5着 
・1996.11.17 府中3歳ステークス 7着
・1996.12.15 ひいらぎ賞 5着
・1997.1.7 若竹賞 2着

と、勝ち切れないレースが続くようになりました
一応その後のジュニアカップでは1着を取りましたが、皐月賞のトライアルレースである弥生賞では3着でゴールイン、自身よりも人気の高いエアガッツ号とサイレンススズカ号には先着しましたが…どうにも煮え切らない結果となってしまいました
むしろこの時、クラシック有力候補としては、ランニングゲイル号の方が注目度が高いものとなっていました

1997年4月13日、皐月賞
1番人気はメジロライアン初年度産駒・メジロブライト号、2番人気は弥生賞を通過したランニングゲイル号
サニーブライアンはこの時、11番人気であり、注目を浴びているとは考え難く、オマケ、逃げ馬にとっては不利な状況である大外18番枠に収まるという有様でした
しかし、いざレースが始まると、サニーブライアンは内側を一気に追い越し、先頭を走る体勢となりました。実のところ、騎手の大西 直宏氏はこの時、「皐月賞に出るならば大外枠が良い」と思っていたらしく、神よりの天啓か嘲笑か、サニーブライアンは元来不利であるはずの大外枠に立つことができました
大西氏の信頼な応えるように先頭でのスタートダッシュを切ったサニーブライアンでしたが、第一コーナー付近でテイエムキングオーに先頭を奪われてしまいます
更には最終コーナー付近で、テイエムトップダンが進出、くんずほぐれずの状態で最終直線へ向かいます
最終直線、サニーブライアンと馬群との間には3馬身もの差が空いていました。この差を埋めるべく外側からメジロブライトが進出を開始、内側からはシルクライトニングが迫り、逃げるサニーブライアンを差し込もうと17頭の馬が一気に迫ります
3馬身もあった差も、ゴールまでの差ももう既に無いという状況、サニーブライアンは見事に逃げ切って見せました
11番人気でありながら、彼は皐月賞を制覇した馬として世間に名を示し、大番狂せとしてこの日の中山競馬場を賑わせました

一方で、サニーブライアンに対する評価はフロック、すなわち紛れ当たりとの声が多く、この評価を覆すためにも陣営は日本ダービーへの出走を決意
しかしーー目標は同じでも、陣営の方針と大西氏との意見には大きな相違がありました
サニーブライアンの調教師である中尾 銑治氏はダービートライアルのプリンシパルステークスへの出走を決めていたのですが、一方で大西氏はレースに出すことに難色を示していました
このプリンシパルステークスへの出走は、サニーブライアンが未勝利馬に蹴られて怪我をするという事件によって流れてしまいますが、このニュースは評論家やメディアからの嘲笑を招くこととなってしまいました
そのため、ダービーの有力候補には、依然としてメジロブライトとライトニングゲイルが据えられており、更にはーー

・後にエアグルーヴら有力古馬と競い、有馬記念を制覇することとなるシルクジャスティス
・後に天性の逃げ馬として名を馳せ、宝塚記念を制覇することとなるサイレンススズカ
・後にシルクジャスティス、サイレンススズカといった強豪相手に菊花賞で制覇、淀の舞台に福をもたらすマチカネフクキタル

…といった強敵達がダービーへと出走することが決まりました

1997年6月1日、日本ダービー
皐月賞を制覇したにも関わらず、サニーブライアンは6番人気(直前でシルクライトニング号が出走を停止したものの、人気はサニーブライアンより上だったため実質7番人気)という評価の低さで出走、出走枠は奇しくも皐月賞の時と同じく大外18番枠
レース開始直後は、サイレンススズカが内側から躍り出るものの、それ以降は先頭をキープしたまま最終コーナーまで駆け込んで行きました
馬群との差は2馬身、サイレンススズカが内から伺いますが差は埋まらず、しかし外からシルクジャスティスとメジロブライトが迫ってきます
中山競馬場と違い、東京競馬場は直線が長く、誰もが皐月賞の時と違い、サニーブライアンの逃げる作戦は上手くいかないと考えておりました
しかしーー皐月賞の再現度でもいうべき状況か、シルクジャスティスらに追い付かれることなく、サニーブライアンはゴールイン
逃げ馬にとって全ての不利条件が揃っているはずのサニーブライアンが、逃げ切ってゴールインをしたことは、皐月賞はフロックと言っていた人々の評価を大きく覆すこととなりました

その後、菊花賞への出走を表明した陣営。サニーブライアンの逃げを目の当たりにした人たちは、きっと淀の舞台でもあの逃げ馬が勝つのだろうと固唾を飲んでいました
ナリタブライアン以降の三冠馬としての期待も高まった中、骨折が判明。菊花賞出走を断念したことで、その夢は泡となりました
療養中、ダービーで下したシルクジャスティスが有馬記念を制覇、エアグルーヴやマーベラスサンデーといった強豪を打ち破ったことからその強さが評価され、相対的にサニーブライアンの評価も高まることとなりました
天皇賞・春への出走に向けてのトレーニングを計画するも、屈腱炎を発症。引退する運びになりました

サニーブライアン以後、2023年時点でダービーを『逃げ切り勝ち』した競走馬は現れておらず、派手に逃げて二冠を達成した競走馬を奇跡と呼ぶ人も多いです

サニーブライアンの同期でウマ娘として登場しているのは、サイレンススズカを始め、マチカネフクキタル、タイキシャトル、メジロドーベル、シーキングザパール、メジロブライトと非常に多く、特にサイレンススズカとはダービーでの一件、そして逃げ馬という共通点が多いため、二人の絡みが非常に気になるところでもあります
ブライアンズタイム産駒繋がりで、ナリタブライアンやマヤノトップガン、タニノギムレットもいるため、そちらとの会話も気になるところです
何より奇跡の二冠馬と呼ばれるほどのドラマティックなストーリーを辿っているために、ウマ娘として登場したならばどのようなストーリーが、どのような奇跡を起こすのかが気になるところです

5.ステイゴールド

ーーステイゴールド号

名前の由来は、スティービー・ワンダーの名曲『stay gold』より
シルバーコレクター・ブロンズコレクターとして、1997年代の名バイプレイヤーとして活躍した競走馬です
同期にはーー

・宝塚記念を制覇し、その後毎日王冠にて黄金世代の一角を担うグラスワンダー、エルコンドルパサーを圧倒的な逃げで下したサイレンススズカ
・安田記念、マイルCSなど、マイルにおいて最強格と名高いタイキシャトル
・有馬記念において、エアグルーヴ、マーベラスサンデーといった古馬を相手に勝利し、その名を上げたシルクジャスティス
・鮮烈な逃げ脚で皐月賞、日本ダービーを制覇したサニーブライアン
・菊花賞を制覇し、淀の舞台に福をもたらしたマチカネフクキタル
・海外遠征に赴き、日本の競走馬としての誇りを真珠の輝きと共に見せ付けたシーキングザパール
・メジロ牧場最後の切り札にして、春の盾をもたらすこととなるメジロブライト
・そんなメジロブライトと共にデビューし、オークス、秋華賞、エリザベス女王杯を二連覇した名牝メジロドーベル

…といった競走馬が存在していました

そんなステイゴールドは、1996年12月1日にデビュー戦に出走、その時は3着という結果であり、未勝利戦に向かう必要がありましたが、直後に骨膜炎を発症

ーーtnemtniopaさんより、4歳未勝利戦

療養を終え、翌年5月の未勝利戦にてようやく勝利
この頃、サニーブライアンが皐月賞を大番狂せで制覇、更には日本ダービーに勝利し、自らの実力を証明しました
更には、メジロドーベルがオークスを制覇、かつてクラシックG1を制覇できず、無冠の帝王と呼ばれた父・メジロライアンの無念を晴らしました
春のクラシックへの出走権が無かったステイゴールドは、そんな二頭の活躍を尻目に、菊花賞を目標に動くことになりました

ーーfuruemさんより、ステイゴールド全レース
阿寒湖特別は1:08:54より
1997年9月、阿寒湖特別にて勝利
この弾みで、菊花賞トライアルの京都新聞杯へと出走しました。トライアルレースの3着以内に入れば、菊花賞へと進出できる当レースにおいて、ステイゴールドは4着という結果になってしまいました
この時出走していたのはシルクジャスティスとメジロブライトといった強い同期達、しかし彼らを押さえて1着を取ったのは、マチカネフクキタル号でした
残念ながら菊花賞への優先出走権は得られず、今回もまたーーと思いきや、菊花賞への出走を回避する競走馬が現れ、ギリギリという形ですが、滑り込むことができました
しかし…

ーー1997年11月2日
この時のレースに出走していたステイゴールドですが、菊花賞を制覇したのはマチカネフクキタル
神戸新聞杯ではサイレンススズカを、京都新聞杯ではシルクジャスティスとメジロブライトを下し、淀の舞台に福をもたらしました
ステイゴールドは、マチカネフクキタルに引導を渡すことは叶いませんでした
その後はーー

・1997.11.30 ゴールデンホイップトロフィー 2着
・1998.1.17 万葉ステークス 2着
・1998.2.8 松籟ステークス 2着
・1998.2.21 ダイヤモンドステークス 2着

と、2着を4戦連続で記録。その後の日経賞も4着と、いまいち振るわない結果を出します
それでも、ステイゴールドは止まりません
天皇賞・春、彼にとっては未知数となる長距離戦、京都の3,200メートルに立った彼はーー

結果から言えば、メジロブライトの2着に惜しくも敗れてしまいます
出走するメンバーには、昨年の有馬記念において強豪を打ち破り、その強さを露わにしたシルクジャスティスが出走しており、ステイゴールドには向かい風とも言える状態でした
最後の直線、内側から迫るシルクジャスティスに対し、ステイゴールドは内側からメジロブライト目掛けて駆け出しました
しかしーー惜しくもその脚は、ついにメジロブライトには届きませんでした
メジロ牧場に春の盾がもたらされた一方で、ステイゴールドの走りは可能性を生み出しつつあったのです

目黒記念3着を経て、ステイゴールドは宝塚記念に出走、このレースには逃げ馬としての才能を覚醒させたサイレンススズカが出走
その他、女帝・エアグルーヴ、オークスと秋華賞を制覇したメジロ牧場の女傑・メジロドーベル、春の盾をメジロ牧場にもたらした名馬・メジロブライト、有馬記念を制したシルクの名馬・シルクジャスティス
…と、豪華なメンバーが勢揃いすることとなりました
しかし、逃げ馬として覚醒したサイレンススズカの実力は凄まじく、これだけのメンバーが出揃ったなお、彼の影を踏むことすら叶いませんでした
ステイゴールドはというと、最後の直線、外側からシルクジャスティス、エアグルーヴと競う形でサイレンススズカを追って2着という結果を残しました
その差は4分の3馬身、才能を開花させたサイレンススズカの影に踏み込めたのは、後にも先にもステイゴールドただ一頭のみです

この頃になると、ステイゴールドを善戦マンとして応援するファンも増えてきており、彼の勝利を願う人々が徐々に出てくるようになりました
そんな人々の期待に応えるべく、ステイゴールドはG1レースへと数多く出走することになりますが…

・1998.11.1 天皇賞・秋 2着
オフサイドトラップの2着と、ここでも惜敗
しかし、この日、サイレンススズカが故障する事故が発生
「沈黙の日曜日」と呼ばれ、サイレンススズカの生涯が閉じることに…

・1998.11.29 ジャパンカップ 10着
黄金世代のスペシャルウィーク、エルコンドルパサーと初対戦
このレースで1着を取ったエルコンドルパサーは世界へ羽ばたく

・1998.12.27 有馬記念 3着
グラスワンダーの3着に敗れる

・2000.4.30 天皇賞・春 4着
古馬戦線に上がってきたばかりのテイエムオペラオー、ナリタトップロード、ラスカルスズカと初対戦

その後、目黒記念にてようやく勝利、阿寒湖特別より約3年ぶりの勝利となりましたが…
2000年代はかの世紀末覇王・テイエムオペラオーが台頭し始めた時代であり、そこにステイゴールドのために用意されたトロフィーはありませんでした
2001年代に入ると、日経新春杯、ドバイ・シーマ・カップなど、着々と1着を取るようにはなってきました
この内、ドバイ・シーマ・カップは海外のレースになりますが…この時出走していたのはーー
香港ヴァーズを始め国際G1を数多く制覇、去年のドバイ・シーマ・カップにおいて当時のイギリスダービー馬と凱旋門賞馬を押さえて勝利、その後全米ブリーダーズカップにて優勝したファンタスティックライト号が出走していました
ステイゴールドの役割は、この時のドバイ遠征が決まってたトゥザヴィクトリー号の帯同としての意味合いが強く、世界最強の競走馬と争うことになるなど誰も予想していませんでした

ところが、ステイゴールドはそんな心配をよそに見事に勝利
ファンタスティックライトと並んでゴールし、審議と判定の結果、鼻先が僅かに先にゴールラインに触れたことで1着に入りました
ステイゴールドの人気はブービーであり、彼の勝利は国内におけるファンを大いに賑わせました
ドバイの重賞を制覇した史上3頭目の日本の調教馬、そんな偉業を引っ提げてステイゴールドは帰国してきました
その後はーー

・2001.6.24 宝塚記念 4着
テイエムオペラオーを世紀末覇王とするならば、最強の二番手はメイショウドトウ
そんなメイショウドトウの執念が通じた一戦、そんなレースで、ステイゴールドは4着でゴール

・2001.10.7 京都大賞典 失格
斜行によりナリタトップロードの進路を妨害、失格判定とされた

・2001.10.28 天皇賞・秋 7着
真の変態勇者と呼ばれ、芝とダートのG1を制覇するという偉業をアグネスデジタルが成し遂げる

・2001.11.25 ジャパンカップ 4着
当時のクラシック世代であるジャングルポケットが勝利、この後、マンハッタンカフェが有馬記念を制覇し、世紀末覇王の独裁は終焉を迎える

結局ステイゴールドが大舞台に立つことはなく、2001年12月16日の香港ヴァーズを最後に、ステイゴールドは引退することになりました
そこでーーステイゴールドを応援し続けた人々は、奇跡を目の当たりにすることとなりました

ーーkeiba varietyさんより、2001年12月16日 香港ヴァーズ

香港ヴァーズに出走したエクラール号はドバイ、アメリカなど各地を転戦した歴戦の競走馬
その速さはすさまじく、最終コーナーを越えた先で、エクラール号は3馬身もの差を付けた逃げを展開していました
それどころかエクラール号は更にスピードを上げていき、徐々にその差は開いていくばかり。そんな中で飛び出して行ったのが、ステイゴールド
これまで善戦マンとして、名バイプレイヤーとして名を馳せたステイゴールドが飛び出した姿に観客達は湧き立ち、アナウンサーも「差し切れるか!?差し切れっ!!」と興奮
そんなファンの期待を乗せて、日本の期待を乗せてステイゴールドは徐々にエクラールとの差を縮めていき…

アタマ差を交わし、ゴールイン。ステイゴールドの最初で最後の、G1タイトル獲得となりました

香港ヴァーズでの勝利は多くのファンに歓喜をもたらし、また、史上初となる『日本産競走馬による海外G1制覇』という偉業を打ち立てることとなりました

愛さずにいられない。

時代に新たな最強馬が現れるたび、いつも果敢に挑んでいくあなたの姿がある。

黒鹿毛に輝く小さな身体を力いっぱい弾ませて。最後の直線にすべての勝負を懸けて。

先頭でゴールを駆け抜ける一頭がどの馬だったとしても、あなたのその姿にたくさんの声援が贈られるだろう。

ステイゴールド。もう誰もがあなたのことを、愛さずにいられない。

ーーJRAヒーロー列伝 No.49 ステイゴールド

その後、種牡馬となったステイゴールドは、オルフェーヴル、ゴールドシップ、ドリームジャーニー、ナカヤマフェスタ、オジュウチョウサンといった名馬達の父親として名を残すこととなります
名種牡馬にしてアイドルホース、その存在は、引退から20年以上経った今でも、年齢問わず、多くの競馬ファンを惹きつけています

黄金旅程』ーー香港ヴァーズで表示されたステイゴールドの名前です
その名前はまさに、奇跡を起こすステイゴールドの競走馬生涯を表したものと
言えるでしょう

6.最後に

2023年12月5日現在、実在する競走馬をモチーフとするウマ娘は合計で100人います
今後もその存在が増えていくことは確実であり、中には名前だけが登場しているウマ娘もいます
メジロラモーヌがその最初の例であり、当初はメジロドーベルのシナリオで名前だけが言及されましたが、後に正式な新キャラクターとして登場、今ではお馴染みのメンバーとなっています

ーーメジロドーベルの育成シナリオ内で名前が言及されたメジロラモーヌ


ーーウマ娘におけるメジロラモーヌ


また、ヤマニンゼファーは、アニメにモチーフとなったモブキャラクターが登場しましたが、後にアプリ版にて正式な新キャラクターとして登場
モブキャラクターとは大きく異なるビジュアルを披露しました

ーー『ウマ娘プリティーダービー Season2』
安田記念でガッツポーズを取るヤマニンゼファーをモチーフとしたモブウマ娘
ーーウマ娘におけるヤマニンゼファー

今回紹介した競走馬の中でも、ステイゴールドをモチーフとしたとされるモブキャラクターが存在しています

ーーアニメ『ウマ娘プリティーダービー』に登場し、宝塚記念ではサイレンススズカを相手に2着め食らい付いたウマ娘

彼女の名前は『キンイロリョテイ
当然ながら彼女のモチーフはステイゴールドであり、モブキャラクターでありながら圧倒的な人気を誇り、pixiv等のイラストサイトでは彼女のイラストが数多く投稿されています
ひとえに、キンイロリョテイのモチーフとなったステイゴールドの人気の高さが伺えます

馬の数だけドラマがあり、そのドラマが人々を感動させる。競馬もウマ娘も、形は違えどその本質は同じであるように思えます
私も感動した人間の一人であり、この感動を分かち合いたいと思い、当記事を執筆いたしました

ここまで記事を読んでいただき、ありがとうございます
この記事をきっかけに、ウマ娘に興味が湧いたという方がいらっしゃれば幸いです

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