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「描くこと」がつなぐこと~激動の時代の「大人」の葛藤と、未来を構想するために大事な「子ども」の感覚(後編)

「これまでのやり方が通じない激動の時代の中で、私たちはどうやって未来を構想してゆけばよいんだろう?」
企業、行政、教育等、多くの組織の方が危機感を感じ、悩んでいます。

前編では、この危機感に対して、未来を構想をしていくときに大事な要素の一つである、「子ども」の感覚~解釈の多様さや意味の広がりを受け入れること、解放、身体性~について、解説していきました。

この後編では、未来を構想してゆくための
・大人と子どもの感覚の「橋渡し」をすることについての、私たちの発見
自分を描き出すリフレクションツール「えがっきー」を開発した根底にある思い
について、お届けしたいと思います!

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↓えがっきーの体験ワークショップについては、こちらの記事にて詳しくご紹介しています!



「常識とか型って、どう破ればいいのさ」問題

過去の常識が通じない現代社会だからこそ、「常識を破ろう」「正解探しではなく問いを発見しよう」というような問いかけが広がっています。(上で述べた「子どもの感覚にもどる」ということの大事さも、そうした問いかけの一つといえるでしょう。)

こうした問いかけは、単なる表層的な行動の変化のみを言及しているわけではなく、行動の規範となる「態度」を変えていくことも示唆しています。

「態度」は育つ中で培ってきた、全ての行動の規範を支える根幹的なものだからこそ。「態度」を変えてゆくということは、簡単なことではありません。

問いかけの大事さは重々わかってはいるけれど、気づけば延長線上で考えてしまっている。
これまで培ってきた方法も大事だからこそ、それ以外の方法で考えることに、戸惑ってしまう。
「常識を破ろう」という問いかけの裏には、飛び越えたくても飛び越えられない、そんな葛藤があるのではないかと私たちは感じています。

感性の暴力に晒されている人の力になれる「枠を破るための枠」

そんな風に、大人たちが抱えている葛藤を見てきた中で。
自分を描き出すリフレクションツール「えがっきー」の体験に参加された、ビジュアルファシリテーターのアオナミユミコさんは、「感性の暴力に晒されている人たちがいる」というように表現し、こんなメッセージをくださいました。

「どうやって常識とか型をやぶればよいのだろう?」と葛藤を抱える人に対して、跳び石となれるのが、枠を破るための枠(=描くフォーマット)であること。

また、その枠を破るための枠の存在として、リフレクションツール「えがっきー」の可能性を感じていること。


私たちは、普段「描く」ことを、ビジョン創出やデザインプロセス構築、組織変革の活動の中心に据えています。「描く」ということは、いまない未来を構想する態度をインストールすることにもつながると確信しているからです。

もちろんそうした態度は一朝一夕でインストールできるものではありません。手を動かしながら、考え、模索しながら、泥臭く一歩ずつ踏み出していくのが現実です。
その泥臭さ、道なき道を歩むのって、不安ですし、とても大変です。

でも、そうした道なき道を共に歩んでいく跳び石(=枠を破るための枠)があることで。
きっと多様な人たちが、新しい未来をつくる道を一緒に歩むことができるのではないかと思うのです。

※追記:アオナミさんが本記事で紹介したツイートについて、記事をあげてくださいました!ぜひご覧くださいませ。


「描くこと」がつなぐこと

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大人の感覚と、子供の感覚。
一様な意味と、多様な意味。
枠と、自由。
常識と、常識を超えたこと。
正解と、問い。
既にある道と、道なき道。

どちらか片方だけでは、新しい未来を創ることはできません。
激動する時代の「未来の描き方」ワークショップや、リフレクションツール「えがっきー」の開発を行ってきた中で。
私たちは、「描く」という行為は、このような一見すると矛盾するもの同士をつなぎ、ハーモニーを奏で、一緒に未来をうみだすための力とする行為なのだと改めて認識しました。

ワークショップに参加してくださった方々も、きっと様々な立場から、この力を感じて、未来を生み出してゆく芽を見ているのだと思います。

こうした声をうけて、グラグリッド一同、これからも「これからを描きつくる」ことに力を尽くしていこうと改めて決意を固めた次第です。

組織も、プロジェクトも、少しずつ少しずつ成長してきているグラグリッド。サイトのほうでもプロジェクトのストーリーをご紹介していきます!
ぜひご期待ください。

(和田)




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