慰安旅行

労働組合が主宰の社員旅行に行った。柄にもなく。といっても日帰りで、日本海沿いの旅館でカニ料理と露天風呂を楽しみお土産を買って帰る、というシンプルなしおり。自由参加で今まで行ったことは無かった。今回、元気のない俺を先輩が誘ってくれたのだ。

カニはうまかった。プリプリでしなってた。カニ奉行がたくさんいた。彼らに任せた。こういう時は強制されるほうが有難い。黙ってりゃうまいカニを食えるし、色々手伝ってくれる。途中でもう腹一杯になってきた。そこに鍋の具材がデデン!とやってきた。「このあと雑炊の準備もありますからねぇ」と現地のおばちゃんが言った。抱き締めたくなった。周りは出来上がってる。オッサンがガハガハ笑ってる。カニを前にすると、争いはなくなる。徳利ボーリング大会が始まる勢い。

俺たちは食事の途中だが露天へと向かった。風呂は貸切状態だった。雪景色と断崖絶壁と日本海。海が近い。波が打つ不規則なリズム。廃れきった防波堤と洞窟が見えた。俺は日本海が好きなのかもしれない、と思った。ここで生まれ育ったら、俺は漁師になっていただろうか。分校から甲子園を目指していただろうか。消防団に入っていただろうか。隣町の土産物屋の女の子に片想いをしていただろうか。鳥の群れと煙突と終わりそうで終わらないストーリー。ここに流行りの外国のコーヒー屋はない。誰も求めてないのだ。インターネットが世界を狭くしたとかなんとか言うが、それは嘘だ。都会の人は、みんな都会に憧れてると思い込んでるかもしれないけど、ここに住んでる人は都会に興味がないと言うことがはっきりわかった。ここではエレクトロロックなんか聴きたくない、演歌を聴きたい。何か、いいな、それもそれで、と思った。

そんな事を考えながら素っ裸で海を眺めた。帯状疱疹のあとはほぼ消えた。風呂に浸かった。リフレッシュした。帰る前、全員で記念写真を撮った。俺は今日社会人になった。バスは一時間程走り道の駅に寄り、俺はお土産を買った。姉ちゃんにあげよう。寝たきりの時、色々お世話になった。なのに色んな商品を前にして少しケチりたくなった。「大福餅好きそうやけどサブレのほうが安いな、、」、、そこは自然と奮発する自分でいたかった。情けなし。何とかかんとか買った。自分にはきな粉棒と豆を買った。だから何やって話やけど。

新大阪駅に帰ってきて、解散した。
こんなに眩しかったかな、と思った。
何か、1988年辺りの日本にタイムスリップした気分だったなぁ~。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?