先にあるもの

「私は2年も我慢したのだ」と、彼女は言う。
不満はあった、でも、それを長年にわたって受け入れてきた。
もう限界だ。と。

しかしなあ、と思う。

堪えてきた努力や注いだ力は立派かもしれない。
とはいえ、それは正しい力の注ぎ方だったのだろうか、と。

我慢をせずに不満の声をあげた場合と、
我慢をして不満を長年溜め込んだ場合と、
結果は差があっただろうか。

ない場合、我慢をした期間が長ければ長いほど傷になる。
たったの1回の我慢はかすり傷でも、長年同じところに傷が入り続ければ、それは大きな溝となって立ちはだかる。
それは最善の判断であっただろうか。

我慢というのは、往々にして厄介なバイアスになり得る。
我慢というのは自身が行なうものであるにもかかわらず、
誰かによる抑圧のために選択されるものであったりするのである。
そのため、抑圧の原因になった人へと責任がすり変わりやすいのである。

我慢は少なければ少ないほど、良い。
我慢の反対は自分勝手ではない。
我慢の反対は、我慢しない、であり、それ以上でも以下でもない。

それはおそらく肝に銘じておいても良いことなのだろうと思う。


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