「寂しい」だって、いいやつだ

なんでもいいから追い出したい気持ちの一つに、「言いようのない寂しさ」というやつがいる。
睡眠不足でもない、何かが変わったわけでもない、肌寒くなったわけでもない、でも、どこか寂しい。そんな日がたまにある。

この寂しさというやつは厄介で、理由がわからないもんだから根本的な解決をしてやるのが難しいし、解決しないからどんどん落ち込んでいく。自分一人が一人かのように感じてしまうのである。

昔はこのどうしようもない寂しさに手を焼いていたが、最近になってうまい付き合い方ができるようになってきた。

その付き合い方は簡単で、なんでもいいから自分を喜ばせてやるのである。
言いようのない寂しい日は、自分に対して甘々デーを実施するのだ。やり取りに気を遣う相手とは極力接点を減らして、どうしてもやらなければいけないことだけやれば自分を義務から解放してやって、帰りに好きなご飯をなんでも買ってやるのだ。

おまけに、ちょっとリッチなおやつでも買うかい?と心の中で声をかけてやる。でも、意外と要らなかったりするんだよね、リッチなおやつ。そこで、おや、意外といつも通りじゃあないか、と気がつくわけだ。

つまり、「ああ、自分は今寂しいんだな」と素直に今の自分を受けいれてやるのだ。「ああ〜、寂しい。寂しいってこんな感じだ。じんわり痛むよなあ、どれ、励ましてやるか」という気にさせてやるのだ。変に寂しくないふりなんてしてしまうから、本当の自分と乖離が起こって苦しいのである。

するとどうだろう、「寂しい日」=「自分を甘やかしていい日」ということになる。好きなものを食べていいし、さっさと布団に潜り込んでもいいし、見たい映画を見ても、本を読んでも自由だ。大好きな人と過ごした時間をこれでもかと思い出してもいいし、これからのことを事細かに空想に耽るのも自由だ。

ね、「寂しい」って、案外悪いやつじゃないでしょ。

多分、こうやって世界は変えてゆくのだと思う。


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