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インターンについて思うこと【大学時代編】

インターンについて考えている。
私が学生時代だった頃は、徐々にインターンの位置付けが社会的に変わっていっている真っ只中だった。
大学時代、大学院時代、社会人の自分がインターンについて思うことを、自身の背景を交えて振り返ってみたい。

2012年頃の大学生から見たインターン

私が大学生の頃は、インターンは「みんなが参加するもの」ではなく、「今後のキャリアをとても真面目に考えている」「金銭的に余裕がある」「行動に移せる」の3点を備えた学生がするものだった。
日頃仲良くしていた友人たちは、新卒採用解禁日までは遊んでいたい、そのための資金集め(アルバイト)に忙しかった。あるいは、部活やサークルなど、熱中していることがあり、それに打ち込んでいた。
私自身も、将来のことを楽観視していたし、一時的に遊ぶ資金が減るのは構わないとしても、一人暮らしをしていく資金は必要だ。長期インターンをする金銭的な余裕もなく、友人に誘われて1日だけのプログラムに1度参加しただけだった。

”何もしなかった”大学生を待っていた就職活動の結末

迎えた就職活動の結果は、悲惨なものだった。

推敲を重ねられる書類選考は通過できるが、9割は一次面接を通過できずに終わった。自身の話をして断られるという経験は、ミスマッチを防ぎお互いに良い結果になるようにする選択の一つだったとしても、当時の自分には「社会からの拒絶」のように感じられて落ち込む日々が続いた。

それでもがむしゃらに面接を受け続け、なんとか内定を手にした。

しかし、それも内定後に社内のことを知り、申し訳ない気持ちになりながら辞退して終わった。辞退の旨を伝えた時のことは記憶に焼き付いている。

結末に導いた要因は何か?

要因には、大きく分けてつあるように思えた。

1:世代や環境がまったく違う人と話した経験が少なかった
これまで自分と年齢や環境が近しい人しかいなかったので、まったく違う人に自分を知ってもらうスキルが著しく低かった。自分の中で体系化されていない作業なので、常に同席している学生に引っ張られ、適切なアプローチができていなかった。

2:「働くこと」について表面的にしか考えられていなかった
当時の私は業界をひとくくりにし、職種をひとくくりにしていた。
競合同士の比較は規模でしか見ておらず、社風や事業内容の詳細に踏み込んで解釈していなかった。
福利厚生や待遇の重要性も感じておらう、いざ入社がリアリティを持って目の前に広がった時、やっと「週5日この環境に身を置き、数年過ごすと自分がどうなりそうか?」について想像することができ、自分の希望ではないと気が付いた。

3:「社会人」が未知の存在だった
親、親族、友人、学生、先生。
普段接している人たちとは異なる存在に思えていた。
スーツやオフィスカジュアルな服装に身を包んだ大人たちは、わかりやすく言うと得体が知れず、得体が知れない存在に対して恐れのようなものを抱いていた。当然、そのままの自分を見せることは難しかった。

よく「自己分析が不十分だった」「業界研究が足りなかった」という反省を目にしていたが、端的にまとめるとそういうことになるのだろうか。

もしインターンを経験していたら?

私が後悔するのは、たいてい「しなかったこと」に対してだ。
いわゆる就職活動の失敗を経験した時、私は「アルバイトとは違う形で仕事を経験しておけばよかった」と後悔した。
選択肢はたくさんあって、ボランティア活動を組織として行ったり、サークル活動で役職に就き、運営を行うことも重要な経験になったかもしれない。
上記の原因が全てインターンをすれば解決するというものでもない。しっかりコミュニケーション能力を培っていれば、自身を客観視して振舞う習慣が身についていれば、物事を深く思考することができていれば、こうした結果にはならなかったかもしれない。さらに言うと、これらの能力の欠如は、先天的に不得意である可能性もある。
にも関わらず、私は「具体的な仕事に就けるインターンをしていれば、結果が変わったのかもしれない」という発想に至った。


いつの間にか刷り込まれていた、「インターン=就活成功への道」というイメージに強く引っ張られてしまっていたのだろうと思う。
つくづく、視野が狭く浅はかな学生だったと、振り返ると恥ずかしくて頭を抱えてしまう。
しかし、当時の自分にはこれが考えられる精一杯の結論だったのだ。
大学4年生の冬、長期化していた就職活動を中止した。
大学院へ進学し、思考力を鍛えると同時に、インターン活動などの就職に向けての活動を積極的に行うことを決めた。

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