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堀 辰雄ー郷愁の信濃路とレンブラント

『燃ゆる頬・聖家族』堀辰雄著 新潮文庫/『菜穂子・楡の家』堀辰雄著 新潮文庫/『かげろふの日記・曠野』堀辰雄著 新潮文庫/『大和路・信濃路』堀辰雄著 新潮文庫/『風立ちぬ・聖家族他三篇』堀辰雄著 旺文社文庫

堀 辰雄は1904年(明治37)堀家の跡取りとして生後まもなく麹町に住んだ。17歳のころ旧制高等学校で神西清と親交を結んだ。同期には小林秀雄、深田久弥がいた。その後、肺結核を患い療養した軽井沢は、堀の作品の舞台となった。堀は荻原朔太郎や芥川龍之介をはじめ、ジャン・コクトーやレイモン・ラディゲなどに親しんだ。
20歳代の後半、長野県のサナトリウム病床では神西から送られたマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」を愛読し、このころ立原道造とも出会った。31歳の時、同じサナトリウムに身を寄せていた許嫁が死亡した。
その後、軽井沢や鎌倉、信濃追分などに移り住み、多恵子夫人に看取られて49歳で亡くなった。

齢60の後半を迎えた僕の現在までの趣味、文学や芸術、音楽における嗜好は20歳代を通して読み耽った、この堀辰雄の作品が大きく影響しているのではないかと最近、思うようになった。
特に高等教育での学問を受けていない僕にとって、本は自由に手に取れる知的欲求を得られる(身についたかは別にして)最高の師であった。乏しい経済力で様々な本を読んできたが、堀辰雄の作品はそのフランス風のロマンと西洋絵画や長野の山岳と高原の風を感じさせるもっとも耽読できるものだった。

例えば『風立ちぬ』の節子 、『菜穂子』や『レンブラントの偽画』の彼女の雰囲気は僕の好ましい女性像を形創ったかもしれない。
また堀や許嫁が療養した長野県諏訪の富士見サナトリウム(現 富士見高原病院)は八ヶ岳の麓にあり、富士山や八ヶ岳を眺望できる高原にある。僕は山岳、特に八ヶ岳に憧れ30歳代は山に登ってばかりいた。
ルネサンスやロココ、印象派などの西洋絵画を鑑賞するのも好きで、プルーストと同じように堀の作品にも絵画のイメージが潜んでいたりする。

現在は堀辰雄の作品が語られることはほとんどないように思えるが、かつての自分を思い出して、再読したり、信濃追分の油やにはぜひ一度言ったみたいと思っている。

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