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変化することをおそれない。変わっていく自分を楽しむ。

7月16日(火)

日記を毎日更新することを最優先に仕事や遊びの予定を立て始めている。

その日を振り返って出来事の断片を拾い上げて、そのときどう感じたかを改めて自分に問いかける。最初は思いつくままに書きなぐり、時間を置いてから、人に見てもらえるように試行錯誤しながら推敲する。

大事なものと気づかずにゴミ箱に捨てたり、机の上に乱雑に積み重ねてきた雑多なものたちを、ほこりを払って、じっくり観察して、それが一番美しく見えるように組み合わせて飾り棚に並べていく、そんな作業。
そんな作業を経て、なんでもない一日や、行き場のない自分の感情がとてもいとおしいものだと思えるようになる。

義務感にかられて、無理に時間を作っているという感覚はない。その時間が食事時間や睡眠時間と同じように私にとって必要だったというだけ。

というわけで、仕事が終わった後、夜九時開始のホットヨガのレッスンまでの時間、カフェで日記を書いていた。本当は職場の若手飲み会(といっても中途採用者が多いので平均年齢がオーバーサーティー)に誘われていたのだが、断ってしまった。
大勢の飲み会が年々苦手になっていく。みんな声が大きくて落ち着かないし、あちこちに気を使って本心をしゃべることもできないし、たくさん飲めばいじられるし、たくさん食べれば太るしで、だったら日記を書いて大好きな先生のヨガのレッスンに行こうという結論になった。

私は酒好きで知られているので、飲みの誘いを断ると大抵びっくりされるのだけれど、別にお酒が好きなだけであなたたちと飲みたいわけじゃないの! というわけで、びっくりされたことにこちらがびっくりする。「僕も校了明けだから早乙女さんと一緒に死ぬまで飲もうと思ったのに、残念です」と幹事の男の子に声をかけられたけれど、人を勝手に酒心中に巻き込むのはやめてほしい。
私は生きておいしいお酒を飲みたい。

さて、一昨日、スーパー銭湯の洗い場で物置台に置いていた洗面具のセットが、サウナから出たら見当たらなくなっていたことに、現在進行形で地味にへこんでいる。別に高級ブランド品とかでもないし、買い直せばいいだけなのだけれど。
ジップロックの袋にぐちゃぐちゃに使いかけの色々を放り込んでいただけで、決して間違えて持って行ったり、勝手に拝借して使いたくなるような代物ではなかった。それでも人の傘を勝手に持って行く人もぼろぼろのビニール傘を狙うというから、やっぱりそういうものなのかもしれない。

持って行った人を責める気にもならないけれど、自責の余地がない不運はきついな、苦手だな、と思う。自分の不注意で忘れたとか落としたとかこぼしたという方がずいぶん気が楽だ。反省や自虐は自分を慰めるためのものなのだなと思った。

というわけで、ヨガスタジオの近くのファミリーマートで肌ラボの極潤洗顔セットを買い直した。ヨガのレッスン中に飲むミネラルウォーターと併せて1254円。
レジで財布を開けたときに、昨日から小銭入れ部分のファスナーが壊れて動かなくなっていたことを思い出してまた落ち込む。小銭がこぼれないように対策を考えなくてはいけない(小銭は全部募金するとか、小銭が残らないように駄菓子を買うとか)。

私は片づけられないわりに(だからこそ?)物持ちはいいタイプの人間なのだが、そんな人間にも、ありとあらゆるものが次々に壊れたりなくなったりして自分から離れていく時期、というのがたしかに存在する。前回その時期が訪れたのは三年ほど前で、私はちょうどその直後に離婚と転職を経験したのだった(『早稲女×三十歳』っていう同人誌に色々書いたよ! よかったら読んでね!)。

もしや、まさかまた、何か大きく人生が動くのだろうか。

でも、ものが自分から離れていくことを、悪いことが起きる予兆だと思いこむより、人生の転換の前触れだと思ってわくわくする方が精神衛生上ずっといい、気はする。

いろんなものをなくさないように両腕に抱え込んで、じっとうずくまっているのは性に合わない。

ゼミでお世話になった指導教授が何かの授業のときに言っていた。

「変化することをおそれないで。変わっていく自分を楽しむの」

不勉強な院生だった私が、その言葉だけはしっかりノートに書き留めた。それは自分の人生の指標になる言葉だという、たしかな予感があった。

日記を書いているうちにそんなことを思い出して、過去よりも未来に目が向いた。なくなった洗面用具や壊れた財布への執着も少し薄れた。日記に感謝。

#日記 #酒 #早稲女三十歳

日記を読んでくださってありがとうございます。サポートは文学フリマ東京で頒布する同人誌の製作(+お酒とサウナ)に使わせていただきます。