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半裸中年男性との闘い、元夫との面会

8月7日(水)

昨日のリベンジのため、今日も早めに起きて近所のパン屋にフランクを食べに向かった。店に入った瞬間に、ガラスケースの中のフランクの存在を確認! ラスト一個! やっと会えたね! と思った瞬間に、店員さんが持った銀色のトングで運び出されるフランク。あれ、まだ注文もしてないのに私がフランク食べたかったのわかっちゃった? まあ三回に二回はこれ食べてるからなーわかっちゃうよなーと思ったら、私の前で会計をしていた人が、フランクの最後の一つを注文していたのだった。ああ私のフランクがテイクアウトの紙袋に吸い込まれていく。

というわけで今日もフランクにありつけず、やけっぱちで朝っぱらからカツサンドをむしゃむしゃ食べたのでした。カツサンドもとてもおいしかったです。

出勤すると、閑散期のオフィスにはぷよぷよの上半身を丸見えにして座っているおじさんしかいなかった。誰もいないから油断していたのだろうが、いくらなんでも職場で上裸はないだろう(ランニングシャツ一枚で働いている人は閑散期でなくてもふつうにいる)。風呂上がりの父親を思いだしてうんざりした気持ちになりつつ、ふつうに挨拶すると、言い訳のように大声であちーあちー言っている。私と二人きりの空間で上裸で居続ける勇気はないらしくすぐにシャツを着たのでまあ許す。しかしそいつが通りすがりに、私がつけていた魔女みの強いイヤリングを見て、「おい、耳に何かぶどうみたいなのぶらさがってんぞ」と言い出したので一気に沸点を超えた。なんで公共の場で自分の肌を布一枚覆うことも出来ない野生動物のくせに、女のつけてる装飾品をとやかく言う権利があると思えるんだ? 自分がどう見られるかなんて気にしないで、あくまで自分は見てジャッジする主体だと信じ込めるその無邪気さ、意味不明。逆に、女にうっかり弱み見せたけど相手の容姿にケチつけてやったからこれで形勢逆転だぜ! みたいなつもりなのかな。こっちは戦う気ないのに迷惑すぎる。

昨日読んだ王谷晶『どうせカラダが目当てでしょ?』の影響で、私の身体は私のものだ!! モードが続いていたので、憤りがおさまらず、こっちがきちんとした格好してても一ミリもきちんとしてないおっさんにとやかく言われるならもっとぶっとんだ格好してやる! という気持ちで、次に美容院行ったら今のショートボブヘアの耳周りにピンクのインナーカラーで入れることを決意。

また日傘を差して別棟に移動し、他業務のサポートに入る。今日も待機時間が多くて日記がはかどるはかどる。繁忙期になって仕事がもっと忙しくなったら同じペースで同じ分量日記を書き続けられるだろうか。書き終わって、中島京子『長いお別れ』を読む。認知症が進む老人と、それを見守る家族の物語。第一話、後楽園遊園地にさまよい込んだ老人が、見ず知らずの幼い姉妹に頼まれて一緒にメリーゴーランドに乗るシーンが美しすぎて、たしかにこれは映画化するしかないと思った。レンタル始まったら借りてこよう。

二時に仕事を強制終了させる。今日は元夫と面会する日だ。同じゼミ出身で共通の友人も多く、本の話や仕事の話もできるしお互い文フリに出ているしということで数ヶ月に一度会っている。元々中央線沿線で二人で暮らしていたので今でも中央線沿線で会うことが多い。私の最近のマイブームが西荻散策なので今回は西荻窪集合になった。

私の方が二十分ほど早く到着したので、あずきと玄米に力を入れているらしい古民家カフェ・hanaを訪れた。土間で靴を脱いで上がると畳敷きの部屋に通される。おばあちゃんちのにおいがする。玄関から一番近いちゃぶ台を陣取って、壁に背を向けて座布団にぺたんと尻をつく。

しばらくして現れた元夫はそれなりに元気そうだった。元々覇気がある人間ではないので(お互いさまだが)それなりに元気であれば充分だ。彼はたしか小豆や和菓子があまり得意でなかったのではないかと気づき、店の選択を間違えたかと心配になったが、気にするそぶりもなく玄米のおにぎりを頼んでいた。私は、あずきも玄米も満喫できる、あんこときなこのおはぎを頼んだ。

まずはお互いの近況や共通の知人について話す。二十代後半は、仕事で病んだり恋愛に病んだり結婚離婚でばたばたしたり、もうなんか一歩間違えば命を落としたりしても全然おかしくなかった(自分たちも含めて)けれど、三十過ぎてみんな落ち着くべきところに落ち着いたかんじがするよね、という話になり、本当にその通りだと思った。三十代最高。またいずれ、落ち着かないターンが来るのだろうけれどそのときはそのときだ。

続いて、川上未映子『夏物語』について話す。元夫は未読だったが、いろいろあってあらすじをほぼ把握していたので、私が読んでいてもやもやしていた部分を全部話してしまった。あらすじしか知らないはずの元夫もほぼ私と同じ感想を持っていた。ご都合主義的というか、いろんな登場人物や思想が、作者の思うラストに向かって駒のようにうまく利用されているかんじ。一人一人の登場人物は魅力的なのに。そして取り上げられている思想や社会問題はもっともっと複雑なものだと思う。「意欲作」という言葉は、好きな作品や優れた作品にはあまり使わない、「意欲」は買いますよというエクスキューズ。

読んでいる途中もやもやするところもあったけれど、長さを感じさせない面白い作品ではあったから、自分がこんなにぶわーっと語るほど不満をためていたとは思っていなかった。元夫と話しているとこういうことがよくあって、とめどなく喋りながら、ああ自分はこんな風に思っていたんだなあと初めて気づいて自分で驚くことになる。それはたいていは何か許せなかったり納得がいかなかったり腹を立てたりしていることで、結婚生活の後半にはその許せない対象に元夫本人も含まれてしまって、その感情を私はどうすることもできなくて私は二人で暮らしていた家を出たのだった。それにしても二十代の頃からずっと私の中の「そういうもの」を引きずり出してそれに形を与え続けている元夫は、やはり確実に私の一部を作っている人間なのだと思う。その人が「きみはちゃんとフェミニストしているよ」というのなら、多分私はフェミニストしているんだろう。ちゃんとしているかどうかはともかくとして。

古民家カフェを出るときに、「このカフェ、○○の家に雰囲気似ていない?」と、私たちが一緒に暮らしていた一戸建ての平屋の話を振ってみたが、彼は「ああー言われてみればそうかもね」とそこには何の感慨もないようだった。

同じ通りのおしゃれなイタリアンとおしゃれなバーをはしごする。先に入った店で食べたメインの魚料理が美味しかった。

場所を変えてもただひたすら話す。お互いが最近書いているものについて話していると、元夫は私の日記を毎日追いかけて読んでいるわけではないということがわかった。たしかに私だって、元夫が毎日ブログ的なモノを更新しているからと言ってそれに毎日目を通すかと言われたら多分通さない。数日分ためて一気に読むか、それも時間がかかりそうなら読まなくてもなんとも思わない。それなりにお互いの書き物に理解のある元身内でさえそうなのだから、アップした文章を全部読んでくれる人はもう神様みたいな存在で、タイミング良く流れてきてたまたま時間があれば読んでくれるというだけでも本当に本当にありがたい。だからこそ、誰にどの日記を読まれてもいいように毎日全力で書く(読み手の目を意識して力入れて書いているものがはたして「日記」なのかという問題はあるが)。「書き手の熱量がそのまま読者に共有されるなんてことはない」という元夫の言葉に私は納得する。それでも私が、もっとたくさんの人に自分の文章を読まれたいのだと言うと、元夫は、「数だけたくさん読まれても意味がない」と返す。このやりとりは毎回恒例になりつつある。そういえば結婚していた頃は「もっと貯金を増やさないと」と私が言っては、彼に「きみはいくら貯めれば満足するの」と返されていたのだった。お金を気にするのが愛情に飢えているせいなら、読者の数を気にするのは何のせいだろう。

自分が書き手としてどこを目指しているのか。わからないから今は粛々と書くしかない。元夫は「小説をもっと書け」と言うが、学もなくて想像力もなくてこんなに自分の経験と自分の思ったことしか文章にできないのにどうしたら小説を書けるのかわからない。

帰り道、「きみは海外の文学を読んだ方がいい」と言われて本当にそうだなと思ったけれど、これは多分元夫以外の男に言われたらうげーってなるやつだった。アメリカの作家の名前をいろいろ言われて本当にちゃんと読もうと思ったのに、酔っぱらっていて一人も覚えていないのでもう一回教えてください(私信)。中央線快速のホームで、「逆に僕が今読むべきものはなんだろう?」と言われたので、「とりあえず私の日記を毎日読むべき!!」と言った。どこまでも自己愛。あとは、鳥飼茜『サターンリターン①』がまじですごいから絶対に読んでくれと言ってどこがすごいか語っていたら東京行きの電車が来た。時間はいくらあっても足りない。反対方向の電車を待つ元夫に手を振って一人で乗り込む。空いていた席に座ったら、もうホームは振り返らない。

#日記 #エッセイ #離婚 #結婚 #書くことについて #鳥飼茜 #川上未映子 #夏物語 #西荻窪

追記・この日記は元夫にLINEで送りつけて掲載の許可を得てからアップしました。

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