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「今年の夏は海に行こうね」と、かつて唯一無二だった男が言った。

7月11日(木)

 週に一回のペースでTと飲みに行くようになって、早二年が経った。

 かつて私が『早稲女×三十歳』という同人誌の中で、「唯一無二の第三者」と呼び表していた男だ。もう唯一無二でもなんでもない、ただの腐れ縁の第三者である。

 それでも、お互いに「これを言ったら嫌われるかな」などと考えることなくあれこれ喋り、飲みたいだけ飲み、食べたいだけ食べ、眠くなったら「眠い! 帰ろう!」と言えてしまう関係性はやはり貴重で、この定例会をやめることができずにいる。やめられないことに悩んだ時期もあったが、その居心地のよさを手放す理由もないので、最近は何も考えずにその時間に心身を浸している。

 自宅の最寄り駅について地上に出ると小雨が降っていた。Tは傘を持っていなかったので、私の傘を彼に持たせて、二人でその中に入った。

 向かうは近所にできた米屋併設の居酒屋だ。米屋なので、注文を受けてから炊き始める炊き立ての白ご飯が売りらしいが、私たちは米から作られたお酒と酒に合うつまみにしか興味がない。

 カウンター席に通され、瓶ビールを空けた後は、奥羽自慢や上喜元などの日本酒を次々に頼んだ。この店は、雪のように真っ白な細かい氷を盛った大きな器の中に徳利を入れて、よく冷えた状態で持ってきてくれる。そして、酒の種類を変える度に、たくさんのお猪口が載ったお盆を差し出して、好きな新しいお猪口を選ばせてくれる。何回目かに、私はふざけて、一番大きい湯飲みのような形状のお猪口を勝手に選んでTの前に置いた。自分用は、こじんまりとした朱塗りのお猪口。おかみさんに見られていて、「あらあら」と笑われて恥ずかしかった。サイズの違うお猪口同士をそっと触れ合わせて、今日何度目かの乾杯をする。

新しょうがの佃煮と鮭の粕漬けが美味しかった。日本酒によく合う。きっと炊き立てのご飯と一緒に食べても美味しいだろう。

「今年の夏は海に行こうね」とほろ酔いのTが言った。「ナイトプールもいいね」「浴衣でお祭りも楽しそうだね」「温泉旅行もしたいね」夏休みにやりたいことを、思いつくままにあれこれ言い合う。
なんでも言い合える私たち。思ったことを言葉にするのは自由だ。それが、叶わないとわかっている約束であっても。
実現することのない一つの〈夏〉を、私は小さなお猪口の底に残った日本酒と一緒に飲み干した。

#日記 #日本酒 #あの夏に乾杯 #早稲女三十歳 #唯一無二の第三者

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