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Human basic Idolatry と、仮想的偶像崇拝性増幅装置

書き殴りの怪文章です。怪文章というか、散文章というか。衝動だけ。
VRCアイドルの文脈で読んでくれると嬉しいです。

TL;DR

・VRCアイドルの環境、最高~!
・いつかあなたがアイドルと認められる日を、楽しみにしています。


Human basic Idolatry

シュガラビハーフアニバーサリー ダンス部発表会より れんちょんの「CH4NGE」

Human basic Idolatryとは、推したくなる衝動を相手に植え付ける力の事で、平たく言えば魅力のようなものでしょうか。
アイドルは、推したくなるからアイドルなのか、アイドルだから推したくなるのか。推された結果がアイドルなのか、推されるためにアイドルなのか。
推しという衝動はどこからやってくるのか。

アイドルがアイドルで居続けることは、それだけで高負荷だ。その状態と認知はアイドルという存在を半強制的に競争と比較の海に引きずり込む。その世界は、孤独で歩み続けるにはあまりにも息苦しく、生き苦しい。
ただ、ファンがいる限り、推される限りはその通りとならないこともある。声援をどれだけ力にできるか、期待という圧すら原動力に転換できるか。
これは祈りだ。祈らなければ生きられぬ。だから祈るのだ。

Human basic Idolatryとは、日常だ。それが人格であるからだ。言動や立ち振る舞い、思考や行動。思わずオーディエンスが応援したくなるようなそれらは、積み上げられた人格のアウトプットでしかなく、残酷なまでに鏡なのだ。歩いてきた人生の光も闇も、あらゆる色を映し出す鏡なのだ。

Human basic Idolatryとは、非日常のための努力だ。それが演格であるからだ。ダンスや歌、劇やDJも。思わずオーディエンスを沸かし上げるそれらは、積み上げられた努力のアウトプットでしかなく、残酷なまでに剣なのだ。ただ一振りのために研ぎ澄ますことを怠らぬ、同じ形を一つとして持たぬ剣なのだ。

日常のなかでふと、目の前の相手を推したくなることがある。Human basic Idolatryはそれを肯定する。人間の根本的に秘めているそれが存在することの証言が、Human basic Idolatryだ。誰もが持っているそれが、強いか弱いかの差でしかない。しかし、強い者にはそれだけの理由がある。

そしてそれは、人間同士の関わり合いの中で知覚されるからこそ、完璧となることはあり得ず、また完璧であってはならない。完璧を目指すことこそ、その速度こそがHuman basic Idolatryだからだ。


仮想的偶像崇拝性増幅装置

SS!ダンスリサイタルより あずきさん×きたむぅさんで「神っぽいな」

VRChatとは不思議な環境だ。少々メタな話、現実側の話をするので、苦手な人は読み進めるのをやめた方がいいかもしれない。

VRChatにおけるアイドルのある種の異常性について認知しているだろうか?
彼女ら(もしくは彼ら)は日中は社会人生活をしているのだ。アイドル活動とは、仕事よりも本気で真面目な趣味なのだ。
VRChatにおけるアイドルは、現実の日常において、何者かの目に留まることはないのだろうか。恐らく、それは、ほとんどすべての場合においてないだろう。
現実での一般人が、なぜ突然VRChatでアイドルを始めるのだろう。見た目がかわいいから?しかし、Human basic Idolatryは見た目のかわいさでは説明できない。

VRChatという土壌は、仮想的偶像崇拝性増幅装置Virtual Idolatry Amplifierなのだ。
人間に普遍的に存在する、しかし現実の日常で認知されることのないHuman basic Idolatryを、増幅させ伝搬させる、プラットフォームとコミュニティの相乗効果によって生まれた、極めて巨大な構造なのだ。

Virtual:本質
VRChatは人間の内側の部分、本質を露見させるとはよく言われるものだ。その本質のある一部がHuman basic Idolatryであり、それを露見させる構造構造こそがVRChat、仮想的偶像崇拝性増幅装置なのだ。

特にVRCアイドルの文脈において、アイドルとは、無差別級の表現である。輝くことにおいて表現に制限はなく、物理法則にすら縛られず、やり方次第でいくらでもやりようはあるのだ。
その表現をものにする力こそがHuman basic Idoratryであり、その表現を実現していく環境こそが仮想的偶像崇拝性増幅装置なのだ。


増幅

シュガラビハーフアニバーサリー ダンス部発表会より めびりあん

では、何を以て「増幅」装置なのだろうか。
それこそが仮想的偶像崇拝性増幅装置のコミュニティの部分である。
VRCアイドル界隈のコミュニティにはかなり特徴的な部分がある。簡単に言えば「推しつ推されつ」の関係性だ。同業他者はライバルであると同時に仲間であり、そのような強く緩い関係性がVRCアイドル界隈を取り巻いている。
アイドルとファンとの間の関係性も特徴的だ。アイドルとファンの関係であると同時に、一人のフレンドである。いわゆる地下アイドルにもファンとの距離の近さという特徴は見られるが、それ以上に屈託のない、純粋無垢な関係性がそこに形成されている。

これらの「壁の薄さ」によって、VRCアイドルは極めて相互作用性の高い環境を形成している。
「来てくれた人に楽しんでもらいたい」「あの子の隣に立ちたい」「私もこんなことやってみたい」「最高をつくりたい」
グループ内外問わず、様々な活動はその場にいる人の心を動かす。Human basic Idolatryを刺激する。かくして彼ら/彼女らはアイドルであるのだ。

アイドルは夢を見る。
アイドルは夢を見せる。
そんなアイドルの夢が、また別のアイドルを駆り立てる。そのアイドルはまたいつか、別の夢を見るだろう。別の夢を見せるだろう。その連鎖を以て、「増幅」装置であるのだ。


奇跡


SS!ダンスリサイタルより すいさんの「スピカ」

奇跡は存在するだろうか。
私の答えは「おそらく是」だ。歩んできた軌跡そのものが奇跡であるからだ。VRCアイドルの文脈ならば特に。
「まさか私がアイドルに」というのは常套句であるが、これこそが巨大な舞台構造であるところの仮想的偶像崇拝性増幅装置の為せる技である。仮想的偶像崇拝性増幅装置は現実世界で露見されることのないHuman basic Idolatryを抽出し、可視化し、加速する。

それは神判だ。仮想的偶像崇拝性増幅装置はHuman basic Idolatryの色を、形を、強さを提示する。では、それでもなおHuman basic Idolatryが足りなければ?
仮想的偶像崇拝性増幅装置は、そのことを突きつけることがあるだろう。仮想現実は、現実だ。この仮想現実は優しく、その優しさ故に現実よりも非情である。

仮想的偶像崇拝性増幅装置という名の神判は、あなたがアイドルである限り、あなたに問い続けるだろう。
これは呪詛だ。比較であり競争であるアイドルの陰だ。
呪詛でありながら、祝福だ。認めることによって進むアイドルの光だ。
祝福でありながら、挑戦だ。道なき道を進むアイドル自身が道標だ。

あなたは、あなたのHumann basic Idolatryは、
あなたの思い描く「アイドル」たりえるか?


緞帳

最高でした。

あらゆる舞台はいつか終わりが来る。上がった緞帳は下がるのが定め。しかし、下がった緞帳もいつか上がるのだ。演者はいつも舞台上から語りかける。「また会いましょう」と。
そして次の舞台で、演者も観客も少し日を経て目を合わせるだろう。そしてまた演者は舞台上から語りかける。「また会えたね」と。


オシャレに着替えたら好きになる
これがなきゃSS!ダンスリサイタルは締まらない。

人間は変化する生き物だ。日を経た両者が、何も変わらないことはあり得ない。だからこそ、そこには隠されたもう一つの祈りがあるように思えて仕方がない。変化し続ける人間の、変化しない想いへの祈りが。

「居場所は変わらず待ってるぜ」

これは演者から観客への祈りとは少し違う。これは演者から、次に演者となる観客であるあなたへの祈りだ。仮想的偶像崇拝性増幅装置は、Human basic Idolatryのシナジーだ。相互作用だ。平安時代には歌を贈り合ったそれは、現代では表現を贈り合うことに転化しながら継がれている。

もし、アイドルのステージを、輝きを目にして居ても立っても居られなくなったのなら、その気持ちを忘れないでほしい。そして、挑戦してほしい。あなたの思い描くアイドルを、世界に提示してほしい。
これは、そんなあなたへの祈りであり、メッセージなのだから。

アイドルを名乗ることは簡単だ。しかし、アイドルであり続けることは難しい。だからこそ、「居場所は変わらず待ってるぜ」。焦る必要はない。
アイドルを名乗ることは簡単だ。だからこそ、アイドルであり続けることは難しい。アイドルとは所属することではない。先人たちはそれを証明している

そうしていつの日か、あなたがあなたの思い描くアイドルになったのなら、はじまりの日の気持ちを思い出してほしい。
あの日下がった緞帳を上げるのは、紛れもないあなただから。


諦めるな今は 目指した己の価値に 存在に確信はあるか?

今 己を証明する言葉に魂はあるか?

花譜-魔女


次の次の次の次の次くらいは、私とむんちゃんの番です。
アイドルのステージの上界を破壊しにいきます。お楽しみに。

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