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イヴァンカ氏のワードローブが「国連で不具合を発生」させた理由

先日の小泉進次郎氏の「セクシー」発言についてnoteにポストした直後、友人から「このsexyなファッションにもご意見を」と問われたのが、イヴァンカ氏の国連に出席した際の装い。

今年の国連は「セクシー」がテーマ?

ただ、小泉氏のような「セクシー」という言葉の使い方についての話ではなく、イヴァンカ氏の件は特に日本の方には触れづらいというか、突っ込めないテーマであろう。また、冷静な目線とロジカルな判断で分析しないと本当にいやらしさが出てしまう事柄。

文章としてしっかりまとめて公開するのはどうなのだろう?とも思ったが、FBのコメント欄で述べた見解が流れていってしまうのは残念だし、これは彼女と同性で、NY暮らしをしていて、結構このような件を見慣れている、エグゼクティブ・プレゼンスを専門としている筆者が斬っておくかと思い、こちらにまとめることにした。日本のメディアは、それこそ「セクシー」について扱うことが苦手でしょうから。

以下リンクから見られるのが、国連に出席したイヴァンカ氏のファッション。


今回のこの装いは、白地に黄色いバラが描かれているPradaのスカート。グレイッシュなブルーのシルキーな光沢感のあるブラウス。黒のパンプス。

このブルーのブラウスが不具合を起こしてしまった。どういう不具合かは文字にはしないが、写真をご覧になれば一目瞭然。

この方、否、この手の方はこういう点に非常に鈍感というか、おおらかなのだろう。 多分何も狙っていないし、ましてや「セクシー」になどしようとしていない。それが証拠にこのようなスモーキーな落ち着いたブルーのシャツカラーのブラウスを選び、ボタンは結構上まで閉じ、スカートの黄色いバラで明るさを保とうとしている。

ただ、仇になったのは、ブラウスがぴったりサイズ、一般的なシャツ生地のようにハリがあるものではなく肌に馴染む(沿う)柔らかさ、そして、色の濃さが中途半端、そして光沢感があったこと。彼女のような体型の人は、シャツのようなものを着用する際には注意事項が沢山ある。色っぽさを目立たせないよう、ピシッと見える襟のあるシャツを選んだにもかかわらず、本人と着用物の性質が正反対で、かえって本来のグラマーさが際立ってしまい、エロくなるという現象が大井に起こり得るのだ。

アメリカの記事をいくつか読んだけれど、ずいぶん煽ろうとしているものが多いこと。Nothing under blouse(ブラウスの下に何もない(何も着ていない))などと書いていたりするが、そのようなはずはない。何故なら、これだけ胸周りにボリュームがあるコケイジャン(白人)が、下に何もつけず、この位置にバストがあるわけない。欧米でよくある、ワイヤーは入っている、生地のとても薄いタイプのものを着用しているはず。

イヴァンカのような人は、家をでる前や人前に出る時には必ず全身鏡で自分のスタイルとバランスを確認している。しかし、光の具合まで計算せずに「柔らかくて体に沿う」「光沢がある」という2つの危険要素が掛け合わさったブラウスを選んでしまったのが今回の失敗の一つ。自分のスタイルを最後に確認した場所のライティングと自然光(室外)の違い、そしてUNの会場のライティングの強さや向き、写真のフラッシュはでどうなるかなどまで把握できていなかったであろう。光が強かっやり、真上から当たるとしかに影ができる。光沢があればさらに影と光がはっきりする。その上体にフィットした素材だったら・・・結果は写真の通り。この曖昧な色(汗をかくとシミが目立つ色ともいう)も影が出やすい。これがもっと濃い色だったら、見えることはなかったのに。

それにしても、彼女はこの手のシャツを着慣れていないことが明白なのは、これに合うランジェリーをつけていないこと。前述の「映ってしまっている」問題だけでなく、シャツをすっきり美しく着るには、このように胸元がふんわり見えてしまうのは望ましくなくて、脇がすっきり見えて胸がもう少しコンパクトにまとまるものであることが望まれる。

このブルーのシャツは、本当は好きではないけれど、この場に合わせるべく調達した、彼女のワードローブの中ではイレギュラーなアイテムだったのかもしれない。だから、これでおとなし目にしておけば問題ないだろうと考えたのかもしれないが、大事な部分で注意が欠けてしまったのかも?などと考えてみた。

このイヴァンカの件を「どう思う?」と問うてくれた友人より、「見えるべきではない問題」つながりで出てきたのがパンツやタイトスカート、ボディコンシャスな服を着た時にくっきり見えてしまっているパンティ・ラインについて。

これを「VPL (Visible Panty Line)」というのだが、まさに同じ。

今回のイヴァンカのブラウスにしろ、VPLにしろ、誰が困るかというと、実はご本人ではなく、それを見てしまった他者。見えてしまった申し訳なさというか、気まずさというか、とても恥ずかしい気分にさせられる。

以前、とあるイベントでランジェリー(上の方のもの)があまりに透けて見えてしまっていた知り合いがおり(上からのライトが強く、ご本人が想像していないくらいに透けていた・・・)、セクシーとかおしゃれ感のレベルをはるかに飛び越えており、気の毒になりコソッと伝えたことがあった。伝えたとして、着替えなど持っていないであろうその人に伝えるのは、かえって良くないことなのだろうか?気づかないでいた方が幸せなのか?と、口に出すぎりぎりまで散々悩んだが、「無神経でどエロな人」とレッテル貼られるよりも、その場を退場するなり、誰かの上着を借りるなりと対処の仕方はあるし、それが目に入ってしまう会場にいた他の人々の快適でない感じは若干だけど回避させることはできたのではないかと。

また、どれだけ優秀で人前に出慣れている人でも、非日常な状況は想像しきれないもの。例え知識として持っていたとしても、実際にどうなるかはわかっていない。これくらいと思ったことが足を引っ張る。

いやはや、人の前に出る機会がある人は、「このような装いが大事」だとか、「イメージを良く」だとかに意識が偏りがちだが、それらを良い働きに結びつけるためには、今回のような不具合が起きないよう、いつもは見えていない部分にも気をつけ、必ず第三者のプロフェッショナルの意見を聞くことが大事だ。そうすれば、ご本人も余計な心配や恥ずかしい失敗から解放される。不具合を未然に防ぎ、「守りと攻め」両方において総合的なプレゼンスとそのバランスを考えることが望まれる。

ちなみに後日のイヴァンカ氏は、白のスーツ。「見えるべきではない問題」はクリア。

しかし、レイバー・デーを過ぎたら(夏は終わりなので)白は着ないという部分は・・・まぁこれはファッションということで問題ないでしょう。安心してみていられるというのは、スタイリッシュであることより、何より、相手に良い印象を与えるものだ。また、「いざという時には上着」というのは、こういった点からも重要だと再認識させられた一件である。

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