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安部かすみ:夜中の地下鉄に2年ぶりに乗車。コロナ禍で治安悪化、NY生活20年で初めて感じたこと


ニューヨークの地下鉄(イメージ写真)。(c)Kasumi Abe


ここ最近ニューヨークの地下鉄では、突然見知らぬ者が銃をランダムに発砲するといった無差別の銃撃事件が起きている。銃以外の武器による傷害事件も後を絶たない。


今月22日、チャイナタウン手前のQトレインで、男が突然至近距離から48歳の男性に向け発砲し、男性は病院で死亡が確認された。日曜日の正午前という家族づれがもっとも多い時間帯の犯行だった。


犯人は25歳のアンドリュー・アブドゥーラ(Andrew Abdullah)というギャング組織の一員で暴行、強盗、殺人未遂などさまざまな前科者だった。被害者の男性とは面識もいざこざもなかった。


先月12日もブルックリンの地下鉄車両で無差別の銃乱射事件が発生し、10人が撃たれ19人が負傷した。犯人はフランク・ジェームズ(Frank James)という62歳の男だ。この事件は朝のラッシュアワー時に発生した。


白昼でもこうだから、夜間の犯罪件数はさらに多い。しかも武器は銃だけではない。ナイフを使った傷害事件や線路への突き落としなど、傷害事件は枚挙に遑がない。


SNSを開けば、思わず目を覆いたくなるようなショッキングな映像がニュースフィードに次々と流れ、恐怖心を駆り立てられる。


参照:暴力的なシーンが含まれています。


アジア系らしき男性が集団にボコボコにされている様子

女性が突然男から髪の毛を掴まれている様子


ただ幸いなことに、筆者自身が電車内や路上で暴力事件に巻き込まれたことも、他人が巻き込まれているのも目撃したことは一度もない。暴力事件にしろいざこざレベルのトラブルにしろ交通事故に遭うようなものだと認識し、普段の生活では何事も恐れすぎないように心がけ、電車を日常的に利用している。都市部での生活に、電車移動は必要不可欠なものだからだ。


そんな筆者も、コロナ禍になって1つだけやめたことがある。それは夜中、特に深夜から明け方にかけての地下鉄乗車だ。


実はコロナ前は(身内には止められていたことだが)夜中1時でも2時でもそれ以降でも、必要とあらば1人でも地下鉄に乗っていた。トラブルに巻き込まれた経験がないこともあり、20年までの18年間、夜間の地下鉄利用は常態化していた。その頃を今思い出してみても100%安全なんて保証もなかったわけで、それを承知で完全に気を抜いていたわけではなかったが、それでも電車内を見渡すと、深夜利用の乗客は大抵夜遅くまで飲み歩いて酒が回って遊び疲れた若者が大半で、彼らは帰路の地下鉄で眠りに落ちていて大人しく、他人に迷惑行為をしたり危害を加えたりする空気は微塵もなかった。


夜中の地下鉄。1人で犯罪多発のブロンクスからブルックリンへ

アメリカは、戦没者を弔うメモリアルデー・ウィークエンドを迎えた。市内では関連イベントやパレードが行われ、人々は家族や友人らとバーベキュー、海、キャンプ、小旅行を楽しむ。筆者は今年、郊外に住む友人宅でのバーベキューパーティーに参加した。会場は、海沿いの眺望が贅沢な一軒家の広々としたバックヤード。眼下の海では人々は水上バイクを楽しみ、リラックスした雰囲気だ。そんな開放感あるロケーションの素晴らしさもあってか、友人家族との久しぶりの再会に会話が弾み、あっと言う間に時間は過ぎ、気づけば陽がすっかり落ちていた。


郊外のこのお宅から最寄りの駅まで30分以上はかかり、そこから自宅のブルックリンまで、さらに電車で2時間強(夜中は本数が少ないためもっと)かかる。そろそろ帰らねば。


いつもならマンハッタンに住む家族とカーサービスを利用して市内に戻るが、この日は、彼らとは帰宅するタイミングが合わなかった。さぁ1人でどうやってブルックリンまで帰ろうかと考えていたら、ブロンクスから来ていた親子がバスで途中まで一緒に帰ろうと誘ってくれたので便乗することにした。母親のタニアは60代くらいだろうか。1歳の時に家族とプエルトリコから移住してきたそうだ。市内でも犯罪率の高いブロンクスの地で1970-80年代、もっとも犯罪が多発した暗黒時代を生き抜いてきたニューヨーカー(ニューヨリカン)だ。そんな彼女が私に「1人は危ないから、私たちの家の近くの駅まで見届ける」と言う。


さらにタニアはこう釘を刺した。「私はここ1、2年、地下鉄に乗るときは気を抜かず常に気を配っている。最近の地下鉄はクレージーな人が増えたから。私たちと別れた後は特に気をつけて」と。私はタニアに聞いた。「実際に自分の目で事件を目撃したことはある?」。タニアは首を振った。悪い事件のソースはすべてニュースから。筆者と同じだ。


筆者はこの日、カーサービスを利用する選択もあったが、久しぶりにブロンクスからブルックリンへ繋がる夜間の地下鉄がどんな雰囲気か見てみたくなった。そんな私にタニアはこう言った。「先頭車両と最後尾の車両は避けて、真ん中の車両に乗った方がいいわよ」「不審者とは決して目を合わせないように。とにかく無視を貫いて」「そして、無事に帰宅したらテキスト(メール)してね」と。筆者は初めそれほど身構えてはいなかったのだが、ニューヨーク育ちの彼女がそこまで警戒する様子を見て、逆に怖くなってしまった。


人々が銃撃事件に敏感になっているのは確かだ。前日も、テニスの大坂なおみ選手が、ブルックリンのバークレーセンターで銃声のような音を聞いてアリーナ内がパニックになった様子を伝えた。その後のニューヨーク市警の発表により、パニック騒動で16人が負傷したが、発砲事件ではなかったことがわかっている。


さて、タニア親子に送り届けてもらった先は、ヤンキースタジアムがある駅より大分北方に位置するブロンクスのFordham Rd駅。日本人はおろかアジア系の人は見かけない場所だ。夜の駅はガラガラだった。電車を待つホームに到着すると、2人の警官がパトロールで待機していたので安心した。しかしそんな安堵も束の間、警官はたった2駅で下車してしまった。


マンハッタンに近づくにつれ、乗客数も少し増え、安心感へとつながる。しかし同時に、マンハッタンまでの長い帰路の途中で、奇声を上げ始めた男が出てきた。電車が線路内に混雑するためか、当地の地下鉄は徐行しのろのろと進むことがある。車両という密閉空間に挙動不審者がいる場合において、そのようなケースでは気持ちがやきもきし、時が永遠にも感じられる。私は内容がまったく入ってこない携帯電話のブラウザをジッと見つめ、次の駅に到着するのをただただ待った。マンハッタンのハーレムの125 St駅に到着すると一気に乗客が増え、少し安心した。しかししばし賑やかなマンハッタンを通過しブルックリンに入れば、再び乗客は減る。


今度は物乞いをする(弱々しくない)男性が乗客1人1人の前に止まったり、目の前を行ったり来たりし始めた。筆者の前をおとなしく通過してくれるようにただただ祈るばかり。どんなに辛抱強く懇願されても、私は携帯電話をただ見つめ無視を貫く。その男性は次の車両に移動し、再びほっと胸を撫で下ろす。


2時間強の帰路で、ヒヤッとする瞬間が何度となく起こったものの、何事もなく無事にブルックリンの自宅まで辿り着いた。ヒヤッとするたびに(自分が必要以上に恐れているからというのもあるが)、ニュースやSNSで見聞きしてきたシーンが脳裏をよぎり最悪のケースを想像してしまう自分がいた。この街に住んで20年になるが、夜間に地下鉄に乗るだけでこんなにストレスフルだとは...。


不審者の中には重犯罪を犯す者やドラッグ&アルコール中毒のような者も確かにいるが、奇声を上げたり全速力で無駄に走ったりしている挙動不審者を観察する限り、こんなご時世でただ大声を上げたり騒いだりして、(ニュースを聞いて怯えている)市民に同様の恐怖を与えてストレスを発散させているだけのような者もいた。


50年代以降のアメリカでは、白人層が都市部から郊外へ大量に移住した。都市部ではびこる犯罪を回避するためで「ホワイトフライト(White Flight)」と呼ばれるものだ。


市内から車で2時間ほどの郊外にある広い庭付きの一軒家に住む別の友人家族から、当時の話を聞いたことがある。もとはブルックリン出身の彼らが、市外へ移住したのは80年代のことだった。その理由を聞くと「銃撃事件が絶えず、こんなところで子育てなんて到底できないと思ったからよ」と言った。この話を聞いたのは2002年のことだが、当時の筆者は「市内で銃撃戦?」とあまりピンときていなかった。しかし時代が逆戻りした今、当時の状況をよりリアルに想像することができ、新天地として郊外を選んだ彼らの気持ちが十分に理解できる。


市内の至る所で犯罪が起こっているわけではなく場所と時間を間違えなければそれほど恐れすぎる必要もないが、筆者は少なくとも当分の間、夜中に地下鉄に乗ることはないだろう。


Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

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