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中 東生:「オペラ界のいま」を作る新音楽監督たち

オペラハウスを率いる音楽総監督には、音楽的な力はもとより、所属する大勢の歌手や楽団員、スタッフを束ねる統率力も必要とされる。いま、指揮者の世代交代は華やかなオペラの世界にも起こっている。そのオペラの世界、注目の指揮者にしぼって動向を見てみよう。

3人の「オペラ座新シェフ」

総合芸術=オペラを指揮するということは、総合的視点や知識、経験を必要とする。演出家や振付師、衣装や舞台美術、合唱団やエキストラまで統括できることが望まれる。そして、ゲストとして招かれるだけではなく、音楽監督を任される指揮者はその歌劇場のみならず、オペラ界の進む方向にも影響を与える。その歌劇場の特色が生かされるレパートリーを全面に出し、劇場付きオーケストラの音色も変え、契約を交わす歌手の傾向も左右し、観客を啓蒙する。そんな道先案内人となる新音楽監督3人に焦点を当てたい。

フィリップ・ジョルダン

まずはパンデミックの真っ最中にウィーン国立歌劇場の新音楽監督に就任したフィリップ・ジョルダンだ。1974年、スイス・チューリヒに生まれたフィリップは、指揮者の父アルミンの長所を進化させたような勢いを持つ。元バレリーナの母に劇場での生きかたを仕込まれて育ったサラブレットだ。2009年からパリ国立オペラの音楽監督として培った経験を生かして、元ソニー・クラシカルのトップ、ボグダン・ロスチッチ総裁の元で新しい方向を示唆する。

昨年9月のシーズンオープニング演目、《蝶々夫人》ではスイス人の正確さが裏目に出たのか、黒子が操る人形が息子というアンソニー・ミンゲラの演出に合わせた形式美志向なのか、プッチーニの情熱も甘さも控え目な指揮だったが、今年2月7日の無観客ライヴ配信《フィガロの結婚》ではジョルダンの真骨頂を発揮した。序曲から彼特有の品格を見せたのは、アクセントを強調するも、すぐに引かず、テヌートぎみにして弾みを減らし、長いフレージングを実現させているからだ。前のめりになりそうなテンポもしっかりと牛耳り、成熟した演奏を聴かせた。

レチタティーヴの伴奏もジョルダンが弾き、過剰な装飾音等を付けさせず、シンプルな歌唱美を追求している。ルイーズ・アルダーのスザンナは安定感のある声で、フィリップ・スライのフィガロは深く美しく響く声、今をときめくアンドレ・シューエンの伯爵は期待通りの巧さで、声がどこまでも無理なく伸びる。アリアでも最後まで飽きさせることなく歌いきった。フェデリーカ・ロンバルディの伯爵夫人は理想的で、歌唱技術に気を配らなくても自然でシンプルな、完璧な歌い回しだった。当歌劇場専属のヴィルジニー・ヴェレが歌うケルビーノはまだレガートやアクセントなど、ジョルダンの求める物を実現するためには研鑽を要するが、役柄にピッタリの演技で好感を与えた。マルチェッリーナ、バルトロ、バジリオも上手く仕上げたバリー・コスキーの演出も秀逸だ。全体的にオーケストラは伴奏に徹することなく、感傷に負けずにドラマを牽引していったのはジョルダンの力だろう。

今年11月に予定されていた当歌劇場来日公演は延期されたが、実現できる日が来る頃には、より定着したジョルダン色が見られることだろう。

ウラディーミル・ユロフスキ

次に、音楽総監督就任秒読みの二人の動向も見守りたい。まずはバイエルン州立歌劇場次期音楽総監督のウラディーミル・ユロフスキだ。1972年、ロシア・モスクワに生まれたウラディーミルも指揮者の父ミハイル、作曲家の祖父ウラディーミルという音楽家の血統を継いでいる。そんなユロフスキは若手指揮者達に慕われているようだ。1995年にロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場にデビュー後、ベルリン・コーミッシェオーパーやボローニャ歌劇場で首席客演指揮者を務めているが、オペラハウスの音楽監督に就任するのは初めてだ。フランス国立リヨン歌劇場の総裁を長年務めてきたセルジュ・ドルニーと共に、ニコラウス・バッハラー+キリル・ペトレンコ体制が熟した当歌劇場をどう導いていくのか、簡単には想像がつかないが、ミュンヘンの街には期待が拡がっている。

ミュンヘンの観客の自慢だったペトレンコがベルリンフィルに移ってしまった喪失感もあろう。長い間バッハラー総裁の下で温かい人間関係に飢え、メディア嫌いのペトレンコが間接的に抑圧していた「開かれた歌劇場」への障害が解消され、自由で身近な体制が期待されていると言える。実際にプレス関係者の引き継ぎは進み、これから自主レーベルも展開されるというニュースが聞こえてきた。そこに斬新な冒険を厭わないユロフスキーの組むプログラムが重なれば、注目度が断然上
がってくるだろう。

二人目はチューリヒ歌劇場の次期音楽総監督としてお披露目コンサートも成功裡に終え、コロナ禍での無観客ライヴ配信でも存在感を聴衆の目に焼き付けたジャナンドレア・ノセダだ。1964年、イタリア・ミラノ生まれのノセダは他の二人より1世代上だが、トリノ王立歌劇場で見せた手腕は記憶に新しい。そんな彼が当歌劇場の音楽総監督を引き受ける理由の1つは、ワーグナーの《ニーベルングの指環》全曲上演ではないだろうか。ドイツ人演出家であるアンドレアス・ホモキ総裁との共同作業でこの大作の記録を残しておきたい年齢に差し掛かったのではないか。現音楽監督のファビオ・ルイジが「オペラだけでなく交響曲を演奏しても一流である証に」と、フィルハーモニア・チューリッヒと改名し、静謐で柔らかな音色を獲得したオーケストラに、ノセダの火が点くのを聴くのはエキサイティングだ。

ノセダのお手前拝見となった初登場は2020年1月19日、シーズン3回目の交響曲コンサートで、少ない当日券を手に入れようとチケット売り場にできた列が、市民の関心の高さを示した。その晩ナレク・アフナジャリャンをソリストに迎えたチャイコフスキー《ロココ風の主題による変奏曲》でチューリヒの聴衆に受け入れられた手応えが得られた。

2021年2月7日にはロックダウンの音楽界でブラームスの「ドイツレクイエム」を無観客ライヴ配信した。劇場中に散らばり、反響のない響きにとまどう合唱団を、困難の末にブラームスの世界へ導いたノセダが、いよいよオペラを指揮する来季が楽しみだ。

コロナ禍後はこの3人に注目したい。

「音楽の友」誌 2021年5月号 掲載

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