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MBAと「対話」の本のシナジーについて

2021.6.23
「対話」で変える公務員の仕事についての考察

※note初投稿ですので(^_^;

1.まえがき
・本の題名、またテーマは「対話」つまり私がこの4年間で大学院で行ってきた「クリティカル・シンキング」と対比すれば、「ダイアログ」となるのかも知れませんが、「対話」あくまでも手段であり、今、解決すべき行政課題、そしてその目的は別にあると考えるので、それが何かということを本の序章から終章の内容に沿って記述します。
・なお、記述はMBAでの学びと各章でのキーワードがどうシナジーしているかという観点で、以下に順を追って各章ごとに自分なりの問いを立てながら、論点整理を行っていきます。

2.本論
(1)序章
〇こんな人に読んでほしい
・「対話」の魅力やその効果について知りたい人
・「対話」の場づくりを実践してみたい人
・「対話」を通じて職場や仕事を変えていきたい人
→が最初にありますが、これはWillであり、つまり、その気持ちがある人が対象であるということ。次に、
・意見の相違を埋める議論が上手く進まず困っている人
・組織内の風通しがよくないと感じている人
・自治体と市民との意思疎通について悩んでいる人
→がありますが、これは課題であるので、Willがあって、次にそのことで課題意識を持っている人がこの本の対象者だということになると考えます。
■この本の対象者(ターゲット)は誰か?

(2)第1章
〇超えられない組織文化の壁
・民間人は時間を使うことそのものがコストだと考えていることが自治体職員はなぜ理解できないのか?
→よく「時間はお金」だといいますが、私は「時間は命」だと考え行動するようにしています。大学院でも命を削る思いで毎日勉強をしてきたので、かなり余命を削りました(苦笑)
〇査定なき財政課を目指す
・組織内部の闘争にこれだけのエネルギーを費やすことは本当に市民のためになっているのか。
→これが、大学院で学んだ全社戦略の経営論で言えば、絶対にありえないことです。なぜかと言えば、そうするとその企業が事業で得られるCFより、マイナスのCFが大きくなるので、そんな事業は投資家である株主からは、やるべきではないということになるからです。
→生み出すCFから見てそうなるので、勿論、行政組織はCFを生み出すためだけに事業をやっているわけではありませんが、内部調整に生む出す成果より大きいコストを要することをやるという選択肢はあり得ません。
〇「明日晴れるかな」がくれたもの
・私が「対話」何たるかを体感し、悟り、それを言語化できるようになった全てのエッセンスが、この「明日晴れるかな」煮詰まっています。
→この言語化が、経営における組織論においてもベースになることであり、特に人材の流動性が激しい外資系では、いつ人材が全く異質の外部の者と入れ替わるか分からないので、そのような者がその職についても、直ぐに理解し業務ができるように業務が言語化、さらに言えば見える化されている必要があります。
→たぶん、多くの日本の組織、官公庁では業務が属人化しており、全くその業務を担当したことがない者がそこに就いた時は、例え引き継ぎ書があっても、ほぼ使えない引き継ぎ書で、新しい担当者はその業務でのナレッジの集積などない場合は、一からまた全てをそこで構築するという、外部のステークホルダーに対して大変なフラストレーションをかける状況になると考えられます。
〇お互いに語り合うことの妙味
・自分を開示すること、自分と他社との違いを前提とすること、論破しようとせずお互いの良さを認め合うことなど、議論ではなく「対話」楽しむことがよりよい関係性を創ることでした。
→この本の中で、「議論」の前に「対話」を置くというセオリーの必要性を言われているので、それに真っ向から異論を言うつもりはありませんが、同じ目的に向かう組織における経営であれば、まずは目的を明確にし、それに向かって「議論」はクリティカル・シンキングでより生産性を高める意識で行うべきです。
→「対話」が必要と言われるのは、そのような内部で目的を共有している状況ではなく、ある意味「対立」を「している状況で、どうお互いを話し合いのテーブルに付かせるかと言ことでの「対話」の必要性ですので、もし経営においても「対立」する外部のステークホルダーへのファシリテーションをやるのであれば、「対話」という視点に重きを置いた交渉術が使われるのは言うまでもありません。
〇「対話」の重要性に気付く
・「それは本当に市民が求めているものか」という問いかけ
→マネジメントの父と言われるドラッカーも、経営を顧客のニーズに集中する重要性を言っていますし、そのようにニーズを掘り下げるマーケティング活動は本当には無くすべきものと言っています。
→勿論、そうはいってもマーケティングの視点、顧客のニーズは、ペインポイントは何か?という視点は常に持たなければなりませんので、公務員で言えば顧客は国民であり住民ですから、その課題が何で、どうやって解決するのか?ということを常に考え続けるのは当たり前のことですから、そのために「対話」が必要だとすれば、当然、行うべきものだということになります。
〇対話の技術を求め続ける
・三つめは、「対話」の場づくり必要となる「ファシリテーション」技法です。
→本当に、ファシリテーションのスキルは奥深いです。前述しましたが、良くファシリテーターは自分の思い描く方向に議論を収斂させるために、場合によってはコメンテーターの話にかぶせたりしながら、自分の考えを押し通すように多弁になってやる方を多く見ますが、本当はコメンテーターの意見は基より、会場の意見まで引き出し、本当にこのセッションで求められる以上のことを、関係者全員で新たに構築するスキルが求められますので、そのスキルの高さも必要ですが、人として謙虚さ、つまり、人をリスペクトする力が何よりも重要だと私は感じます。
〇「対話」不足が市役所の根本問題
・「どうしたら仕事が上手く進むのか」
→私は、これは本当の目標ではないと思います。なので、ここでも課題として挙げられていますので、顧客である市民のためになるべきことが最小のリソースで成果として出せるかという目標という視点で、そのために「対話」をどのように使うかというスキルが公務員にも必要だと言われていると感じます。
■そもそもコストに対する意識の差はどこから生まれるのか?

(3)第2章
〇最初の一歩は楽しい会議
・その発言者や組織に責任を取らせない「安全な場」として運営すること
→ここでは「対話」の場をそのような場にしなければならないとありますが、現代の経営においては組織そのものを心理的安全性が担保されていることの重要性が必要だとグーグルを筆頭にGAFAのような生産性の高い企業経営では当り目に言われます。
→これを併せて考えれば、例え「議論」やクリティカル・シンキングにおいてもその意識は必須であり、まず相手をリスペクトして、相手の意見は否定しても、相手のことは認めるというスタンスで会議等に臨む必要がります。
→人は自分の意見を否定されると、自分自身を否定されたと感じますので、初めに今日の「対話」では相手の意見は絶対に否定しないなどのルールを作り臨むことで、この心理的安全性が担保され、多くの参加者から前向きな意見が出されるということのために、このことはもはや組織論として当たり前であるということです。
〇福岡市役所のお家芸
・幹部職員がワールドカフェを体験することで「対話」を組織文化の中に刷り込むことができた。
→いわゆるワールドカフェやビジョンカフェ、私はフューチャーセッションも同じだと思いますが、この「対話」の手法として一般的に使われる手法ですが、それを組織のOBHとして当たり前にすることは難しいですが、それができていることが、福岡市役所は本当に素晴らしいと思います。
→私も、最初は「対話」と言われても何をどうやっていいのか分かりませんでしたので、このような手法を使いながら「対話」の重要性、またどうやったら「対話」で成果が出せるのか?と考えた時には、このような手法のスキルを身に付けておくことは重要だし、回を重ねるごとに、「対話」への自信にもつながると感じます。
〇「対話と学びのまち」を目指して
・「対話」によって普段考えないことを考えてもらうことで、自分の心の深層にある問題意識や興味・関心を引き出すことができる。
→ここには、リカレントというキーワードも出てきますが、日頃、自分の仕事の範疇だけでの行動範囲では“この普段考えないことを考える“ことへの思考の跳躍は起こりません。
→対話ということを通じて、日頃、交わらない人と意見交換をし、謙虚に相手の話を聴くことで新たなことに気付くことができるのではないかと、自分の経験からも感じます
■なぜ今、心理的安全性が重要だと言われるのか?

〇発した言葉に宿る「言霊」
・「思い」が行動やかたちに変わるには、この「思いを言葉に」する過程が必要です。
→相手に伝わるということは、相手に理解してもらうことだと考える人が多いですが、本当はそうではなく、相手に腹落ちしてもらい、一緒に行動してもらうことを言います。そのためには、頭での理解ではなく、心での共感が必要であり、そのための「思い」を伝えるスキルが必要です。
→ただ自分の素晴らしい志や熱い気持ちを相手に伝えれば、それが伝わり伝染して相手が動くと考える起業家が多いように感じますが、そのような人もいないとは言いませんが、大多数の人は、『冷静』に定量的な数字でメリットを的確に相手に伝えた上で、『情熱』である志を伝えない限り、相手に対しての「言霊」とはならないことは経営学における組織行動学としてMBAでもとても重要な学びでした。
〇ファシリテーションの底力
・どんな意見を持つ人でも受け入れることができる場がなければ、多様な意見が混ざり合うことも、わかりあうこともない。そこにいるすべての人が、そこにいていいのだと許され、認められ、大切にされる場を作るのがファシリテーターです。
→この2章の問いに、「なぜ今、心理的安全性が重要だと言われるのか?」と問いを挙げましたが、まさにそれを実践するのがファシリテーターの役目であり、スキルであると言えます。
→更に、MBAでは最高のファシリテーターは発言しない!と言われるように、いかに自分が発言することなくコメンテーターや会場から多様な意見を引き出し、その上で目指すべき到達点に最短で到達させるのがという非常に高度なスキルを求められます。このことからファシリテーターは、言われる「対話」の本質を良く理解した上で、全体でのコミュニケーション(永遠に続く信頼関係)を構築するという意識が必要になります。
■人に伝わるためには、相手に伝わる「言語化」が必要!

(4)第3章
〇それぞれの立場を超えて
・この一節の最後のまとめに「肩書で呼び合うのをやめ、個人としてそこにいるのを認め合いましょう。素のままの自分が許容された安心感から、職場や立場を離れた安心感から、職場や立場を離れた自由な「対話」が進みます。」
→これは第2章から続く「なぜ今、心理的安全性が重要だと言われるのか?」の問いの答えに続いていると感じます。そうしなければ、「伝える」が「伝わる」にならないと言われていることに繋がると考えます。
〇いてもいなくてもいい人
・この一説の最後のまとめにおいても、「もちろん、発言しないでただ聴くだけの参加も許されることが大事です」
→これが「議論」と「対話」の違いを一番言い表していると私は感じました。よく会議では発言しないならば参加することに意味はないとか、だからこそ声が大きい人だけ発言する会議ならやる意味がないとよく言われますが、まさに「対話」は真逆の効果を発現すると感じます。
→相手の目を見て、頷きながらただ聴くことにも非常に意味があり、そのことで相手は心理的安全性を感じ、勿論、そのように聴いているだけの人も、「ここに居るだけででもいいんだよという心理的安全性を感じて」居心地の良い空間ができ上がっているのだと思います。まさに、ここだけはMBAで学んだクリティカル・シンキングではない考えなので、非常に勉強になりました。
〇「対話」の前にまず雑談
・最後のまとめの一節に、「議論」の前に「対話」を、「対話」の前に「雑談」を置きましょう。
→良く仕事は報連相だと言われますが、私はそれは真逆で、相談⇒連絡⇒報告の順番だと考えています。更に最近は雑相と言われるように、日頃の「雑談」を「相談」の前に置いておくことの重要性が言われますが、これはプレゼンテーションやファシリテーションにおけるアイスブレークの役目を果たしますので、ファシリテーターは常に意識してそのレパートリーを常にスキルとして身に付けておく必要があります。
→アメリカ人は場を和ませるジョークが上手いとよく言われますが、それが常に上手くできるのであれば、本当にテレビのコメンテーターとしても引っ張りだこのファシリテーターではないかと感じます。ちょっと蛇足になりましたが、これは職場の上司のスキルとしても身に付けたいスキルだと言えますね!
〇結局愚痴から始まった
・愚痴を言いあい、腹を割って話し合える仲間ができ、その輪が少しずつ広がって「愚痴「対話」っていいよね」という人が増えていく。
→確かに、そのような場づくりをすることが心理的安全性に繋がるのは確かですが、だからと言って、ただ最初から最後まで愚痴を言っているだけでは、仕事終わりの居酒屋の仲間内の会話にすぎません。私はその雰囲気、空気感は必要ですが、本当の「対話」とは、その上でお互いに新たな「知の探索」に乗り出すことだと思います。現状の中に閉じるだけの会話では「対話」の意味がありませんので、ファシリテーターなり、そのための「対話」の構成は非常に重要だと考えます。
〇公平性を妨げるものは
・この前の一節に、何か意味のあるもの、価値のあるものと受け止め、決して自分の固定観念、常識、先入観で切り捨てない。そこには相手を自分と同格の人格と認め、常に公平に扱おうという哲学と、そのためには自分の固定観念、常識、先入観を常にいったん脇におくべしという意思を感じます。
・また最後のまとめの一節にも、誰をも公平平等に尊重したいという敬愛の念を持ち、自分お固定観念をいったん脇においてみましょう。そうすれば、すべてを許容できるようになり、お互いに心理的安全性を感じ、そこから「対話」が始まっていきます。
→ここで、何度も(自分の)固定観念、常識、先入観を捨て、敬愛の念という言葉が出てきます。また心理的安全性も再登場しますが、まさにこのことがこの本の柱であり、私はMBAでのクリティカル・シンキングにおいても常に相手をリスペクトすることを念頭に置いていましたが、これは「議論」、「対話」そして報連相や「雑談」においても、そして仕事上でも絶対に必要なことだと意識しています。
〇意見が違っても「対話」はできる
・ここにおいて、「感情的にならないこと」や「マナーを守ること」というワールドカフェで最初での約束事と同じことが書かれています。また、人は自分と違うということを当たり前のこととして受け止める。多様性を基本に据えてそこにいるすべての人がその場にいることを許された適任者であるとの意識を持つこと。
→このような、「対話」におけるマナーは、まず子供の時から当たり前に身に付く教育が必要であり、それができて社会においても大人が当たり前にできる「対話」のスキルになっていくんだと思います。
→まさに「ダイバシティ&インクルージョン」への社会づくりが、これからの日本に求められるのだと感じています!
〇対話は手段化目的から、役に立つから価値がるのか
・「対話」は、「つまり人として人とどう向き合うかという倫理観の問題です」と言われています。
→倫理観は、MBAでは「エシカル」として授業の中で幾度となく登場し、特にこれからのSDGsのような経営おいては、それがとても重要視されます。また2030年にはミレニアム世代以降が生産人口の過半を占めるようになるので、そうなれば彼らがどのように考え行動するかで、特にマーケティング視点での経営は左右されるということになります。
→もともと公務員の世界はエシカルでなければならない世界ですが、民間の経営においてもそれが柱となる時代がまさに訪れようとしています。
〇楽しくなければ続かない
・最後の一節に、まずは自分自身が「対話」の楽しさに触れ、その居心地の良さに魅了され、この快楽を誰かに伝えたい、と思うこと。「対話」の場の居心地がいいという経験を共有し、「対話」に参加した人の快楽のツボを押して行きましょう。
→まさに仕事も楽しくなければ仕事ではない!という方もいるので、勿論、「対話」もそうでなければ言われるように続けられません。まずは、「対話」を皆で楽しむという気持ち、意識が必要なことは、特に「対話」の場の企画をする人は気を付けなければならないと考えます。
■「対話」を聴くことをお互いに認めあうことの重要性とは?

(5)第4章
〇対立を「対話」で乗り越える
・「対話」だけでは解決しない、決めるための「議論」。対立した意見を評価し、調整し、決定していくには「対話」の先にあるプロセスに進む必要がある。
→MBAでは、最初に目的、目標を合意し、お互いにリスペクトしながら、侃々諤々の議論を繰り返し、その時点において組織での最善の解を目指す意識を全員が共有しているので、その前に「対話」という過程がありませんが、もしそれがなければそのための「対話」は絶対に必要です。
→そうしなければ、議論が生産的であるわけもなく、相手を否定し、自分のためだけの議論に終始し、最善の解など得られるわけもありませんから!
〇立場の鎧を脱ぐことに重要性・鎧を脱ぐことの必然性
・そもそも多くの人が立場の鎧を脱ぐことの必然性を感じていないのです。
 【なお、本の最後に当然、今村さんの筆者紹介のページがありますが、そこを見ると、よくある華麗な学歴と職歴のオンパレードとは反対に、現状の役職だけを書いたシンプルな内容が、その立場の鎧を脱ぐということを、自ら実践していることが良く分かります】
→そもそも、「議論」においてはその立場で自己主張をする、つまり立場の鎧で仕事をすることを求められています。ですからそれをいったん脇において、「対話」をする必要性が書かれていますが、これは特にそのような社会の中で今の地位を築いた人ほど難しいと感じます。
→ですから、多くの社員が、変わらない自分の会社、組織の未来に希望が持てずに、仕事を辞めたり、場合によってはメンタルに陥っているのではないかと想像します。
・そもそも、多くの人が立場の鎧を脱ぐ必然性を感じていない。
→今は、良くリーダーシップではサーバントリーダーシップ、また組織論ではティール組織、丸い組織など、いわゆるフラットな組織作りがもてはやされていますが、現実としては多くの組織が、官僚組織と言われる形態を取っていると思います。
→官公庁では、よく「ポストが人を作る」と言いますが、立場という鎧、役職という権威で仕事をすることが求められますので、その立場を脱ぐメリットは多くのマネジメント層が感じていないと思います。
 その上で、これを考えれば、この「対話」という行為自体が、今の官僚組織のマネジメント層から見るといかに受け入れがたいことかというのが容易に想像されると思います。
〇「対話」は結論には至らない
・「対話」を置く場合に先ほど述べた「情報の共有」「立場の共有」に加え、後に続く議論の土台となる「ビジョンの共有」しておかないと、その後の議論がちぐはぐになる、
→前述でいかに立場の鎧を脱ぐことが現状困難かを述べましたが、それに向かうためにはまず、ここで言われる組織としての「ビジョンの共有」そして、外部の参加者まで巻き込むとすれば「ビジョンの共感」が必要だということだと私は考えます。
〇「対話」は議論の手段ではない
・「ビジョンの共有」を行うことで「対話」から議論に移った際の最終的な到達点のイメージを共有すること!
→まさにこれが、MBAで言われるファシリテーションにおける場づくりの基本であり、これを自分よがりでやる自分中心のファシリテーションが散見されますが、本当はこの場づくりで、「対話」だけでなく、クリティカル・シンキングでさえ、参加者が居心地の良い空間となるのです。
■「対話」だけでは対立は乗り越えられない?

(6)第5章
〇新しいことはしたくない
・新しいことに挑戦したって時間を取られるだけ、それで何か評価され、給料が上がるわけでもなし、と考えるのは、そういった評価軸が組織内部にないのでモチベーションが上がらないという面もある。
→まず、公務員組織におけるOBH、その中の前例踏襲主義、失敗を許さない環境、そして公平公正が絶対だという固定観念が、人事評価も含めて、組織を変える、改善する方向には向きにくく、組織を益々内向きにしていると考えます。
→このことで、今盛んに言われるイノベーションなど起きるわけもなく、日本は失われた10年⇒20年⇒30年となって、今、1980年代のジャパンアズナンバー1からのあまりの凋落に慌てて、色々な野心的な目標での各種戦略作りに、この「対話」という手法が多く取り入れられていると感じます。
〇「分担」ではなく「連携」を
・大事なことは「連携」、すなわち「一つの目的ために一緒に物事をすること」です。
→ここでは、要件がなくても会う、つまり上司と部下であれば、今はやりの1on1のように絶えずコミュニケーションを取ることで、心理的安全性を高め、お互いの距離感を縮めることを推奨されていますが、1on1はこのコロナ下でもオンラインで工夫してできますが、直接会うのは難しいので、このためにオンラインでの新たなスキルの構築が必要だと考えています。
→私は、とにかく部下を褒める、他部署を褒める、外の素晴らしい人の行動を褒めることを言語化してやることで、人に伝えることをやるようにしていますので、良く空気を読めとか、気持ちは伝わるとかではなく、しっかりロジックツリーやピラミッドストラクチャーを組み立て、言語化し、見える化するスキルが、全ての大人に仕事で今求められているスキルだと感じています。
■なぜ、公務員は経済に疎いのか?


〇経済に疎い“純粋公務員”
・公務員を志望する動機そのものが「社会の役に立ちたい」という純粋な動機の人が多い。
→公務員はその高い倫理観や利他の気持ちで公平公正に国民や住民のために公僕として仕事をすることを義務付けられますので、日本人がお金の話をすることが卑しいものと考えるように、逆に公務員が金銭感覚を持つことが悪であるかのような意識を持ちがちです。
→でも、果たしてこれからの公務員がそれで国民、住民の未来のための仕事ができるでしょうか?公務員が金儲けをしろとは言われないと思いますが、しっかりと財務会計、管理会計、そして税務会計を学び、予測財務諸表を作り、日本や地域の未来を考えるファイナンスのスキルを持つことが、これからは絶対に必要な時代になっていると感じます。そのことで、言われるような「経済リテラシー」を身に付けることによって、初めて民間と対等な目線で「対話」が成り立つと感じます。
〇まず職員がまちのことを語る・まちのエバンジェリストとして
・市民の行政リテラシーの向上を図るために、市民に対して情報を提供し、市民との「対話」の懸け橋となる存在が必要となります。
→まさに、これからの公務員は、この姿勢、相手をリスペクトして、自分を胸襟し、同じ目線で外部の人や国民、住民と会話ができるスキルを身に付ける必要があります。
ですから、最後に私は、


■公務員の皆さん、今村さんが言う「対話」が今できていますか?

という問いを投げかけて、この本への自分の考察を終わりにします。

2.さいごに
・終章については述べませんでしたが、それは今村さんの全ての皆さんへの感謝の気持ちですから、私がコメントする立場にはありません。
・ただ、本当に、この本を読んで、官公庁、行政こそ今「対話」が必要だと感じた方が多くいらしたと思いますので、今はやりの「DX」がそうであるように、「対話」自体は手段ですから、それに魂を入れた行動が「知行合一」でできるかが、これからの行政職員に今村さんから託された課題と感じていただけるのではないかと思います。
・それでは、各章ごとに、僭越ですが、私がその章のテーマと考える問いを起こしてみましたので、その問いに、自分なりに答えを考える意識で読まれると、よりこの本が公務員の皆さんの未来に活きるのではないかと思います。
・本当に最後に、この「対話」の考え方は、勿論、私が昨年まで約4年間学んだ大学院でのMBAの学びとシナジーします。ですから、皆さんも、公務員として働きながら経営学を学ぶことは決して遅くはない、今年定年を迎える私がそう思って書いていますので、是非、多くの公務員の皆さんが、これからの日本の未来のためにMBAを目指していただけると、そろそろ失われた30年に終止符が打てるのではないかと、今ワクワクしています!

―以上―

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