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9年ぶりに福島県のフクイチでの被災地を尋ねて・・・

■プロローグ

・私は、2013年3月11日に発生した東日本大震災から約1年半後にフクイチが見える被災地に立って、初めてこの地震と津波、そして原子力災害が如何にひどい状況をもたらしたかを自分の目で実際に見て、自分が今何をするべきかとこの9年間考えてきた日本人の一人として、今回、9年ぶりに現地に伺って、そのうちの1か所において改めて、公務員として心中に強く感じたことを、少しだけ書かせていただきます。

1.とみおかアーカイブ・ミュージアム(富岡町)
➣震災のためだけではない、その設立理念について
〇私が見た感想としては、相馬地区にある他の震災遺構施設と違い、ここは富岡町の貴重な歴史財産を廃棄するのではなく、残して保存するための富岡町民のための施設だと強く感じました。
〇そのため、震災での当時の切迫した状況を伝えるところのブースありますが、基本的には富岡町を中心とした、相馬地域がどのように出来て、そして経済文化が発展していったかといった歴史を含めて、説明者付きで詳しく分かるようになっている、とても親切な町営の施設だと感じたところです。
〇ですから、対象者は基本的に富岡町を含めた相馬地域の人のように感じますし、是非、相馬地域に住む多くの子供たちにも見学して欲しい施設だと感じました。
〇なお、富岡町は震災直後の当日、役場に現地対策本部が立てられその対応に当たったそうですが、翌日はフクイチの水素爆発による緊急避難で、1日だけしか役場の現地対策本部は機能せず、直ぐに川内村等への全町避難となったということで、勿論、それを物語る切迫した当時の状況のレプリカが展示されていました。
〇最後に、ここで私が一番心に残ったのは、福島県警の津波で大破したパトカーで、二人の警察官が避難を呼びかけて、津波の来る時まで町中を回って津波にのまれて、一人は遺体が見つかったが、一人は今でも行方不明者となっているとのことです。

このことから、今回の投稿の表紙はここに展示されている、このパトカーの残骸の写真とさせていただきます。(合掌)

2.このような危機的な時にリーダーはどうあるべきか?
〇あの時は民主党政権で、当時の枝野官房長官がマスコミに対しての報道発表をしていましたが、初めてのことでやむを得ない部分はあるにせよ、やはりその対応のまずさで避難での多くの関連死が発生したことに、今でも現地の方はその民主党政権、枝野官房長官に対する不信感めいたものを私は感じました。
〇また、状況は全く違うもの、あの2001年の9月11日の同時多発テロの時の話をよく知ってる方は、このことをそれと重ねて考えていただけると思いますが、あの時、あの世界貿易センタービルに多くの人が居て、階段を使って避難する中、逆に階段を上って救助に向かう多くの消防等の方々が居たことはご存じだと思います。
〇つまり、確かにあの地震の津波と危機的なフクイチの原子力災害という違いはありますが、同時多発テロの時の話をよく知ってる方は、このことをそれとを重ねて考えていただけるとありがたいのですが、あの時、あの世界貿易センタービルに多くの人が居て、階段を使って避難する中、逆に階段を上って救助に向かう多くの消防等の方々が居て、あの救助に向かった多くの消防等の方々は、果たして上司から命令されたからあの状況で世界貿易センタービル内に向かったと思われるでしょうか?私は違うと思います。この階段は二度と戻れないだろうと分かっていてもなお階段を上るその使命感、そしてそれは決して上司の命令ではなく、人を助けるという一心で階段を上っていったと感じています。
〇ですから、私はそれを命令する政治家は、そのリーダーとしてあるべき姿は、たとえあの場所で先頭に立って階段を上ってなくても、消防等の方々と同じように上ってる、フクイチでもそうで、あの場所で先頭に立つ覚悟を持って、リーダーとして人を何としても助けるという使命感と立ち振る舞い、最後に責任を取ってその職を辞する覚悟が本当にあるかだと考えているところです。


3.今回の改めて被災地の現場を見て分かったこと
〇福島県外やそれこそ関東以西に住んでいる我々からすると、震災から10年以上が経過し、復興庁もその役割を縮小すると聞いていたので、ある程度は復興の目途が付いた状況だと感じて約9年ぶりに、浜通りの中心地に伺ったところでした。
〇確かに大熊町はこれから帰還が始まるということで、人の復興はこれからかもしれませんが、補助金でのインフラの整備がある程度進んでいる浪江町や富岡町でさえ震災前と比べて1割も住民が住んでいないことに正直驚きましたし、行政組織としても多くの役場職員が自分の町に住んでいるのではなく、遠い避難した別の市町村から通勤している現状を考えると、補助金が平時の状況に戻った時点での、今後の街の復興は相当困難ではないかと感じました。
〇人口が元の2割も戻らないとすれば、以前の市町村のような行政組織機能を維持するのは困難であることから、それこそ相馬地区全体での市町村合併のような議論もあるかとは思いますが、平成の大合併で合併した市町村の末端の地域が疲弊している現状を見ると、同じような市町村合併ではなく、DXを成し遂げた上での特別な機能別合併のような新たな仕組み作りが必要だと感じざるを得ません。
〇そのためにも、本当のDXをこれから進めていく必要がありますし、それが政府、そして新たに設立されたデジタル庁の責務だと感じます。勿論、デジタル庁に勤務してる人は私と同じ公務員でしょうが、その責務を果たすと同時に、あのような危機的な状況の先頭に立つリーダーの気概がなければDXなど進めることなどできないと思いますから、これから本当のDXにより日本の原子力行政があのような未曽有の状況とならないシステム構築を、現場で今大変な思いで復興に取る組んでる皆様の気持ちを考えるにつけ、自宅に戻ってもそのことを切に祈らずにはおられません。

■エピローグ

・あの場所に行くとどうしても感傷的になり定性的な文章にならざるを得ませんが、MBAとして次回は定量的に自分が果たせる具体的な現場でのvalueを書けるようにしたいと思います。

以上、お読みいただきありがとうございました。亡くなられた多くの皆様と今も行方不明の皆様のご冥福を、改めてお祈りいたしますm(_ _)m

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