見出し画像

キメハラ

「鬼滅みてないの?」

これを言われて嫌な人がいてこんな言葉が生まれたらしい

この流れに乗っちゃうのはまずい、絶対

なんでもかんでもハラスメントって言うなーって話ではなくて
もうなんでもかんでもハラスメントって言われると嫌だからって今度はハラハラとかが出てきていたちごっこ感半端ねーなって話

何も嫌なことがない状況が求められてる感じがする
これは色んなことに共通してると思っていて

セクハラ、パワハラなどなど本当に大変な例があることを大前提に

ちょっとでも不快なことがあればアウトな状態を
世界中で作り出してて
気づけばいざという時に何も出来ない、抗えない人まみれになっていく未来がみえてる
これは誰かの陰謀か??とか思っちゃうぐらい自分は危機感を覚える

そもそも
嫌な思いをしたのか
嫌な思いをさせられたのか

前者は自分を主語とした考え方で、後者は自分以外の何者かを主語にした考え方であるように思う

いつも犯人探し、誰かのせいで起きてる

せいでをなくすにはどうするか

望むことの主語を自分にして考える

それが1番優しいことだと思う

キメハラって言っちゃうと言ってきた人の せいで 不快になって

だから?で?

どうなることが望ましいのか考えて

伝えて

自分以外のの誰かが動くことを期待して
人のせいにして人に頼って

あなたは何をするの?

何もしないの?

キメハラから話がそれてるようでそれてないと思う。

そんなに言われるのが嫌なら見ちゃえばいいのに

もしかしたらいいかもしれないのに

いや、意地でもみない!

それもいいさ

だけど人を悪くするような方向には持ってかないでお互いにって思う

しつこく見ろ見ろ言ってくるなら、その話聞かなきゃいいし
逆に相手の興味なさそうな物をすすめてみてはいんでないかとも思うし

皆がお互いに優しくなれたらいいのにな
もちろんたまに喧嘩したりもありありのおおありで

とにかくまずは受け入れることが大事だと思うのです

良いことも悪いこともすべて

咀嚼して

理解してても
いざやったら出来ないし

出来ても柔軟に考えられなければ応用が効かないし

何事も経験ていうのはそういうことだ

憂鬱な日があれば元気な日もあって

不快ゼロを求めたら本当にゼロでただの無になっちゃう

例えば早く楽に移動するために馬から車へ!みたく発展してきた

その先に目的があった

速く移動すること、楽に移動することを求めるのは何故なのか
速く移動すれば目的地で遊ぶ時間が増えたり、時間に余裕ができる
楽に移動できれば余った体力でいいパフォーマンスができる

一番速くて一番楽なのは無だ
もう死んだも同然

ゼロを求めるのは不自然だし、生きてる限り不可能

話を戻すと

この先キメハラ、もっといえばイジメ、そんなことの根絶は難しいかもしれない

だけどそんな事に出くわしたときに

自分はどうするのか、考えて、動いて、時には他人を助けてって
そんな風なことが出来るように皆がいれば
逆にイジメとかはなくなるかも

長々になってしまった。

以上!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?