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往々にしてあることを謳歌する

2023年4月13日。畑野智美さんの著作『トワイライライト』を最近読み終わって三軒茶屋に行きたい欲が高まり、あらゆる娯楽を上回ってしまっていたので、向かった。

本書は感染渦に大学生となりひとり暮らしをはじめた森山未明の生活の物語である。あの時、そして今もたまに感じる一瞬を畑野さんが表現してくれている。物語でいやな現実を思い出すなんて・・・と思うこともちょっとあるが、それ以上に寄り添ってくれる・すく【救・掬】ってくれる器量のどでかさを文章から感じるので、先にある一筋の光を追いながら読み進めることができる。気づけば読み終わってしまっていた。

一気に感染症が広がり、世界が変わっていく中で、人生の意味みたいなものを見出した人もいるのだろう。生き方を変えた人も多いようだ。そんなもの、わたしには、見つけられる気がしない。

トワイライライト/畑野智美

そして舞台となるのが三軒茶屋で、作中に登場する本屋「twililight(トワイライライト)」が実在しているのだ。名前は聞いたことあったのだがなかなか行くきっかけがなかったのだが、今回機運が高まりゲージは満タンとなった。


三軒茶屋駅に着き、西友とかがある茶沢通りをまっすぐいく。道中で買い物したいものがいくつかあり、まっすぐな道だけど寄り道しながらぐねぐね向かう。100均でレジで並んでいると、20代ぐらいの男性が、おそらく予算の千円内におさまるよう領収書の冊子を9冊買い、領収書をもらっていた。彼はきっとバイト内でも信頼の厚いしっかりとしたひとなんだろうと思ってしまった。いっぽう私は家で切らしてそろそろ不便を感じ始めていた、ジップロック(M)を買った。怠惰の末。しかしストックできないものは往々にしてある、そしておのおのの生活そしてペースがあると、己をはげます。


そうこういっているうちに着いた。本に書いてあったように、お得本が詰まった棚が置いてある階段をあがっていくと3階にお店はあった。
通りに面している方角に大きな窓があり、光が差し込んでいたのが印象的で、とても開かれているように感じた。本が置かれている場所とは別にギャラリーもあれば、さらに別に屋上にもスペースがあった(行った時には古本が置いてあった)。選書も幅広く、特に自分が触れることが少ない文芸系が多くあった。さくっと買ってコーヒーを飲みながら読もうかと思っていたが、結局1時間ぐらいずっと店内を散策してしまった。それほどまでに心地よさがありいまの自分の興味が刺激される空間だった。

境界や垣根のなく自由にとけこめる感覚。かといって、エヴァみたく全員がLCLの海にとりこまれてるわけではなく、個人の営みも感じられる場所。トワイライライトを読んでいるときと近い空気感があった。もっといえば三軒茶屋もそうだし、畑野智美さんの作風もつながっているような気がする。


時間の関係でコーヒーを飲むことができなかったが、おそらくまたくるだろうと思ったので、悔いはなかった。そのかわりに同じビル1階のパン屋で、おいしそうなパンを買い込んだ。三茶と言えばパンだと勝手に自負している。心をほくほくさせながら家へ帰った。帰りの電車で買った本を読んでいると、こりゃまたさっき思ってたのと近いことが書いてあった。

2020年の私たちは大きすぎる物語に振り回されることとなった。(中略)大きすぎる物語は、私たちを「みんな」へと束ね上げる。そのとき、個人は群れの一員として扱われ、心をひとつにするよう求められる。(中略)みんなの心を一つにしようとするならば、一つ一つの心はかき消されてしまう。

心はどこへ消えた?/東畑開人


自分の営みを書き留める、そして誰かの営みを垣間見る。往々にしてあるどうでもいいことも、どこにでもあることも謳歌することができる。自分がnoteでやっていることは、束ねられていた「みんな」から一つ一つをほどいて、解き放っている行為なのだった。

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