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「シン」になってしまった

2023年3月31日。
スーパーに行くと新タケノコに新きゃべつ、新白菜などいろんな新野菜がつめかけていた。3月時点で「新」の称号を名乗れるのは、新1年生や新成人、新社会人など、フレッシャーのなかでも屈指のかがやきを放つ一握りの存在しかいない。おそらく私はその権利を失っているがしかし、羨望というよりは、ほほえましいまなざしでみつめた。

図書館に行き、神沢利子さんの作品をdigしていると、
井上洋介さんとのタッグによるウーフシリーズの奔放さにこころうたれてしまった。中でも『ウーフはなんにもなれないか?』は哲学者ウーフのエッセンス満載でとてもパンチのある絵本だった。

(ここから絵本のネタバレ失礼。)
作中でウーフはともだちのキツネのツネタに、なんにもなれないよとなかなかの苦言をつきつけられる。しかしウーフは疑問を持ちつづけ、小鳥はひよこ、ちょうちょはもじょもじょのけむし、かえるはおたまじゃくしだったことを知る。そしてお母さんから、(ウーフは)いろんなものをたべて、元気なくまの子になったのよ。と教えてもらう。そしてウーフは一つの気づきに至る。

そうか、ぼくも ちゃんと なっちゃったんだよ。

なるではなく、なっちゃったのである。将来の話は未来の話になりがちだが、過去との変化から成長を見出すのは盲点だった。今の自分もなんらかになっちゃっているのかと思うと、これからどうありたいかというより、想像しやすい。


近年はエヴァンゲリオンもウルトラマンも仮面ライダーも「シン」になっていて、もはや誰にでもなれるのではないかと思ってしまう。
「シン」は真にでも、深にでもなれる。英語だとnewで終わってしまうが、日本語は曖昧さをもたらす。決めつけることなくふわっと委ねておくと、留まっているようで、思いがけずなっちゃっているのかもしれない。

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