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覚えていること


ここ最近(?)また地震が多いね。普段からよくあるので最近っていつから?みたいなところはあるが。仕事中に揺れを感じることもよくある中、この前会社の人にあのときどうだった?と聞かれたので、なんとなーくで思い出していた。東日本大震災のことを。
お正月のときに久しぶりにしっかりと思い出して、怖くなって夫の足元でへたり込んでいた。大丈夫だよ、とあたまを撫でてもらった。呼吸が落ち着いた気がした。
軽めですがそういう内容なので少しでもしんどい気持ちになる人は見ないことをおすすめします。



当時、わたしは高校二年生。場所は秋田。ちょうどテスト期間で三限目くらいまでテストを受けたあと友達と駅前で寄り道をしていた。お昼を食べてプリクラを撮ったあと、好きなお茶屋さんのソフトクリームを食べていた。すると携帯に地震速報アラーム、友達とえ?となっていたら揺れ始め、え、長くない?!でかくない?!と焦る。駅ビル内にいたので外へ出ようと階段を急いで降りているとビルの人に走らないで!!と注意された。めっちゃこわかった。

ツイッター廃人だったため地震直後
銀魂みたいなツイートをしていた。
keitai webの表示が懐かしい
同じく東北のフォロワーさんとの会話


外に出ると人がたくさんいて、今まで自分たちがいたビルを見上げていた。いやていうか地面のところからビルがメッッッチャ揺れている。ヤバいヤバい!と興奮状態だった。
そのあと駅の改札前へ行ってみると当たり前だけど全線運休、再開の目処なし。帰りに困った人間で溢れかえっている。ちょうどテスト期間ということもありいろんな高校生がたくさんいた。
この頃には既に携帯の電波もあったりなかったり。電池がもっていたかどうか忘れたけど、公衆電話に並んで親へ電話。昔は親の電話番号とかちゃんと覚えてたよね、大事だな。友達も親と連絡がとれたので、迎えが来るまでしばらく待機。親と合流できたのは夜7時か8時だった。ちなみに3月だけど東北なので普通に寒いし雪もある。吹雪いて寒かった。


実家のコンロはIHだったので、一度家に戻ってからもろもろ荷物を詰めて母の友人宅へ向かった。暗闇の中小さいライトで自室へ行くと棚のフィギュアが少し散乱していた。それ以外は正直元々散らかっていたためわからなかった。

当時はLINEもなかった(あったとしても普及してなかった?)ので、多分クラスの誰かからか安否確認、しばし休校のメールが回ってきた。テスト期間だったけど、結局このあとのテストを受けたかどうか覚えていない。
夜中、明け方、余震がたくさん来ていた。こわくてあまり眠れなかった。早く朝がきてほしかった。
スーパーへ行くと、いろんなものがすっからかんになっていた。あんまり覚えてないけどたしか水とパンとあたためるごはんを買った気がする。あたためるごはんは母の友人宅で鍋にお湯を沸かして食べた。
当時の携帯電話にきっと写真やいろんな履歴などが残っていると思うけど、見たらもっといろいろ思い出すのかもしれないな。まあその携帯は実家だし充電部分の接触が悪くてたぶんもう充電できないから、中身を見ることは無いと思うけど。

地震が来る15分ほど前に撮ったプリクラ。
他のらくがきによると本来テストはあと二日
あったらしい



多分わたしのところは全然被害を受けていない方で、わざわざ語ることもないのだけど、そんなわたしですら毎年3月11日はなんとなく3.11か…と、あの日のことをぼんやりと思い出してしまう。もう13年も経ったんやね。
地震というのはほんとうにおそろしいけど、それは自然災害でどうしようもない…と思ってしまう。しんどい。

特に締めの言葉は無いです。ただぼんやりもやもやした気持ちを吐き出しました。忘れたいけど忘れちゃだめなんだろうなぁ〜。できれば今後、何事もなく生きていきたいなあ。毎日をありがたく生きたいね。





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