日本におけるゲームメディアの歴史(GAME MUSIC本2012年夏より)

※(文字数:約8000文字)
※以下の文章は、コミックマーケット82で発行した『GAME MUSICについてなんかいろいろ書いてある本 2012年夏』の中で書いたものに、加筆修正を加えたものになります。発行雑誌などその時点の情報のものとなっております。

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 一昔前(10年以上前)からゲームをプレイされている方ならご存じでしょうが、昔はゲームの情報を仕入れるのもかなりルートが限られていて、且つ情報の鮮度的にもタイムラグが生じておりました。
 しかし現代はネットで検索すれば、イヤという程の情報が出て来ます。そこで、今日はゲーム黎明期からネット時代の現在に至るまでのゲームメディアについて、相変わらずの独断と偏見を多分に交えた内容で語っていこうと思います。


ゲーム黎明期のゲームメディア(1980年代前半)

 1979年、アーケードにおいて『スペースインベーダー』が日本中を席巻する大ブームとなり、日本における本格的なゲームの歴史がスタートします。それからアーケードゲームのブームが始まりますが、当時はゲーム雑誌と言えるものでさえほぼ存在しない時代であり、パソコン系雑誌の一コーナーに出るなどの扱いに留まっていたようです。
 ただ、そんな状況の中で生まれたもので象徴的なものがあります。それが『ゲームフリーク』。これは『ポケットモンスター』の生みの親である田尻智氏が1983年に創刊した同人誌(ミニコミ誌)で、主にアーケードゲームの攻略法について書かれていたものでした。ゲームに対しての情報が少ない当時、『ゲームフリーク』はゲーマニアの間で有名になり、当時のゲーム同人誌としてはかなり有名な存在となったようです(ちなみにコミケで売っていたわけではなく、まだ数の少なかった専門店での販売だった模様)。ともすれば、田尻智さんは『ポケットモンスター』という偉大なゲームの生みの親だったのと同時に、日本のゲームメディアにとっても先駆者だったと言えるのではないかと思います。

 余談ですが、1984年には名作として名高い『ドルアーガの塔』が稼働開始します。このゲームではテクニックよりも60あるフロアそれぞれにある宝箱の出し方が重要なとなりましたが、敵を順番に倒す、剣を振るなどといったものから、スタートボタンを押すなどというとんでもないものまであり、当時のゲーマーは必死で情報を集めていました。その過程がひとつのゲームだったのかもしれません。今ならすぐネットで検索できてしまうので、こういった情報を必死に探す遊び方が出来ないのが少し残念です。

 ともあれ、この当時は完全に個人単位でゲームの情報を得るというのが主流だったようです。


ゲーム専門誌という本格的メディアの誕生(1980年代後半)

 1983年、任天堂から『ファミリーコンピュータ』が発売され(ちなみにセガのSG-1000も同日発売)、徐々に人気を集め、1985年発売の『スーパーマリオブラザーズ』が大ブレイクして、家庭用ゲーム機としての地位を確立します。そして同時に、ファミコンを扱う雑誌、書籍も急増してゆきます。

 当初は啓文社(その当時の人には、黄色の必勝本シリーズで有名かと)から出ていた小型の子供向け知識本のようなものがありましたが、そのうちソフトバンクから『Beep』、徳間書店から『ファミリーコンピュータマガジン』などが創刊します。
 さらに1986年には、角川書店PC雑誌『コンプティーク』のファミコンコーナーが『マル勝ファミコン』として独立創刊、そしてアスキーのPC雑誌『ログイン』の1コーナーであった『ファミコン通信』が分離独立して同名の雑誌を創刊します。

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