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サロメ嬢 躍進の理由

同様の論述をされている方はすでに数多いらっしゃいますので、この内容は視聴者間で一般化した考察のまとめ程度とお考え下さい。

1.口調の徹底した統一

「お嬢様を目指している一般人」という肩書が、彼女の第一の特徴である。
あくまで一般人ではあるものの、お嬢様を目指している以上、いわゆるお嬢様言葉の徹底を欠かさない。
語尾の「ですわ」はもちろん、笑い声ひとつとっても「おほほ」で統一している。すなわち、プロフィールにある「お嬢様を目指している」という内容を遵守しているのである。
このキャラクター性の遵守が功を奏した。
アニメ・漫画・イラストの文脈にあり、架空の存在であったようなキャラクターたちが、独立した人格を持って現実界に顕現する。オタクでなくとも持つであろうこの普遍性ある憧れは、バーチャルYouTuberが人気を博し、V業界に新規に人が集まった元来の理由そのものであった。サロメ嬢はそこを的確に突いていたのである。

「ただの生主」というのは、Vtuber業界に生配信という活動形態を浸透させたにじさんじに対する批判の常套句であった(現在も言われ続けているかは未確認)。
にじさんじ台頭前は、Vの活動形態といえば動画であったというのは有名な一般論である。もちろん四天王を中心に、V業界胎動の時期から生配信もたびたび行われていたが、主戦場は動画であったことにやはり違いはない。
「架空の存在が現実に顕現する」という状況を確立させる場として、この動画という形態は最適である。言動をあらかじめ設定できるため、そのVが持つ肩書(「設定」と言い換えてもよい)に沿った振る舞いを成功させやすい。さらに、いわばその肩書とは関係ない「中の人」の要素を極限まで薄められる。
そうすることでそのVtuberのバーチャル性=架空性を担保でき、「架空の存在が現実に顕現する」という普遍的な憧れを集める状況を発揮させやすいのが、動画という活動形態なのである。

反対に生配信という形態は、その架空性を発揮する場としては難がある。
台本のない状況でリアルタイムに動き、話す必要があるため、肩書に沿った振る舞いと「中の人」の要素の希釈が難しいのである。
アニメ・ゲームといった、オタク文化の延長にある見た目であるにもかかわらず、ひとたび口を開けば生の人間感が否応なくにじみでる。そのギャップを受け入れられず、Vそのものを忌避している人間も多いのではないか。
中の人の希釈の弱さが、動画を主体とする時代への回顧を加速させ、原理主義もといアンチVライバーへと走らせる要因なのではないか。
「ただの生主」という評価は、にじさんじが始動した最初期からあった。そのころにはすでに、上記のような問題点が浮き彫りになっていたのである。

立ち返って、サロメ嬢に関してはどうだろうか。
生配信という形態をとりながら、徹底したお嬢様口調でキャラクター性を担保。後述するが、あくまで「お嬢様を目指している」という遵守しやすい肩書も相まって、生配信という形態の欠点であった「中の人の希釈」を高い水準で実現できている。
それは、Vが人気となる理由であった「架空の存在が現実に顕現する」という状況を、それも生配信という場においてハイレベルに実現できていることを示しているのである。
V人気の元来の理由を刺激する彼女が異常な急成長を果たしたことは、この意味ではある種当然の結果なのかもしれない。

2.守りやすい、かつ「崩しやすい」肩書

お嬢様口調の徹底がキャラクター性の遵守を生み、人気の理由となった旨は既に記した。
ただ、前述の通り、そもそも「お嬢様を目指している」という要素そのものが、守りやすいキャラクター性であることも言及する必要がある。

純粋なお嬢様であったならば、徹底したキャラクター性の遵守は至難の業であろう。口調はもちろんのこと、一般的にお嬢様に向けられる紋切型的なイメージに反する言動は許されない。
現実であれば、お嬢様要素を持つ人間であっても、そのテンプレートを満たすとは限らない。むしろ、要素を持つからといってそういったイメージを押し付ける方が無粋である。
しかし、Vは違う。繰り返すが、「架空の存在が現実に顕現する」という要素こそV人気の根源である。現実の人間が現実に存在しようがなにも特筆すべき点はない。架空の存在が現実に近い場所にいるというギャップが、人を寄せ付けるのである。
架空の世界、つまりアニメや小説にといったフィクションの世界において、登場人物のキャラクター性はデフォルメされている。アニメ・漫画・ライトノベルの類では特にその傾向が強く、外見のみならず性格における特徴をも強く強調される。

これは、Vも例外ではない。
「架空の存在が現実に顕現する」感を満たすために、Vはフィクション性、つまりその肩書にのっとったキャラクター性をあえて前面に押し出す必要がある。一般に、現実界とのギャップを大きくしたほうが、リアルに近づいた際の反響もその分大きくなるからだ(もちろん例外は多くある)。
そのためには、前述のデフォルメされたキャラクターを守らざるをえず、オタク文化圏で共有されている紋切型のイメージをなぞる必要が出てくるのである。

そういった意味で、お嬢様という強烈なキャラクターを、それも生配信という希釈が難しい環境で守ることは、やはり難しいといわざるをえない。
なまじ「お嬢様といったらこういうキャラ」という見識が確立されているため、少しでもその紋切型から外れると違和感が生じ、「中の人」感がにじみ出てしまうからである。
そもそもお嬢様というのは、家柄などの先天的要素が強く、育成環境といった長期的な流れの中でのみ確立されるキャラクター性である。それをVになったからといって、後天的に身に付けようというのは至難である。

しかし、サロメ嬢はお嬢様ではない。お嬢様を目指す一般人である。
一般人なので、スラングを連発してても許される。
一般人なので、冷凍庫の中身に逐一気を揉む姿も許される。
一般人なので、焼肉にシャウエッセンを持ち出しても許される。
一般人なので、おしっこいっぱい出たとか言っても許される。
もし本物のお嬢様であったならば、これらの要素はどれもそのキャラクター性に反するマイナス要素となりうる。しかし、彼女には関係ない。だって一般人だから。


ここまで彼女の肩書の守りやすさについて言及してきたが、ここからはさらに「崩しやすさ」についても記すべきであろう。
いままでの内容と真反対の展開に論をすすめなければならないのは、他でもない月ノ美兎の存在があるからである。
女子高校生である(はず)の彼女は、「職質を受けた」際のエピソードトークにおいて「未成年と間違われやすい」という旨を発し、視聴者から多くのツッコミを誘った。2018年の出来事でありながら、月ノ美兎の型破り加減を端的に示す一つの例として、回顧の対象となっている。

ここで現れている事実は、肩書から外れた言動がむしろ肯定的な意味で視聴者の反響を呼び、好意的に受け入れられる場合が少なくないというものである。
前述の内容に沿うならば、肩書から外れた言動はマイナス要素であると考えるのが妥当である。のっぴきならない事情から、口調を主とする自身のキャラクター性をRP(ロールプレイ)と明言したライバーもいるが、やはり賛否両論は生じた(2022/6/13,12:40ごろ記載)。

しかし、一定の条件が整っていれば、むしろそれはツッコミどころとして視聴者の笑いを引き起こす。「いやお前、設定と矛盾しとるやんけ」というツッコミの余地が、そういった笑いの起爆剤となるわけである。

改めてサロメ嬢に話を戻す。
先に、「お嬢様を目指しているといえどもあくまで一般人だから、庶民的な言動も許容範囲」という理屈を彼女の人気ぶりの理由に挙げた。
しかし今度は、「一般人とはいえお嬢様を目指しているのだから、そこから外れた言動は十分ツッコミの余地」という、相反するような側面も彼女は併せ持っているのである。すなわち、お嬢様を目指しているという肩書は、キャラクター性からの逸脱においても功を奏しやすい優秀な内容であることがわかる。
さらに深掘りをすると、そういった逸脱を肯定的に受け入れてもらえるか否かについては条件がある。それは、どれだけ肩書に沿った言動が普段徹底されているかどうかである。
逸脱している状態が普通であるならば、肩書から外れた言動が逐一取りざたされることはない。遵守する態度を通常から示しているからこそ、そこから外れた際の反響が大きくなるのである。

一見崩れているようにみえて、よくみると実はそこまで含めて彼女のキャラクター性であるということ。それは、肩書からの逸脱というツッコミの余地を生む、優れた笑いの起爆剤としても機能するということ。そして、それら相反する二つの側面を両立させる肩書・キャラクター性を持つ者が、壱百満天原サロメという人物であること。さらにいうと、それを前面に押し出し、遵守の態度をもって自身の武器として発揮させているライバーが彼女であるということ。
守りやすい、かつ「崩しやすい」肩書というのは、そういった理由からあてがった小見出しというわけである。

3.「ゲーミングお嬢様」との相性の良さ

ゲーミングお嬢様で検索をかけると、大@nani氏、吉緒もこもこ丸まさお氏による漫画作品がヒットする。ただし、ゲーミングお嬢様という単語は、この作品のみならず一般化したある共通認識を指すことの方が多くなって久しい。彼女はこの概念を具現化したような言動が多い。

作品自体の解説はピクシブ百科事典にゆずるとして、一般にゲーミングお嬢様に関する共通認識は、上の記事の説明にある「格ゲーマーの口の悪さとお嬢様の上品さが合わさった煽り」に集中していると思う。
ゲーマーにありがちとされる、スラングや煽り文句といった引火性の高い発言の数々。では、もしもゲーム好きなお嬢様が存在したら、そういった発言内容はそのままに、口調だけお嬢様言葉になっていたならおもしろいというのが、ゲーミングお嬢様という概念の要点である。
この概念は、インターネット及びオタク文化圏において、人気の共通認識として浸透しているものと思われる。ゲーマーとお嬢様という、普通なら交わることのない要素の組み合わせが人気の理由だろう。
上記事で紹介されている

クソわよッッ!!間違えたお排泄物ですわよッッ!!
ひょっとして……??お雑魚であらせられる??

これらのセリフは、そういった概念を極めて端的に表現できているといえる。
大@nani氏の漫画が先か、共通認識としての概念化が先かはわかりかねるが、いずれにせよこういった概念が、示し合わせたわけでもないのに共通認識として浸透している状況に違いはない。
しかし、ゲーミングお嬢様は魅力的なキャラクターではあるが、言うまでもなくフィクションの存在である。悲しい現実だが、まさか実際に“ゲーミングお嬢様”的な言動をする人間など存在するわけがない。
そう、サロメ嬢が登場するまでは、そう思われていたわけである。

「おフ◯ック!!」はこれまたわかりやすい例で、前述の漫画のセリフと近しい要素があることは察せられよう。
これに加えてさらにサロメ嬢に特徴的なのは、人並みでない相応の言語能力をにじませている点である。
これは「くっせぇですわ~!」などのようにインパクト大な発言ではなく、配信を一定時間聞いていないと気付きにくいような要素なので難しいが、口語ではいまいち使う機会が少ない言い回しが彼女の口からはポンポン出てくる。「わたくしは蒸気機関車ですわ~!」や、「わたくしたち今一蓮托生!」、「おどきになってデクの棒!」などなど。これらを踏まえて視聴者からは、彼女の持つ語彙をつかさどる地頭の良さ、ないし文学的素養を汲んでいる人は多い。
要するに、発言内容を組む能力的には育ちの良さがいかんなく発揮されているため、「育ちが良くて言葉遣いも品行方正なはずなのに、発言内容だけは物騒」というゲーミングお嬢様の要素をやはり高水準で満たせることになる。

以上より、空想の存在であったはずのゲーミングお嬢様が、前項で散々論じた「架空が現実に」を体現している姿こそ彼女であるといえる。インターネットないしオタク文化圏の人間らが共通認識として持っている、ゲーミングお嬢様に向けた集合意識を、サロメ嬢は(バーチャルの住民ではあるものの)現実の存在として具現化してしまったわけである。
もともと人気の概念であるゲーミングお嬢様が、独立した人格を伴って振舞っているのだから人気が出ないはずがない。これもまた彼女の人気の理由の一つとして勘定する必要があろう。

4.クソおもろい

と、これだけ長々と書いておいていながら元も子もないが、正直もうこれに尽きる。
まず初配信に備え、視聴者とお近づきになるにはどうしたらよいか考えたサロメ嬢。
そこで考え付いたのが、「履歴書をはじめとする黒塗りの個人情報開示」と、例の「胃カメラ画像(うっかり腸の画像も混じっていた)」である。
この蛮行は既に広く知れ渡っているが、「仲良くなりたいから内臓を見せた」という経緯を考えるとよりその狂気さが浮き掘りになるだろう。

そのエピソード何?とお思いの方は、下記の時間指定リンクから観てください。今すぐ。
↓胃カメラ回

↓胃カメラの経緯(内臓注意)

ちなみに活動において胃カメラをさらしたVは彼女初というわけでもない。

が、高まるに高まった注目度によって、特にこの胃カメラに関しては彼女のぶっ飛び具合を象徴する行動として刻まれている。

てか自分で書いといてなんだけど、「胃カメラ回」って何?

続いて挑んだバイオハザード7実況。全12回にわたる怒涛のペースで挑んだ。初回配信でゲーム下手って言ってた人間の配信内容じゃないだろ。

ちなみに彼女はこのバイオハザードにかかわらず、配信を基本1日1時間程度で収めている。数時間にわたる配信が常態化した昨今、この方針が彼女の躍進の重要な一端を担っているという点はよく知られている。切り抜きから気になって本配信のアーカイブを見に来た際、時間が3時間越えとかでげんなりした初心者はこれまでに多かったことだろう。

そして胃カメラと並んで挙げられる伝説が、記念すべきバイオハザード実況第1回。予定していたものとは別のシリーズのバイオを導入してしまい、ダウンロードし直すあいだ「自分の脳みその中をさらけ出す」という意図のもと、白地図に都道府県名を埋めていくことで場を繋いだ回としてあまりに有名。

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序盤は北海道、沖縄と分かりやすい地名から埋めていき、滑り出しは順調だった。

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なぜそこから埋めた。
金沢は県ではないというツッコミすらもはや野暮である。
とはいえ「ここはわかりますわ!」と意気込んで青森県を無事書き込み、取り直せたかと思いきや

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石川県割譲
石川県は石川県で存在することはさすがに把握しているとはいえ、画面のインパクト的には十分である(最終的に結局石県と川県で固定された)。
その後、名前が分からない県に対して容赦を懇願する姿勢をみせるも、千葉の場所を探す際にチーバくんの形状から逆算する発想に出る。

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サロメ嬢がチーバくんって言うならもうこれがチーバくんでいいとおもう。
とはいえ、さすがにこの記憶の解像度では厳しいものがあろう。

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なんで当たるんだよ。

さらにこのあと、分からない県をデッドスペースと呼び再び容赦を請うなどの名シーンがあるのだが……
すみません、このペースで書いてたら10万字とかになっちゃうんでもうあとは本編観てください。あとこれだとバイオへの言及があまりに貧相なので付け加えておくと、回復アイテムであるハーブを見つけるたびに「おハーブですわ~~~~~~~!!!!!」と叫ぶ(もちろんコメント欄も同様に埋まる)ことにはじまり、「妻も左手もなくしましたので、あとなくすものといえば命だけですわ~(大意)」とか、「NTRですわ~!」とか、お嬢様言葉でいうもんだから笑っちゃうだろ!的な発言が最高。あとトラック運転するゲームにて、中央分離帯にケンカ腰で乗り上げておいて「死ぬのはもしかして私の方かもしれませんわ~」とあっさり死を覚悟したり、「ド玉ブチ抜かれる」とか(難度も言うが決してお嬢様の語彙ではない)とか、あとやっぱり中央分離帯に乗り上げて隠すこともなく舌打ちしたりとか、どうしてこんなにおもしろいのか。

さいごに

個人的にゲームに全く興味がなく、ゲーム配信をみてもプレイヤーがいま何をしているのか、コメント欄がなぜ盛り上がっているのか全く分からないまま、にじさんじのオタクを4年間やってきた。完全に自業自得ではあるものの、必然的に観る配信は雑談や企画もの中心となり、視聴者の多くが大盛り上がりする大規模なゲーム大会では、熱量をすぐ隣で感じつつその輪の中に入れない悔しさをうっすらにじませ続けた4年間でもあった。CRカップやARK戦争などがその代表である。不勉強が原因といわれればいい返す言葉もないが、そもそもプレイしたこともする予定もないゲームの内容を理解しなければと意気込める人間がそれほど存在するだろうか。

わたしの最推しである剣持刀也は、その点からして救世主であった。2018年に出会って以来、その豊富な語彙としゃべりの堪能さ、ツッコミの鋭さに惹かれ続け、それがにじさんじ沼の入口でもあった。本来興味のないゲーム配信も、彼と一緒なら楽しめた。テトリス配信が特に顕著だが、視聴者に「喋るな」(原文ママ)といわれるほど、プレイング中も口を回し続ける。プレイのタイミングは全て空白の時間となってしまう私にとって、その姿勢はありがたいものに他ならない。

そして2022年、そのスタンスを踏襲しているともいえるにじさんじライバーが現れたと私は感じている。壱百満天原サロメである。
正直バイオハザードの内容はほぼわかっていないが、そんなことは関係なく彼女の配信は面白い。多様な語彙とお嬢様口調に彩られる彼女の配信が魅力的であるという話は、既にした通りである。

にじさんじライバーの結晶ともいえる壱百満天原サロメ。百満天の笑顔を届けんと邁進するその姿を、追い続けたいと考えずにはいられない。


注記
ヘッダー画像出典:ANYCOLOR株式会社
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000441.000030865.html

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