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パンがなければケーキを食べればいいじゃん

新宿まで眼鏡を作りにいって、家に財布を忘れてきたことに気づいたのだった。

そこそこ長く生きてきたけれど、財布を忘れて出かけるのはこれが初めて。気づいたとき、慌てるよりも先にまず驚いてしまったのは、財布を忘れるということにかんしてはなぜか自分は大丈夫という変な確信があったからだ。

それにしても、恐ろしいのは「刷り込み」である。

そのとき、よりによって頭の中に流れたのはサザエさんのテーマソングだった。

♪買い物しようと町まで出かけたが、財布を忘れて愉快なサザエさん

という例のアレである。

こんな、ちょっとしたピンチといったタイミングにしてこれである。さすがに呆れて笑ってしまった。いや、笑ってる場合じゃない。

しかし、こんな話ももはやZ世代には通用しないかもしれない。

「財布がないならペイペイで払えばいいじゃん」と言われてしまいそうだ。

そう、いまの時代、パンがなければケーキを食べればよいのだ。

もちろん、と胸を張って言うことでもないけれど、いまのところほとんどコード決済を利用していなぼくは自宅まで財布を取りに帰るハメになった。

一応、スマホにはコード決済できるアプリもインストールされている。だが、今回は数百円の買い物ではない。クレジットカードに紐づけていないかぎりほぼ役に立たないということがよく分かった。

ソバがあってもツユがなければ食べられないのと同じである。いや、この比喩はなんだか違う気がする。

いずれにせよ、いまやコード決済はすっかり浸透しているし、現金を一切受け付けないという店もちらほら見受けるようになった。そういう時代なのはひとまず理解しよう。

だが、自分の場合やはり日頃の買い物にかんしてはちまちま財布から小銭を払い出すほうが性に合っている。それはべつにこだわりとか頑固とか、そういう話じゃない。

細かいものほどちゃんと考えて買わないと身の回りに不要なものが増えるばかりだし、なんといっても元々ないお金があっという間になくなってしまう。ただ、ずるずる買い物できてしまう環境に身を置くのが怖いのだ。

それに、個人店ではむしろ積極的に現金で支払いたいというのもある。価格に手数料を転嫁するのが難しい小さなお店では、キャッシュレスのおかげで売上が目減りしていると聞く。

とはいうものの、一度でもこういう経験をしてしまうと、使う使わないは別としてやはりひとつくらいクレジットカードに紐付けておいたほうが安心という気持ちにはなる。

守りの姿勢と他人からうしろ指さされようが(ささない)、貴重な時間をそうそう財布を取りに帰ることに費やすわけにはいかないのだ。

こうしてコード決済をできるようにはなったのだが、それでもやはり当分のあいだは便利さに目をつむって現金払い中心でいくつもりである。ケーキはケーキであって、そうかんたんには主食にはならないということだ。

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