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変なおじさんが遅刻の危機から少年を救った話

毎朝バスを待ちながら、見るとはなしに向かい側の停留所を観察するのが日課のようになっている。


そのバス停から発車するのは、特別支援学校の方面に行く路線である。ちょうど通学時間帯にあたるため、いつも7、8人の生徒たちがこのバスを利用する。


毎朝のことだから、最近ではすっかり彼らの顔を覚えてしまった。顔ばかりか、この頃はそれぞれのキャラクターまでなんとなくわかってきた気がする。


この子は好奇心が旺盛でいつもキョロキョロしているぞ、とか、あの子はマイペースでおっとりしているな、といった感じ。毎日ひとりでバス停まで歩いてくる子もいれば、親に付き添われてくる子もいる。


ところで、そのバス停まではうちからスタスタ歩いて10分ちょっとといったところにある。


遠いとまではいわないが、途中、幹線道路を渡ったり踏切を越えたりしなければならないので時間を読むのはなかなかむずかしい。それなりに余裕をもって出ないと、バスに乗り遅れるといったことも十分ありうる。


いつだったか、通勤途中、いつもバス停で目にする生徒のひとりをうちの近所で見かけたことがあった。いつもひとりで歩いてくる、あの好奇心旺盛な子だ。


バスに乗り遅れまいとせかせか歩くこちらをよそに、その子は途中立ち止まってはあたりを見まわしたり、おもむろにしゃがみこんだりしている。


--ああ、そんなことしているとバスが行っちゃうよ。


こちらは内心ハラハラしてしまう。だいたい、彼らの乗るバスのほうがぼくの乗るそれより2分も早いのだ。


そして案の定というべきか、その子がようやく停留所にたどり着くころにはすでにバスは発車した後だったりする。


無人と化したバス停で呆然とたたずむ姿に、ほら、だから言わんこっちゃない、と心の中で言ってみたりするのだった。


このあいだ、やはり前方を悠然と歩いているべつの生徒を見かけた。どこか愛嬌のある少年だ。


いつもお父さんが送ってきていたはずだが、けさはその姿が見えない。


しかしそういうときにかぎって、ダイヤが乱れているのか踏切の開く気配がいっこうにない。


イライラしながら時計を見ると、まだなんとかこちらは大丈夫そうだが、その子はだいぶ急がないとバスに乗り遅れる。そんな微妙なタイミングだ。


ようやく開いた踏切を、だが、その子はいっこうに焦るふうでもなくのんびり歩いている。むしろ、こちらの方が落ち着かなくなってくる。


バス停まで見渡せたなら少しは焦るのかもしれないが、あいにく角を曲がった少し先なので死角になっていて様子がわからない。


ーー絶対絶命のピンチ。


角までたどり着いて見ると、嗚呼、すでにバスは到着し乗客がひとりふたりと乗り込んでいる。


ぼくは思わずふりかえってその少年を見る。二度、三度、見た。


すると、ぼくの視線に気づいた彼が「?」という表情になったので、バスの方を指さし「来てるよ」と教えてあげた。


とっさの判断だった。おそらく、いつも親に付き添われて来ている彼はバス停にひとり取り残されるといった経験をしたことはないだろう。


もしバスが行ってしまったら、途方に暮れ、あるいは場合によってはパニックにならないともかぎらない。


はっと表情が変わると、少年はダッシュでバス停に向かって走り出した。そして、なんとか最後の乗客としていつものバスに乗り込むことができたのだった。


――やれやれ。


ホッとしたのもつかの間、もしやあの子バスの中で混乱しているのではなかろうか、と今度は急に心配になってきた。


というのも、「あのおじさんは何者だ?」と考えるにちがいないからだ。


先生? それともだれかのお父さん? いや、違う。


だいたい、なんで自分がこのバスに乗るとあのおじさんは知っていたのだろう? 


考え出すと、頭の中は「?」でいっぱいになってしまいそうだ。


これは、もしかしたらかえって可哀想なことをしてしまったかもしれないな。怖がらせていないとよいのだけれど……。


とっさの行動とはいえ、それがはたして適切だっだかどうかについてはいまだ測りかねている。


この世の中には、変なおじさんがいろいろいるものだ。


お腹を空かした小僧さんに鮨を奢ってくれる「神様」のような変なおじさんもいれば、なんだかわけがわからないうちにバスの到着を教えて遅刻の危機から救ってくれる変なおじさんもいる。


そのくらいの、なんというか、ふんわりした感じで納得してスルーしてくれることをいまは祈っている。


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