READ➕ 23 知的幸福の技術 橘玲 著

少し前に、神奈川の町田市で、生徒に対する体罰があったようですね。


このニュースのことはよく知らなかったのですが、よくよく読んでみると生徒が先生を挑発させたということもあるそうで、どうやら生徒にも非があるようです。

学校の体罰の問題が顕在化すると、格好の議論の的になります。

これは、突発的なことが原因なのでしょうか?

それとも、構造的なことが問題なのでしょうか?

それでは、本日も書評を書いていきたいと思います。

〜目次〜
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[1]本日の1冊
[2]はじめに
[3]内容
[4]独断ポイント
[5]終わりに
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[1]本日の1冊
          「知的幸福の技術」 〜自由な人生のための40の物語〜
                      
  橘玲 著

[2]はじめに

橘さんの本はこれまでに何冊か読んできました。
橘さんは小説や、ビジネス書を含めてこれまで10冊以上本を執筆しております。この本は10年前ほど前に書かれた本ですが、発言は本当に一貫しているなと感じます。このようなことから熱烈なファンが生まれていくのだと思います。

ただ、この本に限らず、本を読むだけで成功できるわけではありません。
かくいう私も、中学生くらいのころに父親からこのほんのことを教えてもらって橘さんのことを知りました。

当時の自分には正直内容が意味わかりませんでしたが、とりあえず読んでみました。

今読み返してみても、当時より内容の意味はわかりますが、肝心の「幸せ」だと心から感じることができていない、もしくは感じていても気づけていないです。

橘さんの本にすがるのではなく、氏の主張が胡散臭くなったら、みんなが求めるような「幸せ」は手にできるような気がしますが、果たしてその先に何が待っているのでしょうか。

話が脱線してしましました。下記が内容です。


[3]内容
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億万長者になって王侯貴族のような生活を送ることは誰にでもできるわけではない。だが自分と家族のささやかな幸福を実現することは、難しくはない。必要なのはほんの少しの努力と工夫、人生を設計する基礎的な知識と技術だ。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』の著者が、激変する状況のクールな認識から人生設計を再構築する方法を凝縮!
(amazonの紹介ページより)
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これは、アマゾンの書籍紹介ページから引っ張ってきたのですが、この書き方だと微妙に誤解を与えるのではないかと思います。

橘さんの本は世間からはタブーとされてるような話題にも結構踏み込むので好きですが、この本はいわゆる辛口エッセーのようなものだともいます。

誤解されるといけないですが、自動的に幸せになれるわけではありません
題名がそのことをよく表しておりますが、あくまで知的幸福の「技術」であります。

ただ、物事の捉え方が「幸せ」になることは確実だと思います。
わたしは橘さんの本を読んで大金持ちになったわけではないと思いますが、物事の捉え方は「豊か」になれたと思います。

[4]独断ポイント
さて、冒頭に挙げた問題に対して、橘さんは、本書で2つの観点から論じております。(これが書かれたのは10年前ですが、状況は変わってないとおもいます。)

[1]退学処分権がないこと
[2]
かつての番長率いる不良組織がいなくなったこと

だと述べます。

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私立中学にあって公立中学にないもの。それは退学処分権だ。
私立学校で生徒の安全を脅かすような事件が起こると、翌年からその学校を受験させる親はいなくなる。(中略)
私立学校のいじめ対処法はシンプルだ。全力を挙げて犯人を探し出し、即座に退学させてしまう。これが抑止力となって、生徒も"武力行使"を誘発するような真似はしなくなる。
それに対して公立中学は、義務教育によって、問題生徒を排除する選択肢を奪われている。どんな生徒も平等に抱え込んでいかざるを得ないなら、警察のない社会と同じだ。教師の献身的な努力にもかかわらず悲惨な事件が続くのには、構造的な理由がある。
 この欠陥を補うために、かつての公立学校は民間の暴力装置を利用していた。番長の率いる不良組織だ。
 一般生徒にとって、番長の決めたルールを犯すことは最大のタブーだった。学ランの長さから喫煙場所まで、生徒自身の手で厳格な規範が定められていた。
 多くの場合、暴力の匂いを持つ教師だけが番長と対等に交渉できた。体罰教師と番長によって裏の秩序が仕切られ、学校の治安が保たれていたのである。
 やがて、暴力を批判する風潮の中で体罰教師は消えていった。いつの間にか番長もいなくなった。それと軌を一にして陰湿ないじめが社会問題化したのは偶然ではない。
(橘玲 知的幸福の技術 本文より抜粋 太線は筆者による)
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私はこの内容に深く納得すると同時に、今回の町田で起きた体罰の問題等を見て、

「この問題は高校まで幅広く考えたほうが良いのでは?」

と、考えました。

本書が執筆されてから10年が経ちますが、その間におおまかに下記①から⑤の流れができております。

①少子化による生徒の減少
②知的労働の増加で、高卒でありつける職業の減少
③高校進学率は約98%で、ほぼ義務教育
④公立高校にも「お客様化」が浸透
⑤それに加えて、公立は授業料がタダ

橘さんの主張は、あくまで義務教育と定められた中学校について言及されておりましたが、その波は、少子化の影響で高校へも確実に進行していると思います。

皆さんご存知の通り、高校は義務教育ではありません。それ以上勉強したくなければ働いてもいいのです。

ただ、高校生ぐらいでなればだれでも、今の時代、中卒だといわゆる「社会」で成功することや、まともな仕事へつくことが難しいということを知っているのでしょう。(中卒で成功している人が一定数いることはもちろん知ってますが、ここでは確率的な話をしております)

また、公立高校が特殊なのは、法人化されていないことです。
中学までは義務教育なので、公立中学が法人化されないのはなんとなくわかります。大学においては、国立においても大部分は法人化しております。
私立高校も法人化され、教師は公務員ではありません。

それが、公立高校は義務教育ではないにもかかわらず、法人化していないため、学校の先生も公務員です。

なんとも不思議というか、宙に浮いた存在なのです。

更に東京都に限れば、東京都は私立高校でも条件が揃えば無償になるようです。

国立大学の最下位と、私立大学の最下位で比べると、当然私立の最下層のほうがレベルは圧倒的に低いです。
それは法人化された今でさえも、受験する保護者や生徒に、「国立は無条件で安い」という価値観がしっかりと植え付けられているから。
その価値観に基づいて、合理的な判断をするから。

それが、今回の問題があった町田、また都立高校で考えると、授業料無償化によって私立→都立へと立場が逆転したのではないでしょうか?
授業料がただで、おまけに私立高校は文字通り生徒はお客様なので、先生の生徒に対する捉え方は公立高校の先生とは明らかに異なると思います。

これは、地方の田舎高校にいた方なら同意してくださると思いますが、地方高校は、基本的に

公立高校>>>>>私立高校
です。

これは公立、私立の間で偏差値がどうとかそういう問題以上に

学費がタダ

というある種の優越感があるからです。

公立を落ちたときの負け犬感がとてつもないのです。(私もその1人)

私立を無償化にすれば、ただでさえ有名私立に入りたがる生徒が多い東京で、公立高校のレベル低下は簡単に予想がついたはず。

このマニフェストを掲げたのは主に公明党のようですが、票集めのマニフェストがこのような結果につながると何人くらいが予想したのでしょうか?


...上で書いたことと重複するところもありますが、まとめると

①公立高校の先生は、公務員である。
→給料は、生徒からではなく国から税金として支給される。
→客でもない生徒をお客様扱いする理由がどこにある?
②少子化以前は生徒をこちらから集める必要はなかった
③私立高校授業料無償化(東京都)


[2]かつての番長率いる不良組織がいなくなったこと

橘さんの主張にあったこちらについても考えたいと思います。

私が公立中学校にいた頃は、不良組織はやはり存在したのですが、橘さんの発言はどちらかと言うと、私の父世代がメインなのではないかと思います。

これは私の個人的な体験なので、必ずしも全部がそうというわけではもちろんないのですが、不良の生徒と体罰先生が一緒に学校を取り仕切るというより、教師にたてついたり、教室の窓が広い範囲で割られる、とかいったものが主でした。

それに対し、一部の先生は疲弊しながらやめさせたり、闘ったり、なんとか対応してましたが、ほとんどの先生は生徒に迎合していたような気がします。

表立った体罰教師なんてもちろんいませんでしたし、先生から体罰を受けることもあり得なかった時代でした。

今回問題を起こしてしまった先生が若い頃は、体罰が当たり前だったのだと思います。(だからといって現代の論調でやってはいけないことに限りませんが。)

ただ、先生は生徒を無条件で殴っちゃいけなくて、かといって生徒に迎合してクラスが学級崩壊みたいになっても文句のいう親のせいで板挟みになって、じゃあどうしたらいいんでしょうか。

どこの学校に飛ばされるかは運みたいなところもあるようですし。

やりがいだけでは言い表せない、ストレスの貯まる仕事だと思います。


...そんなことを考えていたら、下記の記事を見つけました。

おとなり韓国でも学校のいじめや学級崩壊はかなり深刻らしく、その対策がかなり奮っております。

なんと、「ヤクザおじさん」のレンタルがなされているようです。

このサービスはもちろん有料で、費用は保護者が捻出するそうです。

ただ、自分はお金は出せない、先生に頼りっぱなしの日本より、割り切れていてとても合理的な対応だなと思いました。


もちろん優劣はありませんが、橘さんの言葉を借りれば

「安全」はタダではない

とつくづく感じる、また日本の問題を考える上で示唆に富んだ記事だと思いました。

少子化が進む日本、その末路は一体どのようなものなのでしょうか。


[5]終わりに

ここまで読んでくださりありがとうございました。







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