ヤングケアラーの話とこれからのこと

皆さん、こんにちは。私は今北京にいるのですが、Wifiの関係で最近は全然noteを更新できておりませんでした。

これからまたnoteを更新していきたいと思います...

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突然ですが、皆さんに質問です。

「現代の高校生は、何人に1人が他の家族の介助や家事などを行っているでしょうか??」

「え?? 高校生が家族の介助、家事なんかやってるの??」

そう思った方、多いのではないでしょうか??

これまで、この問題に焦点が当てられることはなかなかなかったのですが、大阪歯科大学の濱島淑恵准教授が、この問題を浮き彫りにするため、家族の介護やケアを担う子ども・若者に関する研究、調査を行いました。

大阪の高校生約5000人への調査の結果、約20人に1人が、勉学の傍ら、祖父母の介護や、障害を抱えた親の介助、また忙しい親に代わって家事を行ったりしていたのです。

単純計算で、クラスに2人はいる計算になります。

この調査は大規模な調査が展開されたのは大阪が初めてでしたが、全国での調査はまだ行われておりません。

この調査を実施した濱島教授や、その他たくさんの先駆的な研究者の方、各コミュニティで精力的に活動していた方々によって、この問題は少しずつ、着実に注目を集めてきました。

私自身、この言葉の意味を知ったきっかけは、研究者の方の調査結果をなにかのタイミングで読んだことがきっかけだったと記憶しております。

また、こういった問題に直面している学生たちを総称して、「ヤングケアラー」と呼ばれているということを知ったのも、同じタイミングでした。

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◎ヤングケアラー(子どもケアラー)
家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子どものことです。ケアが必要な人は、主に、障がいや病気のある親や高齢の祖父母ですが、きょうだいや他の親族の場合もあります。

◎若者ケアラー
18歳~おおむね30歳代までのケアラーを想定しています。ケアの内容は子どもケアラーと同様ですが、ケア責任がより重くなることもあります。若者ケアラーには、子どもケアラーがケアを継続している場合と、18歳を越えてからケアがはじまる場合とがあります。
(出典)
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このnoteでも何度か触れたことがありますが、現在私は祖母と二人暮らしをしております。普段祖母は自分のことは自分でできておりますが、急に倒れたりしたときは病院に付き添ったり、荷物を運んだりしてました。
また、私のもうひとりの祖母は足腰が弱く、仕事で忙しい両親に代わり、病院に付き添ったりしています。

比較的時間のあるときは、そこまで大変に感じませんでしたが、仕事と介護が被ったときは両立が大変に感じたこともありました。

祖母は今現在自立して生活できている(反対に私の面倒を見てくれることも多々ある)ので、基本的に私の生活に支障をきたしたことはありませんでした。
ただ、例えばこれが、祖母が寝たきりになったときや、認知症が進行したときどうするのか、解決策はあるのか、誰が介護をするのか等、未だ未解決なこともたくさんあります。

そんな私のような立場に「ヤングケアラー」という名称がついていて、また私以外にも同様の悩みを抱えている人はたくさんいるということに対して、とても心強く感じたことを覚えております。

少し話は変わりますが、私は現在、来る2025年大介護時代にむけて幅広い活動をしている、
「株式会社Join For Kaigo 」というところに参画しています。

そこで知り合った方に自分が「ヤングケアラー」について興味があることを話した際、下記のイベントを教えていただきました。

そのイベントで大変印象的だったことが3つほどあります。

①ヤングケアラーの種類はとてもたくさんあるということ
②参加されている方の「眼」が真剣そのものだったこと
③何も対策しなかった場合、自殺する人が増える、可能性があること

まずですが、「ヤングケアラー」と一言で言っても、その種類は非常に様々であるということ。自分の祖父母をケアしている人もいれば、障害をもった両親や兄弟をケアしている人もいる。はたまた仕事で忙しい両親に代わって幼い兄弟の世話をしている人もいる。

②自分自身祖母のサポートをする期間があったので、自分もヤングケアラーだと感じていたのですが、その内情は十人十色で、自分とは比べ物にならないほど家族のケアに追われている人も多いということ

最後に③についてです。私は自分自身興味があった、「東アジアのヤングケアラーの問題」について、カンファレンスに来られていた、イギリスのヤングケアラー専門家の方に尋ねてみました。
もし中国や韓国、シンガポールといった、これから高齢化が進む東アジア地域で、ヤングケアラーに対して対策がなされなかった場合、どのような状況になると予想するのか聞いてみました。

その答えがかなり衝撃的なものだったのですが、その方が言うには、何も対策がなされなかった場合、各国での自殺率が上る可能性が高いということでした。

その方はその理由については語りませんでしたが、これを日本に考えると、なんとなくわかるような気がします。日本では、急に家族の中の誰かにケアが必要になった際、言葉は悪いですが、誰かの人生を犠牲にしてケアに当たったり、最悪の場合、共倒れになるケースがあると聞いたことがあります。

タイや、シンガポールは一説によれば、高齢化率が日本以上ともいわれているそうで、もしこの状況に何の対策もなされなかった場合、家庭内で自殺率が上がるのは簡単に想像ができます。

これは日本だけの問題ではなく、社会が成熟化し、高齢化が進行する全ての国の問題と言えそうです。

このカンファレンスに参加して、1つとても良かったことがあります。

それは、私のこれまでの活動が自分にとってどんな意味があったのかなんとなくわかったことです。

これまで私は、介護の問題に興味を持ったり、はたまた急に相続税のnoteをはじめてみたり、急にヤングケアラーに興味を持ったり、自分でもなんでそれをはじめたのか説明できずにいました。

ですが、このイベントに参加してみて、なんとなくわかりました。

それは、私が、自分自身の夢を解決するということよりも、夢を叶えようとしている人の手助けをするほうをしたいということが何となくですが、わかりました。

一生懸命自分の夢を叶えようとしている人を応援する側に立ちたいということでした。

介護の問題に興味を持ったのも、はたまた急に相続税のnoteをはじめてみたり、急にヤングケアラーに興味を持ったのも、全て、

ではどうしてこのような感覚を持つようになったのか自分なりに考えてみました。

中学まで静岡のど田舎で育ち、勉強も部活も一定の結果を出し、当時は自己肯定感が低い私でも一定数自分に自信がありました。

それが、第一志望の高校に落ち、市内から集まってきた私と同じようなレベルの学生に埋もれはじめてからは状況が一変。高校時代を全て勉強に捧げ、上京した大学でまちうけていたのは、たくさんの私より優秀な学生でした。

その時の自分の中にあった感情を一言で言い表すと、まさに「埋もれる」という言葉でした。

もちろん、これまで努力して手に入れた目に見えた肩書等で評価されることはありますし、それによってなんとなく順位付けされたような気がしております。
ですが、同時に自分より「上」の存在がいることもまざまざと見せつけられました。

「ああ、いくら頑張っても勝てないな、雲の上の存在だ」と思う方がたくさんいました。

それは、大学で授業を受けても、長期のインターンに参加してみてもベンチャー志望の学生が集まる会に参加してみても、今こうして海外で留学していて優秀な方と接する中で嫌というほど感じます。

私には人並みか、それ以下の力しかない。

自分より優秀で、本当だったら自分よりも活躍できるのに、自分以外の人のために働かなければならないことがあってなかなかそちらに時間を割けない。

家族の面倒を見ているヤングケアラーの中にも、本来だったら自分の興味に従って、専門生を高めるべき人が高められれていなかったり、すごい才能を秘めているのに、家族のケアに時間を持ってかれて自分を犠牲にしてしまう。
介護のことに興味を持ったのも同じ理由からだと思います。

相続税に興味を持ったのも、祖父母からその子供や孫により効率的に財産を遺して、その資金を元手に、よりたくさんの新しいことに挑戦できるのではないかと考えたのではないかと思います。

北京から帰国したあと、日本でヤングケアラーの問題に取り組みながら誰かの人生を応援したいなと思います。

文章書いたの久しぶりで、自分でも少しまとめるのに苦労しました...

ここまで読んでくださりありがとうございました!

佐々木




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