私のハロウィン遍歴と、幼稚園児が教えてくれたこと

こんにちは

今回はハロウィンにまつわる、緩めの投稿をしたいと思います。

もう間もなくハロウィンということで、仮装をして街に繰り出す計画を立てている方もいらっしゃるかも知れません。

突然ですが、皆さんはハロウィンのもともとの由来はご存知ですか?

今回の投稿はこれがメインではないんですが、せっかくなので載せたいと思います。

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昔、アイルランドにジャックという、怠け者で嘘つきのずる賢い男がいました。
あるハロウィンの夜のこと。

ジャックは、地獄からこの世に来ていた悪魔を騙した上、今後10年間は自分の魂を取りに来ないことを約束させます。

10年後、その時の悪魔がジャックの魂を取りに来ましたが、またもやジャックは悪魔を騙し、

「今後二度と、自分の魂を取りに来ないこと」

という取引をします。

悪魔は約束通り、ジャックが死ぬまで彼の元を訪れませんでした。

やがて、ジャックも天寿を全うして死にました。

生前の行いがあんまりだったジャックは、天国に入れてもらうことが出来ずに、仕方なく地獄に向かうことにしました。

そこで出会ったのはあの時の悪魔、三度目の再会です。

悪魔は、

「生前の約束で、お前の魂は取れない」

と言って、ジャックは地獄にも入れてもらえません。

「オレは、どこへ行けば良いんだ・・・」

暗闇の中、行き場所をなくし立ちすくむジャックを見かねて、悪魔は地獄で燃えている炎の塊をジャックに分けてあげました。

ジャックは道端に転がっていたかぶをくり抜いて、その中に炎を入れるとランタン(提灯)を作りました。

どこへ行けば良いのかわからないまま、ジャックはランタンを持ちながらあてのない旅に出ました。

死んでから一人きり、ずっと独りぼっちのジャックは現在もランタンを手に、この世とあの世を、行くあてもなく永遠に彷徨い続けているのです....
      
        参照→ https://neirof.com/1502.html
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地獄にいくのは嫌ですが、地獄からも拒否されるのはもっと嫌ですね。

皆さんこの成り立ちを知っておりましたか?
私は21年間生きてきて初めて知りました。

さて、静岡の田舎で育った私は上京するまでハロウィンらしいことをしたことはありませんでした。以下の流れが毎年の定番でした。

父「今日ハロウィンだね」
私「うん」
父「...」
母「...」
兄「...」
私「...」
母「......あ、スーパーでかぼちゃ安かったから煮物作った」
と言ってかぼちゃの煮物食べて終わるくらいでした。

それが、上京して岡山出身の大学の友だちから、「東京のハロウィンはすごいらしい」ということを聞き、私のハロウィン黒歴史を消すべく、同じく私と同じような黒歴史を抱える岡山出身の友人と渋谷に繰り出してみました。
人の多さと、カオスな感じに圧倒されて30分でその場を後にしました。
大学2年の昨年は都会の窮屈な生活にすっかり適応してしまい、また当時は表参道で必至に働いていたため、その日がハロウィンということを帰りの渋谷駅への帰り道で気づき、同時に奇妙な格好をしていた人にも特に何も感じなくなっておりました。慣れって怖いですね。

...と、こんなことを話したかったのではなく、今回は幼稚園児が気づかせてくれたことについて話したいと思います。

皆さんは、「”ハロウィン”をイメージしたときに真っ先に思いつく色は何色?」と聞かれたらなんと答えるでしょうか?

おそらく大部分の人が「オレンジ」というのではないでしょうか?

僕も多分そう答えると思います。

では、そのオレンジはどこからきているかというと、そう、あの、かぼちゃのおばけから来ているのではないかと思います。


それまで、そこに疑問を持たなかった私にふと考えさせてくれる出来事がありました。

乗り換えで通ったとある駅の一角に、近隣の幼稚園児が塗った塗り絵が30枚ほどかざられておりました。

ハロウィンが近いということもあって、それにちなんだ、かぼちゃだったり、魔女だったりの塗り絵だったんですが、私はかぼちゃに注目しました。

30枚ほどの塗り絵のうち、1枚がオレンジではなく緑色で塗られておりました。

私はこれを見たとき、なんで緑色??

と思いましたが、すぐに分かりました。その幼稚園児は、おそらくいつも食べているふつうのかぼちゃの外側が緑色だったから、緑で塗った、ということだと思います。

ハロウィンで使われるかぼちゃはオレンジ色なので、オレンジで塗った子供の方が一般的には正しいわけです。

ただ、「ハロウィンのかぼちゃはオレンジだからオレンジで塗っておこう」というのは簡単ですが、ここであえてオレンジで塗らず、そこを緑色に塗るというのは、別に緑で塗ったから偉いというわけではなく、他人に縛られずに一度自分の常識と重ねてみるという行為が無意識のうちにできているという視点から、とても良いなと思いました。

また、また緑で塗ったことに対して再度オレンジ色で塗らせなかった先生、おそらくその子の両親もそういった教育をしてるんだろうなあ、、
と、何故だか感慨深かったです。

かぼちゃ一つに対して、なんて大げさなとおもうかもしれませんが、大人になるにつれて、私たちの感覚はどんどん鈍くなります。

私も、なるべく自分の考えを更新するためにいろいろな方の考えを自分の頭の中に入れるため、本を読んだりしておりますが、逆説的に中途半端な知識ばかりが蓄積されてしまうことによって、知っているつもりになりそこで思考が止まってしまうことが多々あります。

何かの本で子供は大人になるまで40000回も質問すると読んだことがあります。

私も疑問に思ったことを親に質問した時、それはもう決まっていることだから、と何度も言われたのを覚えております。

でもそれは考えることを放棄していることに他なりません

子供の疑問は唐突で、ある意味本質を突いているため答えに窮することがあります

年齢を重ねても、コペルニクス的転回のような思考でいつも目の前のことに疑問を持って答えを探し続ける人でありたいと思う今日この頃です。

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