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私はずっと、ハッピーな方ではなくてラッキーな方で悩んでいた。

昨日は地元の盆踊りに行った。

小さな地元のお祭りで、子どもが多かった。通常の江州音頭とも違うので、それもまた面白かった。同じ江州音頭といっても、何パターンもあるんだなぁ!面白い。

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昨日から私にとっての何がハッピーで、何がラッキーかを考えている。

「幸せ」には二つあって「ラッキー(幸運)」と、「ハッピー(心の充足感)がある。

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盆踊りを踊っている間は、ハッピーである。無心に体を動かす。そこには勝ち負けもない。

本を読んでいる間もハッピー。自分の好きな分野の勉強会に参加して知識を摂取するのもハッピー。知識欲が強いのだろう。

古典を読んでいて、自分の気持ちにぴったりはまる和歌を見つけた時はラッキー。心情に共鳴する時間はハッピー。

黒髪長身細身メガネのイケメンと話してる時はハッピー(笑)。でも彼に私を好きになってもらえるかはラッキー。さらに好きになってもらえても、結婚できるかはラッキー。さらにさらに、互いに尊重しあえて一緒に生活していけるかもラッキー。

私の文章を好きだと言われるのはとってもハッピー。だけど、そういう人を増やせるかはラッキー。

お金のことで最近悩むことも多いけど、それもラッキー。(年収を増やす努力はしなくちゃいけないと思うけど。)

資格に合格できるかはラッキー。努力次第だけど、試験で自分の強み弱みの強い部分が出るかどうかは博打である。

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ラッキーは努力できるところもあるけど、相手の都合によるところもあるから、叶わなくとも無理に自分を責めることはないんだな、と。

ツイテなくとも、「ツイテない自分」を責めるのはかわいそうである。(まぁ自分ではどうしようもない部分もあるから、引き寄せの法則とか神頼みが出てくるのだろうね。)

上記の区別ができてから、「周りは変えられないけど、自分は変えられる」という言葉がスンと腑に落ちた。

それまでは、なんで相手に合わせて自分を変えなくてはいけないのだろうと思っていた。仮に、モラハラ夫に我慢する人は幸せなのだろうか、と。

だけど、「周りは変えられない=ラッキー」で「自分は変えられる=ハッピー」だから、モラハラ夫といる自分がハッピーでなければ、夫は変えられない(=ラッキー)ので離婚していいのだ。

ラッキーは手放せる。ハッピーは自分次第。

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もちろん、ラッキーがハッピーにつながることもたくさんある。

ただ、ラッキー(仕事や恋愛)を維持するために、自分をハッピーにできてない人もたくさんいるんだと思う。

一見、幸せそうに見える夫婦がレスで悩んでたり、結婚してても7年口を聞いてない夫婦だったり。

あなたは今ラッキーですか?ハッピーですか?

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