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古典文学と「こじらせ女子」は相性が良いと思う。

先人たちの底力 知恵泉「紫式部 “こじらせ女子が自分らしく生きる極意”」を録画でやっと見れた。

作家の石田衣良さん・芸人の川村エミコさん(こじらせ女子代表)・京都先端科学大学教授の山本淳子さんがナビゲーターとなって、紫式部のこじらせ女子たる所以を読み解いていく。

(ところで改めて考えてみると、「こじらせ女子」の「こじらせ」って何をこじらせているんだろう?恋愛を含めた人間関係?仕事?ネガティブなこと?)

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父親に認められなかった紫式部

紫式部は由緒正しき学者の家系の生まれだが、祖父の代で没落する。母親は紫式部が幼い頃に亡くなった。父に弟と一緒に漢学の教育を受けるが、弟より物覚えが良かったため「お前が男だったらなぁ」と嘆かれる。

漢学者は男がなる時代だったから仕方ないといえば仕方ないんだけど、漢学の才能がありながら、女の子であるばかり一番身近な家族に、認められないって悲しい。そりゃ自己肯定感なんて育たないよ。

これって今の日本と全然変わらない。大学医学部の女子の合格率の“調整”や、「女の子はバカな方が可愛い」などの価値観と変わらなくて、女性は千年前から同じことに悩んでいるのかとため息が出る。ただ女性ってだけで。

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職場になじめず引きこもる紫式部

紫式部は、幼い頃に母親や姉や親友、そして大人になって夫をなくしていく。失意の中で彼女の書いていた『源氏物語』が権力者藤原道長の目に留まり、道長の娘 彰子に仕えることとなる。

彰子は一条天皇に入内していたが、知識欲旺盛の一条天皇の期待に応えるため、才女の女房(女性の家庭教師やお世話係)を彰子の周りに固めさせた。

能力が認められて女房となるのは彼女が初めてだったようだ。「女の敵は女」というのも昔からのようで、他の女房はいいところのお嬢さんかベテランの女房が多かったから、女の園の格好のいじめの標的になってしまった。

同僚の女房に無視されるなどして職場に馴染めず、5ヶ月ほど実家に引きこもることもあった。

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観察者としての紫式部

古典エッセイストの大塚ひかりさんは、辛い状況を観察者としての眼を育てることで乗り越えていくと語る。目に見えている華やかな部分ではなく、その下の陰に焦点を当てる。

わりなしや 人こそ人と いはざらめ みづから身をや 思ひ捨つべき

訳がわからなくて辛い。他人は自分を人間扱いしなくとも、自分で自分を見捨てていいものか。いや、絶対に見捨てない。(『紫式部集』)

そういって職場復帰する。

千年前に、他人の言動に振り回されようとしない自分を確立しようとする紫式部は、最高にカッコいい。

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ハッピーとラッキーの違い

身分の高い男性と結ばれることで良い境遇を得た人を「幸い人」と呼ぶ。

明石の君は受領階級で明石という田舎で生まれながら、光源氏の愛人になり、その娘が天皇の娘に入内することで天皇の祖母にまで上り詰める。

一見幸せそうに見えるが、明石の君は身分が低かったので、光源氏の正妻 紫の上の養女として育てるために自分の娘を幼いうちから手放さなければならなかった。

「幸運=ラッキー」は他人に依存した幸せだ。いつ失われるか分からない。紫式部は「幸運」と「幸せ=ハッピー」は違うと発見する。

紫式部はハッピーに眼を向ける女性だ。世間の評価と内なる心の評価は違うのだ。

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「女性は選ばれてなんぼの部分あるじゃないですか?ラッキーに頼らざるを得ないところがあるのが悩みます…」と川村さん。

私も今だに好きな人に選ばれる方法が分からない。

去年はずっと、陶芸家の一つ歳下の男の子に片想いしていた。きっかけは、あるワークショップに参加した時の参加者さんで、グループワークの時に会話をし、私が一目惚れをしてFacebookで友達申請をしてコンタクトを取った。

典型的な職人気質で、今は令和だというのに昭和の時代を生きているような人。自分の腕にプライドを持ち、それが世の中に認められないことに鬱屈し、人間関係が少しだけ不器用な人。繊細で臆病で自ら「手のかかる大人だ」と言っていた。(それは事実だった。)

趣味が合うので友達になるまでは順調だったと思う。一緒に美術館の陶芸の展示なども見に行った。彼は普段は寡黙だが、好きなものの前では饒舌だった。職人らしく彼は手をとても大事にしていて、彼の筋ばった手はとてもキレイだった。

「一緒にいると居心地が良い」とまで言われたが、「友達でいるのはいいけど、お互い我が強いので衝突するから付き合うのは無理だ」と言われた。それ以来会っていない。

どうして、女性の我が強いのがいけないのだろう。私自身は瞬発力のある方だ。言われたことに「できる」「できない」をパッと返す。私はいわゆる小賢しい女だ。

それ以来、我の強い自分は愛されないのだろうかという思いが強い。男性は「言い返される・言い負かされる」のが苦手なのだろうか。

なんだかんだ、こじらせている。

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平安時代には、「幸せ」などの自分の心の充足感を示す言葉がないのだという。「幸」は出世運や男運、「福」は金運を示す。それらは全てラッキーだ。自分ではどうにもすることができない部分だ。

人間はソーシャルな生き物だから、私が「何を持っているか」に振り回され、「何も持っていないこと」に頭を悩ますのだろう。

今の現代人と平安時代の女性が似ていると思うのは、結婚や子どもなど、幸運は手に入れながら心は空虚を抱えている人が多いのではないかと思う。そして、その見た目だけの幸運を維持するためにも思い悩んでいる。

月並みな言葉だが、幸せは自分が決めるのだ。私自身、ハッピーは何なのか分からないけど、他人の評価に揺さぶられないことを一進一退、今日も歩いていく。走ることはできないから。

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