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飴ちゃんはゴキブリにもなる。

過去というほど過去ではないけど、やっと一年前の出来事にけりがついた。精神的な意味で。

去年の今頃、ずっとある人に相談をしていたのだけど、2人の常識があまりにも違いすぎて、相談する私も相談される相手も疲弊してゆく、そんな関係だった。

私は相手の言葉が全く理解できなくて、でも相手が私のためにアドバイスされていることは分かるので、きっとこの人のいうことは正しいんだろうと思ってその通りにできない私がもどかしくて悲しかった。

結局色々あり、その人とご縁は切れてしまったが、ずっとずっと罪悪感を引きずっていた。

今日、その罪悪感と訣別出来る出来事があった。

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去年色々あってから、私は私の行う善に全く自信がない。

とある勉強会で聞いた話。

「ある小学校の校長先生の話。

精神疾患を抱えた小学一年生の男の子は白ごはんしか食べれなかった。良かれと思って担任の先生がキュウリが食べられるようになるようにと給食に差し出した。

次の日からその児童は『お化けが出る』と言って学校に行かなくなった。

後に、男の子の母親は先生たちにこう語った

『先生方は息子を異物として受け入れている。けれどあなたがたはゴキブリを差し出されて食べられますか?息子にとってはそのくらいひどいできごとだった』と語ったそう。」

自分がされて嬉しいことが、相手にとって嬉しいこととは限らない。

私は飴ちゃんを差し出しているどころか、相手にとってゴキブリを差し出していることもあるのかもしれない。私はありがた迷惑なお節介しかできないのかもしれない。

と同時に、相手が飴ちゃんだと思って差し出していても、私にとってゴキブリを差し出されることもある。

人と暮らしていくってそういうこと。

そういう時に、感謝しながら真正面からとらえずにどうやって受け流していくか。

でも今日はとっても嬉しいことがあった。その記録としてnoteに書いておく。

#久しぶりnote

サポートいただけましたら、勉強会や本の購入にあてたいと思います。よろしくお願いします。