左大文字 - 最初で最後の送り火登山

今出川通を西へ、北野白梅町の交差点を北に曲がると少し小ぶりな「大」の字が姿を現す。大学入学から15年間、毎日のように見てきた左大文字山の風景だ。

大文字山と比べると少し地味な存在だ。

けれども、私には左大文字山に特別な思い出がある。

+++
左大文字山での撮影を手伝って欲しいとアルバイト先から電話が入ったのは、2000年の12月に入ってからのことだった。大晦日の夜の撮影で、日没後に集合。カメラ機材を担いで山を登るのだという。これは相当な体力仕事だと思った私は即座に無理だと答えたが、念押しの言葉に一気に心が動いた。

「実はなあ、大晦日に五山の送り火をやることになったんや。滅多にないことやし、一緒に行かへんか。」

滅多にないどころではなかった。一生に一度あるかどうかわからない話ではないか。

断る理由などなかった。
+++

2000年12月31日。

気象記録によるとこの日の京都の天気は曇りで最高気温は9度。小雨がぱらつく寒空の下、左大文字山を登り始めた。予想以上に険しい岩山だった。20キロ近い機材を抱えての登山は本当に辛かったが、最後まで音を上げることはなかった。初めての体験する出来事への高揚感の方が勝っていたのだろう。

岩場を登り切ると、火床とよばれる目的地に辿り着いた。いつの間にか雨は止み、雲はすっかり晴れていた。山々は暗闇の中でより黒く、はっきりと見えた。

午後9時を回った。向かいの大文字山から松明の火が揺れるのがはっきりと見えた。点火の合図だ。目の前に現れた「大」の字は、普段とは桁違いの大きさだった。雨上がりの澄んだ空気が、その姿をより一層美しくしているようだった。大文字山の点火を合図に、左大文字山の松明が火床に入った。それからもう一つの「大」の字がその姿を現した、はずである。

私たちはもうひとつの「大」の字の、火の海の中にいた。

熱い。

真冬なのに信じられないほどの熱さだった。表現仕切れない程の荘厳な光景を目の前に、私たちは呆然と立ち尽くしていた。ただこの瞬間を目に焼き付ける。それが精一杯だった。


+++

左大文字山が普段から入山禁止の山であったこと、五山送り火が女人禁制であったことを知ったのは、それからずっとずっと後の話である。

当時の新聞記事によれば、2000年の大晦日に行われた五山の送り火は、市民からの強い要望で実現した行事だったという。さらに五山の保存会は、20世紀最後の記念行事という理由から、一般市民の入山を特別に一度だけ認めたのだった。

左大文字山は、本当は一生登るはずのない山だったのだ。

そんな山に、私は幸運にも登ることができたのだ。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

読んでくれてありがとう!
12

権藤千恵

バインミーの朝、サイミンの夜

フィールドワークの合間でみつけた、あんなことやこんなこと。日々の生活や研究の中でみつけた、あんなことやこんなこと。
1つのマガジンに含まれています

コメント2件

懐かしい地名に引かれて読ませてもらいました。
この年、ちょうど地元に帰っていて見られなかったんです。
貴重な体験されたんですね。面白かったです。
実はこのアルバイトなかなか過酷で翌早朝に21世紀最初の日の出を撮りに行くのもセットだったのでほぼ徹夜だったんですけど、鮮明に覚えているのは送り火と翌朝仕事終わりに飲んだコーヒーが美味しかったことですね。読んでいただきありがとうございました。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。