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12012019

ホノルル2日目。思ったより涼しかったのでうっかり喉を痛める。

最近仲良くなった沖縄系のローカルのお友達の車に乗せてもらいミリラニにあるハワイ沖縄センターへ。基金募集を兼ねたクラフトフェアで、ハワイの沖縄の本を買ったり首里城再建に寄付したりする。

クリスマス前のこの時期はホノルル各地でクラフトフェアが行われる。クリスマスプレゼントに良し、自分用に良し、作る側も買う側もなんだかハッピーになれるのがこういうイベントの良いところ。

車中で「日本で終戦を迎えた」帰米二世のおじいさんの話を聞く。でもこの話、私は以前ハワイ沖縄センターを訪問した時におじいさんから直接話を聞いたことがあった。英語でこのことを話したことはほとんどなかったはずだ、と友達は言った。

ではなぜ私が覚えていたのか―

2003年の夏だから、今から16年も前のことだ。明大の山内先生がHOCを勧めてくれて、ボロボロの車で連れて行ってくださったのだ。私も若かったので割とむちゃくちゃな調査でも楽しくやっていた。ただし、その時の私は残念なほどに全く英語が話せなかった。おじいさんが私のところへ呼ばれたのはおそらく帰米二世で日本語が話せたからだ。その時に呉にいたこと、日本兵だったこと、出撃直前で終戦を迎えたことを教えてくれた。日本語だから教えてくれたと言ってもいいだろう。逆にいえば、私がその話をうっかり英語ですることはなかったしそこまでのレベルの語学スキルをそもそも当時の私は持ち合わせていなかった。

私だけがたまたまおじいさんから直接日本語で話が聞けたうちの数少ない1人なのかはわからない(多分多くはないだろう)。地元の歴史保存会の尽力で、16年を経た今、おじいさんの話はローカルの人たちが知ることとなった(残念ながらおじいさんは今年のはじめに亡くなったそうだ)。

ハワイから志願して活躍した二世兵士のようなサクセスストーリーだけではない、二世の物語はたくさん存在する。日本兵になった二世、収容所へ送られた二世がいる。けれどもそういうことも受け入れられる時代になったんだね、と話をした。




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