勉強と時間

※文法が破綻し支離滅裂してます.文章を書くのは苦手です.

タイムラインで「勉強」の話が出ていたので自分なりにまとめてみる.
私の勉強に対する考え方はyoshida95氏の以下記事
情報科の授業は教養に過ぎないという話 - 東京工業大学附属科学技術高校編
に影響を受けています.

時間もお金も無限ではない.

私は大学に総合文化科目を学びに来ているのではなく専門的な技能を習得する必要がある.大学を卒業して社会に出るときに何も技能がないといわゆるITドカタになりうる.
同様にレベルの低い(本を読んだ方が効率の良い)講義を受けに来ているのではない.

yoshida氏の『私は、生涯学習の重要性や素晴らしさについては認識しているつもりですが、すでに自らの選択するべき職業について明確に自覚していて、手に職をつけるべきタイプの人間が義務教育を修了した後に専門的では無い事を意識的に、あるいは体系立てて学ぶ必要性やその重要性についてはいまいちピンときていません。学びたいことや学ぶべきことについて、それを学ぶ必要が生じた時に生涯学習の一環として学べばよいと考えていることがその理由です。』

大学に何を学びにきているのかは十人十色である.
けれど,専門的な内容の勉強と一般教養(ここで言うと総合文化科目)を同一に見るのは如何かなものか.
総合文化科目に勉強をかけすぎて専門内容が疎かになるのは,いかがなものか.

また
私の学校では情報系の多種多様な講義の触りに触れる実験が必修である.
実験は多種多様なジャンルにおいての表面をなぞる程度の内容である.

私はこの講義が嫌いである.専門内容全般の触りに触れるのは将来どういった勉強・研究をしたいのかわからない学生や色々な分野に興味のある学生には良い実験だと思う.
しかし,入学時から将来どの分野に対して勉強するか決めている人においては講義の時間すら無駄にしか思えてしかたない.
この実験を私が嫌いな理由は実験単体ではレポートが完成しないことである.
レポートにおける考察において「なぜ」を追求するとその分野における専門的な内容を勉強しなくてはならない.
これは既に将来やりたいことが決まっている人には苦行でしかない.自分の専門外の内容を一から勉強しなくてはならないからである.
その分野はOS、セキュリティ、ネットワーク、回路、画像、音楽、心理、デザインと多様にある.
その全ての実験において表面しか実験にて行っていないのに考察を行う上ではその分野に対してある程度の専門知識を学んでから書かなければならない.
私にとってこれは時間の無駄でしかない.

教授に以前この講義?実験の必修性について問いたことがある.
結果はより幅広い知識を有した学生を育成するためだそうである.
わたしに言わしてみれば,浅く只々広い知識と言えるかどうかわからない学生を量産したようにしか思えない(興味もないためその時理解?習得していてもすぐに消えてしまうようにしか思えない)

話が脱線しました.
勉強に関して
時間が無限にあれば効率など考えずに勉強すればいい.
けれど、我々は限られた時間で勉強して社会に貢献しなくてはならない.
その上で社会にて一定の地位を得るにはその限られた時間で最大の効率の勉強をしなくてはならない.
これらのことを考えると限られた時間の何割かを総文という将来役に立つか立たないか不明な講義に時間を割くよりはより専門的な内容に割いたほうが100倍マシだとういのがわたしの自論である.
では総文を勉強しなければいいじゃないか.
とおっしゃるかもしれない.
以前投稿した やりたい研究と今 にも記したが,成績が必要なのである.
その成績にはもちろん総合文化科目も実験も含まれる.

そのために将来役に立たないと理解していても勉強して一定の評価を得なければならない.

つまり何が言いたいかというと進学先の選び方は重要です.

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