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古代米と藤森さんとの出会い

 かれこれ10年にもなるだろうか。古代米(赤米・紫米)と言われる真っ黒なもち米が一時、健康食品ブームの流れでよく売られていた。JAと契約されている個人農家がその殆どの耕作者で、そこから広がり、五穀米などにも含まれている。この古代米と私が出会ったのは、25年ほど前になる。ブームになる前から知っていたのは、市内で「おやまぼくち」という店名の蕎麦屋さんから始まった。

 オヤマボクチとは、山に自生するアザミの類で、山菜として「ヤマゴボウ」と呼ばれている。名前の由来は、葉の裏に生える繊維を剥がし取って綿のように丸めて火起こしの火口(ほくち)に利用されていたためと、蕎麦屋の女将から聞いた。この蕎麦屋さんの蕎麦は冷凍保存もでき、蕎麦では珍しく、長い蕎麦だった。その理由は、オヤマボクチを蕎麦のつなぎに入れているからで、今では「幻の蕎麦」と言われている。オヤマボクチを採る人がいなっくなったのと、上田地方の伝統蕎麦であるため、この伝統を継承できる腕の持ち主がいなくなったからだ。諏訪のこの蕎麦屋さんも打ち手がいなくなって閉店した。この店のメニューに、「笹寿し」というカナッペ風のオーブン寿司(画像)があり、私は、その美しい鮮やかなピンク色の寿司と、プチプチした食感が楽しみで、蕎麦と一緒に食べていた。

笹寿し

  懐かしい思い出がいっぱいでてきてしまうなあ。何から書こうかとわくわくする気持ちを抑えて、今日は、今では入手困難になった古代米を介して、思いがけない出会いと感動した話を中心にしたいと思う。

 「平成26年」と印刷された、空になった販売用の袋を手にしている私は、7年も前に買ったことなどすっかり忘れてしまっていた。それほど前に買った古代米だが、玄米を炊く時に大さじ1ほどを加えて炊いている。最後の袋が終わりになるなあと思いながら、少し前にJAで探してもなかったので半ば諦めていた。が、もしやと思い、「平成26年」の下に耕作者・販売者の欄の「藤森良一」さんの電話番号に電話をしてみた。歯切れのよい年配の女性が出て、藤森さんの奥様だという。切り出す言葉を失いかけた。なんだか、7年前の古代米に関して、在庫を確認したいのか、どうしたら買えるのかを聞きたいのか、自分でも心の準備もなくとりあえず電話をしたことを後悔した。古代米のことを切り出すと、6年ほど前に耕作したのを最後に、もう作っていないとのこと。嗚呼、もう入手できない幻になってしまったと落胆した途端、2俵ほどあって、それをなんとかしたいと思っていた矢先だという。しかも、つい先日、近隣の農家にそのことを相談したら「畑の肥やしに撒けば、カラスも寄ってきていいんじゃないか」と言われ、丹精込めて作った最後の古代米を畑の肥やしじゃもったいない。まさかに、それはできない。でも、じゃーどうしたらよいか?本当に困っていたところだったという。危なく、行き違いになるところだった。そして、購入の交渉を始めようとすると「使ってくれるなら、全部上げる。」と言われた。これは青天の霹靂というか、嬉しいやらびっくりするやら、そんな事はできないと、是非、買わせて欲しいと頼んでもみたが、売るつもりはないの一点張り。物事への遠慮というよりは、人から物をただでもらうという行為が、ひどく昔の出来事としてあったような、新鮮な喜びとしてよりも、なんだかすごい優しさに触れた気がした。ここは遠慮なくいただくことにし、翌日の引き取りの約束をして電話を切った。

 昨夜は、この電話の余韻というか、久しぶりの飛び跳ねたくなるような嬉しさと、人の温かみに触れた喜びで胸がいっぱいだった。そして、朝がくるのが楽しみで、時計を見ながら、やっと出かける時間が来た。

 iPhoneのナビで一発で藤森さん宅の目の前に車を止め、玄関の外で待つと、扉を開ける前から家の奥で「まあまあ、よく来てくれましたね。」と、満面の笑顔で迎えてくれた。「古代米を探してよく電話してくれましたね。それだけで嬉しかったけど、昨年、脳こうそくで倒れたお父さんだけど、古代米を作るきっかけを得たのは、柔道の山下選手の話だったんですよ。」山下さんが九州から取り寄せた古代米を毎日健康のために食べているというインタビューをテレビで見て、「これだ!こういうのを作るのは、小さな農家じゃなきゃできない」と、方々に問い合わせ、京都の農研でその種を分けてもらったのが始まりだったらしい。これが、古代米が諏訪で広まるきっかけとなったわけだ。そんなことを鼻にもかけず、謙虚な奥様だった。

 古代米の耕作では、他の水田に種が飛んで混ざらないような工夫が必要だったことや、搗精するのも、古代米が混ざるとネズミの糞に見えるので、別の機械が必要だとかの諸事情があり、当初は、精米所が受け付けてくれなかった苦労もあったらしい。いろいろな苦労を乗り越えてやっと商品としてJAに届けると、帰宅するやいなや、完売したからもっともっと・・・という勢いで、夜な夜な古代米の袋詰を内職したほど忙しかったと、嬉しそうに、懐かしそうに話してくれた。

 その後まもなく、古代米ブームも消滅し始めたが、高齢化とともに、作り手も減り、今では誰も見つけることができなくなってしまった。私は、当時のブームの折、おそらくJAに納品された直後だったのだろう、300g入りの袋を6袋ほど見つけ、これはラッキーなことだと買い占めてしまった。それを7年間でちびりちびり食べてきたわけだ。これが今となっては幻となったともつゆ知らず。

 これはついでの話だが、私は6年ほど前からパン屋を営むようになり、試行錯誤を繰り返して、二等粉を使用したパンを焼いている。二等粉とは、小麦の皮や胚芽、胚乳などを全て含む外側から約50%の部分の粉のことで、二等粉に対して一等粉は、その内側の白い粉を指す。一般的に売られている小麦粉とは、一等粉のことで、真っ白なのが普通になっていると思う。二等粉は、飼料になったり廃棄されたりするらしいが、これは日本の食文化の結果であり、少し色が茶色で、繊維質が豊富で、栄養価も高く、香りの良いのが二等粉だ。普通のパン屋が使用しない理由は、グルテンの形成が難しいのと、見た目が白くないからかと思われるが、その難しさに挑戦し、なかなか味わい深いパンが生まれた。その一つに土鍋で蒸し焼きにしたカンパーニュを焼いているが、玄米を混ぜているものは、モチモチ感が美味しいと評価を受けている。この仲間に、今回分けていただく古代米を入れたパンはどうかと考えている。

 サンプルとして、藤森さんに玄米入りのカンパーニュをお渡ししてきた。四種類のカンパーニュに古代米入りが加わり、多くのお客さんに食べてもらう事ができるなんて、想像もしなかったこの取組をとにかく喜んでくれた。涙ぐみながら「お父さんが苦労して作った最後の古代米を畑の肥やしなどにしなくてよかった。脳梗塞で障害認定5レベルだから、会話もできない状態なのが悔やまれる。」と語られた。


※トップの画像は自作の笹寿しです。レシピはこちら👉 

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