孫の好き嫌い

 子供の、食べ物の好き嫌いの話である。

 一週間ほど、B型インフルエンザで登園できなくなった孫を家で看ていて気になったことだ。熱が下がって少し体が楽になって来た頃、よくあることだが、食べ物の好き嫌いを言い始めた。病気で少し我儘を言って甘えたいのもあるだろう。ここで「はい、そうですか」と言うわけにも行かないのが親で、大概、「体のため」を理由とする「話」をしてやり、納得させようとするだろう。子供も、聞き分けの良い時はわかったような顔するし、親は、子どもが納得している様子を見てはほっとする。その繰り返しだと思う。が、私は、このやり方に大いに疑問を持っている。

 子供が「嫌い」と訴えている食べ物にいろいろな大人の理由をつけて納得させられるものだろうか?それは納得ではなく、親の圧力に屈しているだけで、仮面を子供に作らせ、欺瞞に満ちた親子の表向きの対話にすぎないように感じる。

 私の母が正にこのように子供を支配し、子供に良い子を演じさせていたため、この欺瞞にいくつになっても苦しめられてきた私でもある。この二の舞いは孫にはさせたくない。が、食べ物の好き嫌いをどう扱ったものか、少しゆっくりと考え直してみた。

 大人の理屈はこの際、問題外とし、納得させるのも問題だらけである。一体、子供の食べ物への好き嫌いの何が問題なのか?理屈抜きで、自分の心に聞いた。せっかく用意した食べ物に一喝「これ嫌い」と言って食べようとしない孫が大人びた、生意気な子供に見えている。喜んで食べてくれなくても良いが、何らかの思いで、自分に用意された食べ物という捉え方は彼女にはない。そうだ、何様よ、あんたは?と心では孫を孫と感じていない。大人として対等に見ている私がいる。おまけに、プチッと何かが小さく切れている。子供を大人扱いせず、子供扱いすべきなんだなあ、とここで気づいた。子供に大人の自分が切れてどうするというのか、このことに少し反省した。

 気分を入れ替えて。孫と同じくらいの世界の子供達のことを教えたいと言う気持ちが湧いてきた。

 iPadの画像検索で、アフリカの飢餓に苦しむ親や子供達の画像が沢山出てきた。それを孫にしばらく見せた。何も言わず、説明もせず、ひたすらそれらの画像を見せた。そして、「○○ちゃんが食べたくない。嫌いだと言っている食べ物をこの人達に送って食べてもらいたい。」と話した。孫は画像の衝撃からしばらく呆然とし、黙って下を向いていた。長い沈黙が続いた。私は家事に戻ったが、孫からいろいろな質問が飛んできた。

「この人達、どこに住んでいるの?皆、裸で洋服着てないのはどうして?」「お家はないの?」
「どうして自分達で食べ物を作らないの?」
「保育園や学校に行かないの?」
「どうして食べるものがないの?」

 その一つに一つに、私の知る限りの理由を教えた。アフリカがどこにあって、日本との気候の違い、教育機関がないこと、知識がないと農作物も作れないなど、いろいろなことを話してやった。また、毎月、アフリカ支援のための寄付を口座から引き落としていることなども教えた。

 二人で1時間ほど話した。結果は言うまでもないが、自分から進んで嫌いなものでも食べると言い出した。何故そんな気持ちになったのか聞くと、「お母さん(私の呼称)が、食べなさいて言っているから。」という意外な返事が返ってきた。 

 子供って理屈で育てるものじゃないと、改めて思った。大人の言うことを聞ける子供て、理想ではあるけど、前段で述べたように欺瞞になりやすい。孫との話し合いが本当は何だったのか、私にはわからないが、孫自信が画像の衝撃によって何かを感じ取ってくれた。

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