新しいビジネススタイルを見つける

 Twitterでピックアップした記事の指摘にこうあった。

 専門家は少子高齢化と景気回復を挙げます。大和総研の長内智シニアエコノミストは「少子高齢化で働く世代が減っているのに対し、景気回復で経済活動が活発になっている」と指摘。

 田舎の少子高齢化のスピードは速い。少子化をじわじわ感じるのは、デフレで企業が減ったり縮小化したため、新卒者の就職先が田舎には少なくなってしまい、彼らの行き先は、ここ諏訪だと、名古屋方面か東京になる。かつてならUターン組を受け入れる余裕すらあったというのに。田舎暮らしを好んで都会からやってきた人達も今では高齢化し、人々は逆に都会に戻ってしまう傾向にある。歳を取ったら都会でこじんまり暮らすのが何よりも便利だと、かつて都会暮らしを経験した人達は賢く、「新しいライフスタイル」を見つけ出している。結果、人口が減少し、若い人たちが減ってしまった。私自身も、人の移動による地域の状態が変化することに敏感になってきた。また、この、「人の移動」そのものには生産性がない。日本に点在する商業都市がいかに繁栄するかの変化を生み出すだけに思う。しかし、前段の記事で指摘されている「新しいビジネスモデルの探求」には、この歳になっても何か、わくわくしてくるものがある。

 何が問われているのか?企業の経営者は敏感に「問われている」と感じている思う。銀行の経営形態が変化したり、AIやロボット導入による人手不足クライシスへの挑戦など、少しずつ企業努力を感じるようになった。銀行の支店数が減り、ネットによる業務が充実し始め、最近、いろいろなことが自宅のパソコンやスマートフォンで操作できるようになってきた。

 金融機関を利用する市民も、現金による給与支給は次第になくなり始めている。未だに現金で支給している会社があるとしたら、少子高齢化に抵抗勢力的な存在になるのではないだろうかとまで思えてくる。実際に、市民が関わる新しいビジネスでは現金を手にしないことが多い。手続きも、規定用紙を使用しない。印鑑も使わない。全てネットで、セキュリティーによって守られたルールの中で操作可能になっている。素晴らしいことだと思う。このような世の中で、一番遅れた存在に最近、気付かされた事がある。

 「「役所仕事」と言われる由縁かもしれない」と、保健所の職員が零すようでは、なんと言うか、もうどうしようもない状態に浸っている嫌いもあるが、保健所にある提出書類を持っていった時に、担当者に話した事がある。

 私の息子が生まれた時、先天性内反足を長期で治療するための補助金を受け取るため、一年ごとに書類を提出する必要があったが、娘の次女も、先天的な心臓病の治療の必要から、同じような補助金を受け取るための書類提出があるのだ。その書き込み作業を見ていて、私が息子のためにやっていた面倒な書き込み種類と同じ事を30十年近くやっているということへの脱落感を味わった。正に役所仕事なんだろうか、この現実が。そう言って片付けてきただけではないだろうか。それを若い職員の口から聞いた時は呆れた。嘆いた。

 このような感情からモノをいうと批判的に相手を追い詰めてしまうと思い、ここは一呼吸置いて担当者に言った。

 私「保健所に改善をお願いしたい旨があるんですが、何か書いて提出するようなシステムはありますか?」
 職員「ありますが、何でしょう?私が伺いますが」
 私「ではお話させていただきます。この度提出した娘の書類なんですが、私の息子が昔、お世話になった補助金と同質で、この書類の多さも提出の手間も昔と同じで、何も変わっていないことを奇異に思っています。世の中は少子高齢化で、企業は業態を改革したり、AIやロボット化によってどんどん手続きも変わってきています。例えば銀行業務のネット化やスーパーの自動精算機導入などですが、民間と企業がそのように変化しているのに、企業が関わる頻度が多い役所が半世紀以上の長きに渡ってシステムを変えないままでは、世の中の進歩に逆らって足を引っ張るような事になっていませんか。」
職員「はあ、ご指摘の通りだと思います」
私「であれば、何か改善できる具体的な動きでもありますか?」
職員「そういう部署があって、何らかの改善はあるんですが、まあ、現状では大きな変化はできなんです。」
私「現状で何かを変えようという話ではなく、新たに模索しようとしないと役所だけ少子高齢化はやってこないわけじゃなく、職員が不足して仕事が回らなくなるという事態になると思いますよ。」
職員「仰る通りですが、現状ではなんとも。。。」

 窓口で話すことでもないとは思いつつ、目の前の若い職員の思考がこれではダメだとがっかりした。役所て、なぜこうも固く融通がきかない体質なんだろう。

 いつか必ず、私の投げかけたことはやってくると思うが、その時に初めて気がつくというものだろうか。そして、そこで初めて役所が改革なるものに取り組むのだろうか。大いに疑問だけど、その日を私が生きている間に観ることがあるだろうか。

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