時代の移り変わりに思うこと

 5月1日、令和元年になった。元号が変わったことに何かを思うことはないが、自分が生きてきた時代を振り返る好機にはなった。かなり個人的なことだが、息子たち世代との価値観の違いを感じたのが一番大きい。その価値観の違いは、これからのいろいろな暮らしの形態を展開するスタートなんだろう。そう思ったことを書いておきたい。

 令和になるということで、世の中に10連休をもたらした。東京に住む息子たち家族も、中盤から帰省してきた。結婚しない若い人たちのことが話題になる中、息子は、自分の家族が欲しいために仕事を選び、安定的な収入になった途端、本当に希望通りのお嫁さんを迎え、一昨年、子供まで授かり、文字通り、「家族」ができた。親の私から見て、息子は本当に子煩悩で、お嫁さんの家事や育児をよく手伝い、サポートしている。その姿は、「良いお父さん」である。私でも息子のような夫なら結婚するんじゃないかと思うほどだ。その息子家族が連休で帰ってくるというので、私もその息子たちの日頃の労をねぎらい、少しはゆっくりさせてあげたいという母心から、ドタバタ家事をこなし、パン屋という私の仕事も休むことなく、我ながらよく頑張ったが、ちょっと息子から意見された。これがいろいろ思う発端である。

 昼寝をしているとは知らずに息子にちょっと用事を頼んだ時だった。「家に帰ってきても休まらないんだよ」と言う息子。私は、この言葉に意表を突かれた。これに対しての言葉がなかった。息子に用事を頼んだのは、今回の帰省では初めてだったと思うが、それも、本当に些細なこと。ただ、私がそれを息子に頼むに当たって、私が食事準備にかかるタイミングで、同時進行は物理的に無理だという理由からだった。息子曰く「人に用事を頼むくらいなら食事作りはそこそこで良い」と、こういうことだ。自分の中で色々な考えが巡ってきて、なんだかまとまらない。息子の言葉が痛かった。母心を伝えて理解を乞うようなこともしたくない。それが無用かどうかではなく、息子が一体どんな気持ちなのか、何があのような言葉を生んだのか。それを受けととめる私でありたいと思い、深い思考にはまり込んだ。

 息子は自分で望んで子育てに参加しているが、28歳という若さで仕事も波に乗り始め、何かと任される事が増えてきているというのもあるが、家に帰ると、共働きでフルタイムで働く妻が、保育園から連れ帰った二歳前の息子をお風呂に入れて食事を与え、今寝かしたところみたいなタイミングに帰宅している。くたくたになっている妻の支えになるために、家事の手伝いは基より、愚痴の一つも聞いたりするのだろう。自分の心身の疲れを癒やす暇はないのである。ところが、月々のお小遣いとして5万は確保してもらい、好きなバスケの子供への指導や自分の練習にも通ったりを許されている。話の分かる嫁さんというか、私の評価はそういうところ。だからだろう、そこは話し合いで息子たち夫婦は上手くいっている。とはいえ、趣味をやったり、お金は、疲れを癒やしてくれるものでもない。それらを封じる力はない。つまり、息子も疲れ果てて実家に休みに帰ってきたのだろう。今回の連休は、そのためだったんじゃないか?そう思えた途端、私の頼み事すら受け付けないほど疲れ切っていたのかと理解できた。しかも、実家に甘えているんだなと思ったら、息子もお父さんとして駆け出しの、未熟者なんだなとわかった。だが、それだけでは息子のあの言葉は生まれないだろう。

 よくよく考えてみた。私だったらの過去を振り返ると、出産は四回で子供は三人。生まれたばかりの長女を亡くている。結婚した時点で自分のキャリアを諦めることイコールの時代の私にとっての出産は、母親として生きるスタートであり、子供にはできれば兄弟をと、何人でも許す限り産みたいと思っていた。未満児保育などをする必要もなかったし、少々、暮らしが大変でも、「貧乏の子沢山」で頑張るぞみたいなノリだった。が、待てよ、ここまで振り返ってみて、息子たち夫婦はこの価値観が違うんじゃないか?と全く違うことに気づいた。

 今の所、長男は子供は一人で良いかなと思っているようだが、その理由が、仕事と自分の趣味を維持したいため、子供は一人がやっとじゃないかと考えているという気持ちを以前に私に話してきたのを思い出した。彼にとって、仕事を維持するのは、生活のためでもあるが、今の仕事にやり甲斐を感じていて、将来的な野望を抱いてもいる。ただ、あれだけ子供をかわいがっている息子が、二人三人と、その可愛い子供を欲しがらないわけはないと考えた私の価値観は、すっかりお婆ちゃんの尺度からだったのに気づいた。息子は、一人だからこそ今の仕事や生活を維持しながら嫁さんをサポートできるのであって、これ以上になったら、何かを削るしかなくなるという考えなのだろう。これは、生きた時代の違いも感じたし、日本経済を見ていると、将来的には、今以上の暮らしを望めないということがかなりはっきりと言えそうだ。いや、望めないような時代に生まれた息子だけに、このような思考になるのも分かる。むしろ、昭和の中盤に生まれた私の希望的観測が、彼には理解できないのも無理はない。

 ここでやっと、親子の食い違いがはっきりした。息子には翌日、「あなたに言われたことを咀嚼してみて、やっとわかった」と、内容を話すと「お母さんの気持ちがわからないわけではなく、むしろ、いくらかでも助けになろうとは思っている。」ということだった。本当ならこう、でも、現実はこう、みたいなやりきれない気持ちなんだろう。私は「お母さんの時代では、母親になるしか選択肢はなかったけど、でも、若い頃頑張った力が今を支えているし、心は、自分を褒めてあげたい気持ちと達成感はいつもあるよ」と話した。「うん、そうだね」これでスッキリした。

 息子たちの子育てを応援するということは、息子たちの生き方を理解し、受け入れていくことなんじゃなかと思え、大変、充実感に浸ることができた元号の変わり目だった。

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