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とんだ暮から正月

 30日から3日までの予定で家族とともに実家に出かけた。毎年恒例の家族行事となって20年以上になる。弟家族も寄り集まって食べたいものをリクエストし、皆で一斉に食べ尽くすという晩餐がメイン。準備と料理のすべてを私が一手に引き受けているが、これもなるようにしてなったと言うか、弟の娘二人も25歳を過ぎて独身だからなのか、食べる時間にしか来ないし、私の娘も長男も子どもが小さく、それに手がかかっているというのもあり、年老いた母に手伝ってもらっても返って時間がかかるため、結果、私に任されている。ところが今年は、そうは問屋が卸さなかった。

 30日、すき焼きの準備をしていた私に起こったのは、玄関の上がり框(かまち)で足を滑らせ、左足の踝を激打してしまった。この時は、すごく激打したにも関わらず、さほど痛みは長く続かず、打ち付けた部分を擦って、夕食の準備の続きにかかった。片付けも終わり、入浴していつものように就寝したのだが、朝、ベッドから起きて足をつくと激痛が走った。なんとか階下に下りることはできたものの、ひどく腫れ上がっている。とんでもない事になっていると驚いた。こういう時のお決まりの対処方法を思い出し、まず冷やすだったが、もうすでに一晩経ってしまっている。とりあえず、包帯できつく縛って腫れを抑え、足を心臓よりも高くして冷やした。1時間ほど様子を見たが、悪化しているようで気持ちがじっとしていられない。暮の31日に病院なんてやっていないだろう。やっていても当番医くらいだろ。などなど、脳内でどうしよう、どうにもならないの否定的な思考を繰り返していて、なんとも気持ちは惨めだった。で、やっと、ネットで調べることに気づいた。

 家から車でわずか8分のところに「わかさクリニック」がヒットし、見ると、休日での平常診療をやっている病院だった。つまり、年中無休という病院。この際、混んでいようがなんだろうが、骨が折れたか、ひびでも入ったか、靭帯でも切れたか、見立てをしてほしかったため、迷わずこのクリニックに駆けつけた。到着したのは午前10時だった。それまでの緊張と不安が一気に抜け、ただただ順番を待てば良いだけに絞られた事が救いだった。

 ところが、安堵感と言うのは束の間で、受付を済ませて診察の切符をもらったのは午後12時だった。2時間、順番待ちというコマンドを心地よく保てるものでもない。インフルエンザのテストをしている人達がゴホゴホ咳をしながら、具合悪そうに近くにいるし、やっと座った席の隣の老人が立ったり座ったりするうちに遂に、心配していた事が来た。私の負傷している足を蹴飛ばしてくれた。ここは遠慮なく悲鳴を上げた。待合室全域に周知されただろうこの醜態、それをやらないと気が晴れなかった。我慢などしていられなかった。大きな声を出すことは、この老人を罵倒しない最低の私のマナーだと自分で納得した。

 そうそう、家を出る時からすごく助かった事が一つあった。父が山登りで使っていたストック(ステッキに似ている)が遺されていて、これを片手に持って補助具として使った。初めての経験だった。それでもどうやって使うのが良いのか、痛い方の足の補助だから当然、左手に持って右足と交互に使うのだろうと思ってやってみたが、左手にそこまで任せられない。右手のほうが安定するのだが、違和感はある。ここで思い出したのが、Dr.HOUSE!彼は片足切断寸前と言う重症の足を、切断をせずに克服した。痛み止めのバイコデン常用者で、マズイことにもなっていた。彼の歩き方、アレをNetflixで視聴して実際、試してみた。うまく行ったがぎこちない私と、役柄で演じている俳優の熟練度の違いに頭が下がった。俳優さんて、すごいのぅ。

 やっと呼ばれてレントゲンを撮りに行くよう指示され、そこで30分以上待っただろうか、もう時計を見るような意識が飛んでいた。物理療法専門のビルに移り、その待合で1時間ほど待っただろうか、遂に順番が来た。見立ててもらうに、骨に異常はなく、腫れが酷いため、痛みは激痛だということは理解されていた。遠方から来ていることを伝えると、三週間後くらいに地元の整形外科で診てもらうと良いということ、紹介状を書いても良いけど、今日は混雑しているため、更に待つことになる。例外的にだけど、レントゲン写真を写メで撮っていっても良いという話になったが、自前のPCで印刷ができることに医者が気づき、その場でコピーを貰った。

 ここでもう一つの問題を書き留めて置きたい。

 整形外科だし、絶対に処方してもらえると思ったHirudoidクリームが却下されたことだ。このクリームを美容の保湿に使っているというのが話題にもなっているが、確かに皮膚科で荒れ症の人にも処方されている。また、外科的には、やけどや手術後の縫い目のケロイド化を防止するため、血行促進薬として処方されているが、私は、高校時代からこのクリームを捻挫や打ち身、突き指などの腫れを引かせるために使っている。処方薬なので、その度に大きなサイズの物を医者にねだって手に入れて来た。最近では個人輸入できるようになり、外国からまとめ買いもしている。一生分と思って、2年ほど前に大きなチュウブを二本買った。これが実家にはなく、これさえあればこんな腫れ、翌朝にはなんともなくなるのにと、やや依存症的な気持ちがあることにも気づいたが、とにかく、このクリームを塗布すれば、翌日には腫れは引く。つまり、激痛だけは緩和できる。

 整形外科で、今回の負傷では保険適用できないと、却下された。しかも、「僕はこの薬に積極的じゃない」と、何か個人的に使用したくない風だった。その理由を聞くまでもなかった。

 打撲や捻挫で痛みが続く理由は、腫れによるもので、腫れないために心臓よりも高い位置に局部を置き、1時間に10分冷却というのをまる二日ほど続けるなど処置指示されるが、Hirudoidクリームはそれをゆっくりやってくれるスグレモノなんだけど。。

 結局、3日、夕方近くに帰宅し、お風呂に入ってすぐにHirudoidを塗布した。昨日から松葉杖もストックも使用せずに歩けるように回復していたため、帰路の途中でクリニックに松葉杖を返却した。この松葉杖も生まれて初めてだったが、副作用として腹筋が痛くなった。プラスティック製の添え木も初めて装着してもらったが、布団が足を圧迫するだけでも痛いもので、これはつけると楽ですときっぱり言われた。そこまで言うならと、テーピングを止めて添え木にしたが。寝返りを打つにも布団が引っかかって足を持ち上げられず、それをやると激痛が走る。仕方なく、同じ姿勢で二晩と日中も寝たきりだった。何が起きたか?持病の脊柱菅狭窄症に触れて足のしびれと腰痛が出た。大きな副作用だわ、これは。ずっと、ずっといい子で引っ込んでいたのに。

 実家のベッドの硬さが合わないのと、そもそも動けないんで、骨盤を背骨に押し付けたまま寝たきりはこの持病には最悪の環境だ。寝るのが辛いのだわ。

 家に戻ってまだ、僅かしか寝ていないが、今使用しているAirbedが頗る調子良く、このベッドに寝ると腰から足のしびれがなくなる。このベッドは、腰が圧迫されないため、脊柱を常に開いてくれるのだろう。

 今こうしてPCに向かっている私が、どこにも痛みを感じずにいることが不思議なくらい、それはそれは大変な暮から正月だった。

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