ぱんぱか通信

令和元年7月28日号 Vol.1

『週刊すわ「ひとものがたり」』(信濃毎日新聞7月26日発刊)の
原稿が上がった・・・茶色の粉の秘密 

 7月26日発刊予定の『週刊すわ「ひとものがたり」』に掲載される原稿が昨日、Word で上がってきた。テープに録音もしながらの約3時間のインタビューを経たわけだが、その割に、原稿は短く、簡素に書き上げてある。スッキリとした文章だ。そして、迂闊にも、読みながら涙がこみ上げた。鼻水をすすりながら、自分のことがかかれている文章を読んで泣けるとは、なんじゃ!喝。と、心を入れ替えて冷静になろうとするが、感情的な世界に引き戻さ れてしまった。

 パン作りの始まりから現在に至る時制の中に、きちんと私のポリシーが、それと分かるような言葉で織り込んである。深く 読ませる文章。さすがだなと思った。

 我が事ながらうるうるしたというのも、簡単に言うと、自分自身の頑張りに感激したからだった。現在、使用している国産小麦粉の扱いの難しさを痛感した時、まともなパンができるまで、かなり苦労したことと、途中で、まともに焼けないんじゃないかと弱気になり、不安との葛藤が、夢にまで出てきて私を苦しめたが、それを乗り越えた自分が愛おしくなったからだっ
た。この粉で何度もやり直し、納得の行かないパンと向き合い、何が原因か、作業を振り返ることを何度も繰り返した挙げ句、湯種製法の食パンに自分で90点を上げられるようなパンが焼けた。でも、まだ90点。果たして残る10点をクリヤーできるんだろうか?常にそういう疑問と不安の入り混じった心境だった。いや、今でもそうだ。オーブンから取り出す時が一番緊張 する瞬間だ。

 なぜ、この粉にここまで拘ったのか?答えは、市場原理というもので、需要が少ないから安価。なのに、栄養価は小麦粉の最高だからだ。ここでちょっと、この粉に決まるまでの経 緯に触れておきたい。

 昨年、小麦粉が高騰した。北海道産のブレンド小麦粉をそ
れまでは使用していた。家でパンを焼くようになって20年近く
になるが、その大半がこの小麦粉に助けてもらってきた、慣
れ親しんだ小麦粉だ。これが、業者価格でも25kg1万円超え
になった。7千円代だった頃でも、この小麦粉で焼いた食パン
から利益は殆ど無い(付加価値は高いけど、田舎で高級パン
が飛ぶように売れる事はないので、価格は最初からサービス
価格)ため、商売人の素質などない私なので、いつか、飛ぶよ
うに売れることを願って、今は地味に美味しいものを提供し続
けると決めていた。が、1万円を超えてしまってはどうにもなら
ない。続ければ赤字になるだけだとわかった時のショックは、 言い表せないほどだった。お店を始めたばかりだというのに。

 ここでちょっと私のことを。私をリアルに知る方はお察しのこ
とかもしれないが、悩みを内面に抱えているなどと疑われもし
ないような明るい性格で、ものごとはハキハキと喋るは、臨機
応変に何でも使い回し、脳内はわりと柔軟だが、悩みを常に
内包し、棚上げしては下ろして再考し、また棚上げしては下ろ す、を繰り返し、いつまでも結論が出しにくい。そういう人。

 ここで諦めてはいられない。決意を新たに、どこかに、もっと
安価に入手できる粉があるはずだという気持ちだけで探し始
めた。この結論にたどり着くまで、アレヤコレヤと対応の候補 策をいくつも考え出して取捨した挙げ句だった。

 三重県の製粉会社に良い粉があった。破格だ。25kg4千円
ちょっと。しかも北海道産の「春よ恋」の単一種だ。この「単一 種」が、実は、曲者だった。

 ブレンド粉というのは、パンを焼く万人にとって、いとも簡単
に、失敗なく焼けるように粉を配合してあるが、単一種は、粉
としては不安定要素がたっぷりで、収穫の年によっても、天候
などの影響を受ける。苦労の繰り返しとなった原因は、この単
一種だから、が50%、「タイプ50」という品名の、この粉自体
の性質がつかめなかったことの原因が残りの50%で、パン 作りを一層、難しくした。

 価格は文句なく安価だが、「タイプ50」という品名のこの粉、小麦の玄米を想像してみて欲しい。小麦の玄米から製粉して、約半分のところまでがこの「タイプ50」の由縁。そして、市販の真っ白な小麦粉は残りの50%に当たる。おわかり?小麦の殻から表面の50%の部分には、繊維質や胚芽も含まれた栄養価の高い部分だ。残りの白い部分は栄養価の少ない、私に言わせると「カス」のデンプンなのだ。昭和時代は、茶色の小麦粉が市販されていた記憶があるが、ほとんどは、真っ 白な小麦粉が主流だった。これが私達の食文化なのだ。

 「タイプ50」は、人には見捨てられた、繊維の多い、栄養価の高い、茶色の小麦粉な のだ。 パン生地の生命線であるグルテンの話になるが、「タイプ50」の繊維質と胚芽の割合まではわからないが、中心の白い部分よりはグルテンは少ないと見るのが妥当。つまり、低グルテンの小麦粉相手に、
それとは知らずにずいぶん泣かされたのだ。でも、知ってしまうと、栄養価の高さは採用したい。人に見向きもされない、捨てられてきた部分だけに、なんとか私の手でパンにしてあげ たかった。パンとして、日の目を見られるように。

 湯種製法というハードルの高さもあったが、90点を上げられるパンが焼けたときは、達成感と、このパンならきっとお客 さんが喜ぶはずだという確信めいたモノがあった。

 結果は言うまでもない、この食パンを食べたら他所のは食べられない、というお客さんの声をたくさん聞いた。捏ね上げ温度を上げないように良く捏ね、長時間でゆっくり低温で圧力をかけながら発酵させた生地には艶があり、テカテカした焼き上がりになった。そして、食感は軽いのにもっちりしっとり。誰 もがそのように絶賛してくれるパンになった。

 見捨てられて、廃棄されていた小麦粉の「不要な部分」を一
丁前のパンに育て上げた気分は最高だ。そのパンが、人に認
められるようになるとは、それもパン職人冥利に尽きる。(もう、 「主婦の道楽」なんていわせねぇよ!)

 が私に「頑張れ!」と、声をかけてくれていたんだなぁ。
「冷笑された」という受け止め方も、「応援してくれていた」に変 わったゎ、あっはは。

令和元年7月吉日 godmother の手作りぱんぱかパン 濱野明子

 (PDF文書をそのまま貼り付け、見出しをつけるテストです)  

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